114 その態度と口調、雰囲気はーー。
「おまえは相変わらずだな」
「……うむ」
貼り出された期末試験の結果を眺めている二人。夕月は当然のように頂点に居座っており、二位との差を見るとどれだけ夕月が優れているのかが分かる。
教科によっては満点のものもあった。"教師泣かせの小日向"という事で、一部の教師は夕月に満点を取らせないように問題を作成している、そんな噂まで飛び交う始末だ。
手に持った缶コーヒーを飲みながらテスト結果を眺めていると、やかましい女が横入りしてきた。
「どうよ!? 赤点回避!! いえす!!」
「陽に感謝しとけよ?」
「分かってるわよ!」
夕月は「よしよし」と響の頭を撫でている。実際響はかなり頑張ったようで、テストの前日まで目の下のクマが取れる事はなかった。文字通り死ぬ気で勉強したのだろう。
なにはともあれ、三人は無事期末試験を乗り切った。約一名はぶっちぎりの一位だが。
(さて、これでボクシングに集中できるな)
拳を握り締めて、そのまま左手を前へと伸ばした。その様子を見ていた夕月は、どこか不満そうに楓の腕を叩いてくる。
「……遊園地!」
「あぁ、そういえばそんなのあったな」
「……むー!」
「怒るなって。日にちは合わせるからおまえが決めろよ」
それを聞いた途端、夕月は急いで鞄から手帳を取り出すと、楓の目の前にカレンダーのページを開いて見せた。二十五日、クリスマスの日の欄にウサギさんが無数に並んでいる。どうやら夕月は当初からこの日に決めていたようだった。
グイグイと手帳を押し付けてくる。「異論は認めない」と言いたいらしい。
「へー、クリスマスにデートしたいとか夕月ちゃん乙女だねー!」
「……クリスマス! ……クリスマス!」
「終業式の次の日か。いいぞ。断る理由もない」
「あんたには断る権利がないのよ」
「は? 喧嘩売ってんのかゴリラ女」
「なによ?」と強気の響を見て、夕月はどこか嬉しそうだ。テスト前はあまり元気がなかった響だったので、こうして普段通りに喧嘩を売ってくると、ようやく本来の響に戻ったのだなと実感する。
この場に陽がいないのが少々物足りないが、間もなく退院と聞いているため、近いうちに響との夫婦漫才が見られるだろう。
「私はどうしよっかなークリスマス」
「ん? おまえは陽のところにいるんじゃねえの?」
「そうなんだけどさ。陽の両親もいるじゃない?
若干気まずいのよね」
陽の両親とは楓も何回か遭遇している。二人共穏やかな性格で、いつもニコニコしている印象だ。「あぁ、やはりこの人達が陽の両親だ」とすぐに納得したものだ。もっとも、母親の方は最初に会っていた訳だが。
響も二人と仲が悪い訳ではなく、むしろ良好な関係と言えるだろう。とはいえ、波風穏やかな凪のような雰囲気の中では、嵐のような少女には若干居心地が悪いというのも分かる気がする。
決して同情ではないが、なんとも言えない難しい顔をしている響を見ていると、少しだけ応援したい気持ちも芽生えてきた。ほんの僅かだが――。
「どうせ結婚すんだろおまえら。がんばれよ」
「あんたに応援されるとむず痒いんだけど。気持ち悪っ!」
「殴っていいか?」
「あんたは女性も容赦なく殴るの? 野蛮人」
「おまえは女性ではない。"響"という種だ。何も問題はないな」
「やれるもんならやってみなさいよ!」
響は慣れないファイティングポーズをとっている。ニヤニヤした顔が実に気に入らない。
と、ここで陽が上手く仲裁するまでが一連の流れなのだが、今回は代わりに夕月が間に入ってきた。
「……争わないで……私の……ために」
「おまえの思考回路はどうなってんだ?」
「……冗談も……通じない……やれやれ」
夕月は火に油を注いだだけだった。
「はい、そこまで」
「パン!」と手を叩く音と共に、後ろから声が聞こえた。振り返ると泉が立っている。
「廊下で何をやっているのあなた達は。仲がいいのは分かったけど程々にね」
「「誰が仲いいって!?」」
「ほら息ぴったり。それと神代くん、呼んでるわよ?」
泉が視線を向けた先に立っていたのは、一人の男子生徒だった。記憶に間違いがなければ初対面のはずだが――。
その男子生徒は全体的に線が細く、病気とまでは言わないまでも貧弱な印象だ。割と中性的な顔立ちなのだが目が鋭く、そのせいかキリッとしまった印象を受けた。
楓が不思議に思っていると、その男子生徒は愛想のいい笑顔を見せながら近寄ってくる。どうやら敵意は感じられない。
「神代楓さん、ですね?」
「あぁそうだが。間違ってたら悪いが初対面だよな?」
「はい、そうです。ですが僕はあなたを知っています。どうしても……どうしても、話してみたくなったんです」
男子生徒の表情に僅かに悲しみの色が見えた気がした。初対面のはずなのに楓の中で何かが引っかかる。第六感など持ってはいないが、この男子生徒と話がしてみたい――。なぜかそう思った。
「よければ放課後に少しだけ時間をもらえませんか?」
「……あぁ、わかった」
「ありがとうございます!」と綺麗なお辞儀をして男子生徒は去った。
(なんだこの感じ。どこかで)
「神代くん。あの男子生徒は知り合いなんですか?」
「いや、初対面だ。初対面のはずなんだが」
「…………名前……聞けば……よかった……のに」
「確かにそうだな。忘れてた」
「この学校じゃあんたはもう有名人だもんね。それにしても――。不思議な空気を持った人だったわね」
「まぁ悪い奴ではなさそうだしな。放課後になれば分かるだろ」
(……)
授業開始のチャイムに思考を中断され、楓は教室に戻った。
◇ ◇ ◇
放課後になった。
よく考えてみると、例の男子生徒について何も知らない事に気付く。名前はおろか、どこのクラスなのか、そもそも何年生なのか。
「さて、どうするか」と悩んでいたがそれも杞憂だっようで、その男子生徒はすでに楓の教室の入り口に立っていた。
「朝は突然申し訳ありませんでした。これから時間ありますか?」
「あぁ、構わないぞ。どこ行くんだ?」
「では」と付いて行った先は屋上だった。ドアを開けると同時に冷たい風が流れ込んでくる。この時期にわざわざ屋上に来る者は少ないだろう。不良の三年生がいたとしても、楓には好意的だろうし問題はない。
冷たい風は強く吹き付けてくるが、日差しの暖かさのおかげか、思っていたよりは寒くはない。
「あ、今更ですが自己紹介まだでしたよね?」
「そうだな。俺は神代楓って名前だ」
「知っています」と男子生徒はクスクス笑っている。
「はじめまして、僕は天童優希っていいます」
「天童?」
「あぁ、やっぱり似てる。神代くんはそっくりだ!」
「待て、話が見えない。あのおっさんに子供はいなかったはずだ」
「ええ、そうです」と優希はニコニコと笑いながら説明していく。
「明さんは僕のお父さんの従兄弟、つまり伯従父にあたりますね」
「なるほど、血縁者か」
優希の顔をじっと観察していると、感じていた違和感の正体が分かった。
(……そうか。そっくりだ目つきが。おっさんの目だ)
体格も顔つきも何もかもが明とは違う。それでもたった一点だけ――。優希の瞳は明のそれだった。
――忘れるはずもない。いや、忘れられる訳がない。
夢にまで見た男の姿が優希に重なる。
呆然と立ち尽くしたままの楓を見て、優希はゆっくりと語り始めた。
「僕、昔から病弱で。いや今もなんですけどね。ははは」
「……そうなのか」
「はい。身体が弱くて、それでも男らしくなりたくて。そんな僕にとって明さんはヒーローでした。でも」
「あぁ、おっさんはもういない」
優希は眉間に皺を寄せて視線を下へと落とす。沈黙したまま少し経つと小さく息を吐いた。
昔を思い出していたのだろう。楓は口を挟まずに優希が話すのを待つ。
「太々しい態度、話し方、纏っている空気。……なによりボクサーであるという事。神代さんと話していると明さんと話しているみたいで。懐かしくて、凄く嬉しくて――」
「泣きたくなります」と優希は伝えてくる。泣きながら笑ったら人はこんな顔をするのだろうか。涙こそ見せないが、その内面を曝け出すかのような表情を見ると、なぜかいたたまれない気持ちになった。
「明さんが病気になる前。ちょうど引退後に神代くんと出会った時期です。よく家に遊びに来てくれました。父と僕に嬉しそうに話してくれたんです」
『凄え奴に会ったんだ! クソ生意気なんだが天才だ!』
「びっくりしましたよ! だって明さんがボクシング関連で、誰かを褒めるのなんて初めて聞きましたから。しかも聞くと僕と同じ歳だって言うじゃないですか」
「そうか、おっさんが……」
「でも教えてくれたのは歳だけで、神代くんの名前は教えてくれませんでした」
「ん? なぜだ?」
「それがですね。『将来圧倒的な強さでベルト取るからよ。その時に嫌でも分かる』だそうです」
「意味不明だな。何考えてんだかあのおっさんは。ま! 圧倒的な強さでベルト取るってのは合ってるが」
「ふふっ、やっぱり似てるんですね」
改めて優希の全身を観察してみると、やはり何かスポーツをやっているようには見えない。明に憧れるならボクシングをやっていてもおかしくないと思ったが、明らかにボクサーの体格でもなかった。
そんな事を考えていると、優希はそれを察したようで、自嘲するように話し続ける。
「この通りです。僕はスポーツは全く向いていないようで。勿論ボクシングもやろうとしましたよ? でもやっぱりダメでした」
「まあ、ボクシングはハードだしな」
「ええ、そうなんです!」
やれなかったという割には嬉しそうに優希は話す。その様子が不思議で楓は首を傾げた。
「僕には無理だけど神代さんなら。……駿河さんと戦ってるのを見てすぐに分かりました。明さんが言っていた人はこの人なんだなあって」
「なんで分かったんだ? 同い歳のボクサーなんて腐る程いるだろ?」
「分からない訳ないですよ。だってそっくりですから。生き写しです」
「……」
どう答えていいのか分からず、楓は押し黙ったまま俯いた。
明に似ていると言われて、嬉しい気持ちと納得いかない気持ちが混在している。それでも結局は――。
「俺の方が強い。いや、俺の方が強くなる。それは決定事項だ」
「そんな気の強いところもそっくりなんですよ?」
優希と話していると、全てを受け流されるような感覚に陥り、楓は「これは無駄だな」と説明するのを諦めた。




