40話目 (一年前) 私の記憶は人質 右子side
前回と同じタイミングでの右子sideです。
もう少しで第一章のエンディングです。
「アイン王子に関する記憶は右子様の頭の中から全て消し去ってくれ」
えっと、これは奏史様の声?
··········私は山洞宮医局室のベッドの上らしい。
目を瞑って見えないけれど、聞こえてくる会話で状況を認識しようとする。
頭が痛い。
たぶん··············保くんに頭を掴まれている。
頭に指が食い込むこの痛みを覚えてしまった。
時々、奏史様と保くんの会話が聞こえる。
私は寝ているのか、目を瞑っているだけなのか、頭は冴えているのに瞼がどうしても開けられない。
「でもさ、意味ないよ?記憶を消したって結婚誓約書の事実は消えないよ?」
「·········私がそのおぞましい事実とやらを王子諸共消し去ってくる」
奏史様の声は南極の氷上より寒寒しい。
即座に立ち上がる物音がする。
「いやいや、やめてやめて!
これは俺の責任だからさ。
奴は俺が始末してくるって言ったじゃん!
あんた権力はあるけどただの人間じゃん!
俺じゃないと無理だって!」
奏史様の殺気がひとまず落ち着いたようで、私までほっとする。
「あの淡白な右子様のことだ、諦めて和平の為に結婚すると言い出したらどうする?
記憶を消しておくに越したことはない」
「うーんでも、右子泣いてたもんな·······
あいつが泣いたのなんて初めてだよ。」
「右子様が泣いたのか·········?」
ゴクリと奏史様が喉を鳴らす音が聞こえる。
「よっぽど奴と結婚するのが嫌なんだろ。
いいさ、だからこうやって記憶を消してるんだし。
騙されて結婚誓約書にサインを強要されたなんて少女にはトラウマだもんな〜
ああ見えてけっこうあいつ乙女なんじゃん?」
やだ!泣いたポイントが違う!
ほいほいサインした自分が情けなくて口惜しくて涙が出ただけだし!
というより教会で保くんに人に対する攻撃を強要された時の方が間違いなくトラウマよ!?
ああ、声が出ないわ······!
「ついでに他の奴らにもこの件は秘密だな。虚偽の婚約にしても右子の瑕疵になったら経歴に傷がつく」
「ああ、もちろんだ」
「今回は俺も関わり過ぎたから、アイン王子の記憶と一緒に俺の記憶も消えちゃうよな〜·······
俺、右子の頭の中から消されるのもう何度目?」
「ふん、自業自得だ。右子様に色々な関わり方をして楽しんでるようにしか見えないぞ。この変態」
「ひどい!俺がお転婆の右子を躾けるのにどれだけ苦労してるか!?兄としての義務、お前なら分かってくれると思ってたのに!」
私はようやく納得した。
不思議とこの微睡みの中では自由に記憶を思い出すことができる。
いつもぼんやりしている記憶がクリアーになったのを感じた。
私は保くんらしきカテゴリーの記憶を総動員してみた。
今の 三日締 保 は帝宮警察所属の門番だ。
その前は 穂波 保 という名の私の専属執事だった。
そして、それ以前は、幼馴染の乳母の息子だったり小間使いの男の子だったりした事もあるけれどーーーーー
ずんずん記憶を引っ張り出す。
さすがにもっと小さい頃の記憶は朧げで···········
ふと、かつて邸にどんなに呼びかけても振り返らない小さな男の子がいたのを思い出す。
彼は誰とも話さず、誰とも目を合わせず、其処に居るけど居ないように過ごしていた。
あの子は·······
そうだ
あの子は、私の兄様、だったと思う。
異母兄なので、半分だけど。
彼のお母上は帝居にいられないほど身分が低いのか、それとも亡くなってしまったのか?
とにかく私は私の母以外の后や妃を見たことがない。
私の母は2番目の妃だった可能性を考えると複雑な気持ちになる。
つまり保くんは私の兄、そして帝子ということになる。
それなのに帝太子じゃないのは、母親の身分の低さからか、本人の資質の問題なのか。
『病の力』を自在に操っている有能そうな今の口ぶりなら帝太子になる事に何も問題無い気がする。
それなら、帝太子やってくれないかな?保くん。
そもそも、保くんはかなり見目の整った青年だ。
烏の濡羽色のような艶のある髪、漆黒の吸い込まれそうな深淵の瞳は、年齢は違えど現帝に瓜二つなのだ。
ふとした時の仕草や表情にまでも父と似ていると思った瞬間があったと思う。
それなのに、今まで私がいつも保くんを『兄』と認識出来なかったのはとても悔しい。
そして、今から嫌な記憶を消すためといえど頭の中を操作される恐怖を感じている。
今、私の体の外側は、頭に保くんの強い指先の力を感じていた。
次第にだんだん痛みも和らいで、内側にいる私の心は少しずつ眠くなってくる。
アイン王子との凶事はさて置き、
目が覚めたら保くんの全てを忘れている気がして怖い。
そして今考えていることもたぶん忘れてしまうだろう。
記憶は忘れても消えないで脳の奥底に保管される。
今は不思議とそれが感覚として理解できた。
その眠る記憶を起きている時にどうやったら呼び覚ます事ができるのか?
保くんに記憶回復の施術を迫るにしても、そもそも忘れた事すらも覚えていないと思うのに。
二人は別の話題に移っていた。
「私の直属の近衛兵を何名か連れて行ってくれ。
コーリア国の王族は『稀の力』を使うという。くれぐれも気をつけろよ」
「『稀の力』か。まやかしを見せる術だな。
今回は半蔵門でも教会でもその幻影にしてやられたよ。
登紅子の『声』の『病の力』だけならどうとでもなったんだが、コーリア国がここまで大掛かりに仕掛けてくるのは予想外だったな。」
保くんが悔しそうに唸っている。
「コーリア国の最終的な狙いは何だろうな········」
奏史様が独り言のように呟いた。
「右子がサンタ聖教会の教会を破壊した後、教会が跡形も無く粉々に霧散してようやく幻影だと分かったんだ。
破壊音や焦げる臭い。あんなに精度の高い幻影は初めてだ。
奴等の目的はまだはっきりとは分からない。
連れ去られた登紅子も心配だ。彼女も奪還しないとだな」
「近衛騎士の黃木も一緒にいるんだろう?彼らは夫婦としてコーリア国に行くんだな?」
「アイン王子の話を信じればそういうことらしい。··········まあ人質ってわけさ」
「いいさ。人質でいる間は安全だろう」
「ところでさ、登紅子はコーリア語はできるの?」
急に思いついたように保くんが聞く。
「ああ、数年前から登紅子様にはコーリア語の家庭教師がついていた。今は留美子様を教えてるらしいな。
権野宮家はコーリア国と頻繁に行き来があるらしい」
「ふーん、頻繁にねぇ。権野宮家、かなり怪しいな」
奏史様は沈黙したが、すぐに応じた。
「········調べてみよう」
その時、私は底暗い記憶の深淵に沈み始めていた。
やがて何も聞こえなくなっていった。
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