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101 不気味な影

いつも読んでいただきましてありがとうございます。


今回から少し空気が変わります。

 ただそこにいるだけで。


 言葉は少なくとも笑顔を見せるだけで。ただそれだけの事で周囲を魅了してしまう――。それが夕月という少女だ。


 しかも今日は浴衣姿の特別仕様で、逆に注目するなというのが無理な話なのかもしれない。


 とはいえ、夕月と一緒にいると何度も感じるこの感覚は、慣れたとはいえ不快な事には変わらない。


 校内では割と有名になってしまった楓・夕月コンビであるが、外部からの人が多い今日は、どうしても男連中からの視線が集まってしまうようだ。


 そわそわしているのは、声を掛けようか迷っているといったところか。


(面倒だな)


 昼休みぐらいはゆっくりしたいのだ。ただでさえ着慣れない燕尾服で鬱憤が溜まっており、加えて慧とのサプライズ戦だ。体調面ではそれほど影響ないのだが、精神がごっそりと削られている。


「はぁ……夕月。ちょっとこっち来い」

「……む?」


 夕月は首から下げたカメラを、両手で抱きしめるように隠す。


「取らねえよ!! いいから椅子ごと近くに来い!」


 不思議に思いながらも、夕月は椅子ごと楓の隣へと移動してきた。すぐさま楓は夕月の頭を優しく撫で回した。


「…………うむ」


 夕月の髪はいつだってサラサラで、引っかかりのない滑らかさは、油断しているといつまでも触っていたくなる。


 公衆の面前で抱きしめるのは、さすがに楓でも避けたい。親密な関係を見せつけるにしても、これぐらいが限度だった。それでもかなりの効果はあったようで、諦めるように下を向く男達の多いこと多いこと。


「お二人は本当に相思相愛なんですね」

「なんかムカつく。楓のくせに」


(もう十分だな)


 夕月の頭に乗せていた手を引っ込めようとすると――。


「やめろ! 離れろ!」

「……楓から……触れてきた……くせに」


 夕月はいきなり腕を組んできた。いつの間にか手もしっかりと握られており、密着したまま離れない体勢をとっている。腕に柔らかい感触を感じるが、それでも夕月は全く気にする素振りはない。


「色々当たってるから、マジで離れろ」

「…………別に……楓なら……いい」

「俺がよくねえんだよ!!」

「……なんなら……直接」

「バカかおまえは!!」


「やりすぎよ」と泉は溜息をついた。周囲を見渡すと、まるで信じられない物を見るかのような視線ばかりだ。大半は楓への嫉妬であるが。


 そもそも楓が不用意だったのだ。ただでさえ、楓に対する好感度がうなぎ登りの夕月に、なんの断りもなく触れてしまった。夕月からすると"スキンシップ解禁"の合図にしか思えない。


 だから夕月はめいいっぱい楓にくっつくのだ。楓から触れてきたのだからこれは当然だ、と。


「……むふふ」

「もういい、好きにしろ。どうせ見られまくったから手遅れだ」


 結局は楓達の休憩中ずっと、夕月は楓のそばから離れなかった。





 ◇ ◇ ◇





「そういえばずっと陽見てねえな」

「あぁ、藍原さんは宣伝部隊よ」


 聞けば、楓と慧がやり合う直前に泉から指示したらしい。集客のスピードが異常だと思っていたが、そこにも泉が一枚噛んでいた。さすがに抜け目がない。陽の姿をずっと見ていないのは、どうやらそういった理由らしい。


 売り上げは上々で、一日目の昼過ぎの段階で目標金額に届いてしまいそうな勢いだ。少しでも貢献できたのなら、見せ物のようになってしまった慧との一戦も、それほど悪くなかったのだと思えた。


 クラスの中は笑顔で溢れていた。感じた事のない空気に、自分でも説明しにくい感情が芽生える。それが何なのかわからずに、ただ楓はその光景を眺めていた。


 窓から差し込む陽は、直視するには少し眩しすぎる。陽を背負うように窓に寄り掛かっていると、不意に隣から声が聞こえた。


「……初めてじゃない? あんたがこんなに学校行事に関わったの」

「そうかもな」


 昔から楓の姿を見てきた響は、楓の変わりように驚いていた。触れたら切れてしまいそうな、諸刃のような危うさ。


 他者を一切寄せ付けないのが、神代楓という人間だった。


 それが今はどうだ。相変わらず隙があれば一人になろうとするが、クラスメイトを見つめるその瞳はどこか優しい。


「そうね。モテるのも仕方ないのかもね」

「彼氏自慢か? 陽がモテるのは十分知ってるぞ」

「ふふっ! そうね……モテるわね」

「そうだ! モテるんだぞ俺は!!」


 気がつくと陽が隣に立っていた。「ほい二人ともこれ」と缶コーヒーを投げてよこした。


「あんたにしては気がきくじゃない」

「夕月さんのクラスで縁日みたいなやつやっててさ。夕月さんから楓と響に、って」

「あー、そっかあいつのクラスってそんなのやってたんだっけか」

「夕月さんプンプンだったぞ。「楓は?」って散々責められた」


 自分のクラスが大繁盛だったので、夕月のクラスの事をすっかり失念していた。時間を見つけて顔を見せる約束はしていたが、今だに行けていない。


(今から行くのも面倒だな。明日にするか)


 響と陽はジト目で楓を睨んでいる。


「あんた面倒だから明日にしよう、とか思ってるでしょ?」

「夕月さん泣いちゃうぞ!」

「でも俺も抜けられないしな。明日だろ」

「それでは神代くんが、藍原くんと入れ替わりで宣伝してきてください」


 三人の会話を聞いていたのか、泉がそう提案してくる。宣伝がてら夕月のクラスに行ってこい、ということらしい。


 楓は小さく息を吐くと上着を脱いだ。


「あら、服は着替えてはダメですよ? 燕尾服で看板を持っていってくださいね?」

「……嘘だろ? マジかよ」


 ――公開処刑だ。


 痛い格好のままクラスの看板を持って行け、という事らしい。陽のキャラであれば問題ないだろうが、楓が同じ事をするというのは、もはや一種の罰ゲームに近い。


 楓以外の三人は「当然だ」とでも言いたいように頷いている。


「いやー、今の楓なら宣伝効果抜群だろ! 売り上げに貢献しろ!」

「早く行きなさいよ。夕月ちゃん待ってるでしょ!」

「よろしくお願いしますね。神代くん」

「……ちっ」


 看板を肩に乗せると、文句を言いながらも教室を出る。慧との一戦がかなりインパクトがあったようで、すれ違う他生徒、さらには教師にまで声を掛けられる始末だ。


 無視はしないが、対応を面倒だと感じてしまう。恐らくは動画を撮っていた者も多いと思われ、拡散は楓が思っている以上に早い。


(仕方ねえなこれは。人の噂も七十五日だっけか。飽きるだろすぐに)


 欠伸をしながら夕月の教室へと向かう。





 ――ふと視線を感じた。粘っこい嫌な感じだ。





 感じた視線はすぐに特定できた。廊下を歩く先、ちょうど夕月の教室の前ぐらいだろうか。じっと楓を見つめている男がいる。


(……イラつく目つきだ)


 歳は楓と同じぐらいだろうか。身長は楓より若干高そうで、しかも横幅もある巨漢である。だが顔は幼く見え、高校生ぐらいなのだろうと感じた。キツネ目に団子鼻で、お世辞にも整った顔立ちとは言えない。


 細い目の奥からは、悪意のようなものを確かに感じた。粘っこく纏わりつくような、気持ちの悪い視線だ。


 とはいえ、そんな程度で怯む楓ではない。そんな視線など気にする事なく近付くと、教室の入り口を塞ぐように立っている男に容赦なく一言。


「どけ、邪魔だ。通れねえだろ」

「……」

「聞こえてんのか?」

「神代、楓」


 男はニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべている。


「あ? そうだが? 俺はおまえなんて知らねえ。どけ」


 男は少し間を置いてから、スッと横に移動した。男の顔を観察しながら楓は教室へと入ろうとした。





 その時――。





 ガッ!!



 鈍い打撃音が廊下中に鳴り響く。


「……おい。なんのつもりだデブ」

「へぇ」


 ストレートでもフックでもない。ただ振り回しただけの右のパンチを、それでも楓はしっかりとガードしていた。


 男の目つきは普通ではなく、いきなり仕掛けられる気配を楓は敏感に感じていた。だが、驚くべきは男のパワーだ。ガードを固めていたのに楓は身体ごとズレる。パンチがあまりに雑なのでボクサーではないだろう。


「正気か? 校内だぞ?」

「あ、そうだった。楽しみは取っておかないと」

「……おまえは何だ? 目的は?」

「そのうちわかるよ。僕はね、君を許さない」

「は?」


 目的も、自身の名前すら語らず男は去った。ガードした右手が震えている。


(ちっ、嫌な感じだ)


「……楓!!」


 小走りで夕月が近寄ってきた。心配そうに見つめてくる。


「心配すんな、大丈夫だ。それより……」

「……なに?」

「あのデブに見覚えはあるか?」

「……知らない」


 ――あいつは危険だ。何をするかわからない。


 直感で楓はそう感じた。目的は不明だが必ず危害を加えてくる。そう確信した。この警鐘は決して無視できる類ではない。


(……夕月か?)


「夕月」

「……?」

「これからしばらくは俺から離れるな。登下校もだ。朝は迎えに行く。帰りは送っていく」


 普段の夕月なら、こんなセリフを聞いたら手放しで喜ぶところだが、楓の表情は真剣そのものだった。


 夕月は小さく頷いた。


「…………わかった」

「悪いな」

「……んーん……嬉しい」


 仮に夕月が目的だとして、何か危害を加えようものなら――。


(殺すぞ。デブが)


 楓が殺気立つ程の何かが男にはあった。

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