9 目が覚めたら城の中、逃げたいけれど逃げられない
「ん……」
ゆっくりと意識が浮上し始める。薔薇の良い香りがしているわ。
目を開けると、天蓋が視界に入る。
久しぶりにゆっくり眠った気がする。やはり侯爵家の私の寝台は心地よいわ。
侍女のエヴァはどこかしら?
「エヴァ、エヴァ」
「ティナ様、お目覚めになられたのですね」
天蓋のカーテンの向こうがバタバタしているわ。ちょっと寝過ぎたかしら。今日は王妃様の妃教育があったっけ?
「あーーーーーっ」
「如何されましたか、ティナ様」
ティナ様?いつもならうちの侍女達は、セレスティーナ様と呼ぶ。
私は起き上がって、カーテンを開ける。
ここはどこ、こんなお部屋知らないわ。
侍女が駆け寄ってくる。
「ティナ様、お加減はいかがでしょうか。ただいま侍医長が参りますので、今しばらくご安静に」
そっと押されて、横になって聞いてみる。
「ありがとう、あなたは」
「侍女のミレと申します。ジェラルド公子殿下より、ティナ様のお世話を仰せつかりました公族付きの侍女でございます。何なりとお申し付けを」
「ありがとう」
貴族令嬢の微笑みを返して、目を閉じる。
心の中も頭の中も、一瞬で復帰したわ。
どうしよう。
ジェラルド公子殿下、ジェド様に間違いない。
転移した時、思い出した。
ヴァレリアで見た深緑の瞳の御姿絵は、前国王陛下だった。
ヴァレリアの国王陛下の弟君が、ヴェルディア公国の大公殿下。
そう、ならば、あのアホ王太子とジェド様は従兄弟なのね。
ではジェド様が必要とされていた月涙草の滴は公族のため。
どうしよう。
背中にじっとりと汗が。
ここにいては絶対にまずい、真剣にまずい。
「ティナ様、侍医長が参りました」
「ティナ嬢、侍医長のジベールと申す。失礼してよろしいかな」
「ひゃ、ひゃい」
噛んだ。
「ジベール様、よろしくお願いいたしますわ」
ブリタもパックも私の名前を知った、身元バレだわ。もうベンのバカ!
そしてみんなで、ここに戻ってくるはず。
冒険者にしては、みんなお上品だった。もっと早く気がつくべきだったのに。
たぶんパックは、ジェドつまりジェラルド殿下の護衛だわね。
それよりどうしよう、逃げなきゃ。ヴァレリアへ引き渡されたら、命はない。
「……ナ様。ティナ様」
「は、はひ」
ああまた噛んだ。
「ティナ様、魔力は回復されていますが、まだお疲れのご様子、もう少し休まれますか、それとも湯あみでさっぱりされるのも宜しかろう」
「湯あみをお願いいたします」
侍医長は侍女達に指示を出し、無理をしないようにと言い残して退室した。
考えろ、考えろ。
私は、久しぶりのお湯を堪能する暇もなく、湯あみの間も考え続けた。逃げ道はある。
ただ。
ただ、ジェド様達が月涙草の滴を使う時には、月涙湖の水と月涙草の花びらと七色魔法が必要。
どうすれば助けられて、逃げられるの。
湯あみを終えると、別の部屋へ案内された。
「ティナ様、どちらのドレスになさいますか」
無意識に選んだドレスを着せてもらい、髪を結い上げてもらったのは何日ぶりだろうか。
「まあ、なんてお美しいのでしょう、深緑がお似合いです」
侍女達が口々に褒めてくれるが、それも上の空。微笑み返しは忘れないけれど。
やっと着付けが終わり、侍女にペンと紙を頼む。
侍女達が部屋を整えて、ペンと紙と、その横にマジックポーチを置いてくれる。
あ、それだ!マジックポーチ!
「お側に控えておりますので」
「ありがとう。でも少し一人になってもいいかしら」
「では、扉の外におりますので、何なりとお申し付けください」
侍女達が退室していく。
私はソファーにどーんと背を預けて天井を見る。
あれ?天井も、壁紙も寝台も色が違う。とても女性らしいお部屋。さっきは客間?でも結構な広さに、かなり精巧な家具があったけれど。移ったっけ。
そんなことより、脱出できるわ。
しばし私は没頭した。
よし!
準備万端!
モザイク模様のライティングデスクの上には何枚かの紙。
用法と用量の説明。
魔法陣を書いた紙。
月涙湖の貴重な浄化水。
月涙草の花びらを十枚。これは魔法で保存してある。
最後に、生まれた時にお父様からいただいた、侯爵家の家紋が入っている大切な指輪。
お父様ごめんなさい。
でもこの指輪に魔法を込めれば助かる人がいるわ。もう二度と私が持つことはないでしょうけれど。
これには膨大な七色魔法を込めた。きっとジェド様の大切な方を助けてあげて。私は指輪をぎゅっと握りしめてから机の上にそっと置いた。
そして最後に、ジェド様への感謝とお詫びを。
ジェド様なら、この魔法を使って助けられる。
私はマジックポーチに、テーブルの上にある食べ物を入れる。そして中に護身用の短剣が入っていることを確認する。これもお父様からいただいたもの、これだけは持っていくわ。
そして、冒険者のローブをドレスの上から羽織る。
着替えている暇はない。靴は脱いで、編み上げ靴を履き直す。
ジェド様、みんなありがとう。
私は床に手をおく。
《この世の理を示せ、森羅万象の世界より新しき扉を開け》
七色の光が飛び散って、床に魔法陣を描いていく。
——城の中を急いで歩くジェラルド公子殿下の姿があった。両手に濃紺の絹の靴を一対持って。
更新が遅くなりましたが、楽しんでいただければ嬉しいです。




