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無能と虐げられ捨てられた調香師、敵国の冷徹公爵に拾われて極上に溺愛される 〜私が作った香水がないと、もう眠れないそうです〜  作者: 絹ごし春雨


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1話 兄の出世の知らせと捨てられるリゼット

 ツンと鼻を突くような、安っぽい薔薇の香料。それが今の調練室のすべてだった。


リゼットは、目の前でひらひらと揺らされる豪奢な書面を見つめていた。王家の紋章が、油膜のような光を放っている。


「お前の調合した香水のおかげで、我が工房が王室御用達に内定した。……いや、訂正しよう。我が『バルト工房』の最高傑作が、な」


バルト兄様の、歪んだ笑み。その声を聞きながら、リゼットは無意識に自分の指先をこすり合わせた。


何度も何度も試作を繰り返し、強いアルコールと香料で荒れ果てた指先は、今もかすかに痺れている。何日も寝ずに、一滴の狂いもなく比率を計算し続けたあの夜の、頭が割れるような疲労感が一気に蘇ってくるようだった。


けれど、バルト兄様の手は白く、滑らかだ。調合台の前に一度も立ったことのないその手が、自分の努力の結晶を、さも自分の手柄のように握りしめている。


胸の奥が冷たく縮むのを隠しながら、リゼットは精一杯、声を絞り出した。


「おめでとうございます、バルト兄様。……では、次の仕込みの準備を……」


「その必要はない」


遮るような言葉とともに、リゼットの視界がぐらりと揺れた。

バルト兄様の手によって、リゼットの身体が乱暴に突き飛ばされたのだ。床に膝を打ち付け、鈍い痛みが走る。


「今日限りで、お前をこの工房から、そして我が家から追放する」


「え……?」


見上げるバルト兄様の顔が、信じられないほど冷酷に歪んでいる。


「お前のような無能をいつまでも置いておけるか。お前の作る試作品はどれもこれも地味で、華やかさに欠ける。王室に相応しいのは、私がこれから作る、もっと刺激的で最高級の香水だ。地味で薄汚いお前は、我が家の泥を塗る前に消えてもらう」


耳の奥で、カチカチと音がする。心臓が早鐘を打っていた。

あの香水は、ただの香水じゃない。魔力を安定させるために、リゼットが命を削るようにして編み出した、彼女だけの香りなのに。


「そんな……あの香水は、私の……!」


「黙れ!」


怒号とともに、目の前に男たちの太い腕が迫る。

バルト兄様が雇った護衛たちだ。リゼットの細い両腕が、容赦のない力で掴み上げられる。ミシリ、と骨が鳴るような痛みに、思わず悲鳴が漏れそうになった。


引きずられるようにして、暗い廊下を運ばれていく。視界が涙で歪んで、まともに前が見えない。

乱暴に押し出された先は、冷たい石畳の上だった。手放された身体が地面に転がり、手のひらに鋭い痛みが走る。


頭上から、小さな旅行鞄がどさりと落ちてきた。中身は、着の身着のままの服が数枚だけ。


「二度とこの街の土を踏むなよ、リゼット」


背後で、重い鉄の扉が閉まる。

ガチリ、という硬い鍵の音が、リゼットの鼓膜を容赦なく震わせた。世界から切り離されたような静寂が、じんじんと痛む手のひらへと集まっていくようだった。


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