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四川の焔  作者: 水前寺鯉太郎
第四部:西北砂塵編(せいほくさじんへん)

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第74話:鳳凰の翼、甘味の真実 ――トドメの点心、黒き麒麟の瓦解――

浄化の清湯スープによって、黒曜の毒の霧は晴れた。

 静寂が戻った紫禁城の広場に、宦官たちの声が厳かに響く。

「……点心、および甜品デザートの入場ッ!!」

 黒曜は、血の滴る金銀の包丁を握りしめたまま、最後の虚勢を張って自らの菓子を差し出した。

 『糖醋荷藕(甘酢蓮根)』の飾り盛り、そして宮廷伝統の『各種餑餑(蒸し菓子)』。金箔をこれでもかとあしらい、視覚的な美しさを極限まで高めた、まさに「権力の象徴」たる菓子。

「……見たか! どこまでも甘く、どこまでも高貴! これこそが、天上の御方が食すべき菓子だッ!」

 だが、皇太后の目は、黒曜の金色の皿には向かなかった。

 彼女が見つめていたのは、蓮が差し出した、一見すると不格好で、しかし温かい湯気を立てている素朴な小皿だった。

 蓮が作ったのは、『慈禧小窝頭(トウモロコシのプチお焼き)』。

 そして、横浜から届いた栗を、乾の乾燥技術と燕の直火で一瞬にして甘味を凝縮させた、独自の**『栗の蜜饯みつづけ』**。

「……馬鹿なッ! 窝頭ウォトウだと!? そんなものは、貧しい民が、飢えを凌ぐために喰らう粗末な粉の塊ではないかッ!」

 黒曜が、勝ち誇ったように笑う。

「……そうだ、黒曜。これは、民の食い物だ」

 蓮は、熱した指先で、焼き上がった窩頭をそっと持ち上げた。

「……だが、母さんが残したレシピの断片には、こうあった。『真の満漢全席とは、貴族の贅を民に分け与え、民の温もりを貴族に思い出させるもの』だと。……あんたの菓子には、民への慈悲がない」

 皇太后が、蓮の温かい小窩頭を、指でつまみ、口へと運んだ。

 サクッ……ホロリ。

 素朴なトウモロコシの粉の香りが、口の中で優しく爆発する。それは、甘味料で塗り固められた甘さではない。大地が育てた小麦と、栗の、生命そのものの「噛みしめる甘さ」だった。

「……ああ。……懐かしい。……私がまだ、この城の奥深くに囚われる前、市井の泥の中で、母と笑いながら喰らった、あの温もりだ」

 皇太后の目に、今日一番の、温かい涙が溢れた。

 彼女が求めていたのは、金箔に彩られた虚飾の甘味ではない。かつて自分が「一人の人間」であったことを思い出させてくれる、温かい大地と民の味だったのだ。

「……勝負は、決した」

 皇太后が、黒曜の金皿を、冷たく押し退けた。

「……う、あ、あああぁぁぁッ!!」

 黒曜の喉から、獣のような悲鳴が上がった。

 自らの完璧な支配が、たった一つの、泥臭い民の菓子によって完全に瓦解した。黒曜は狂ったように金銀の包丁を振りかざし、蓮へと躍りかかる!

「……死ねッ! お前さえいなければ、私は、兄上を超えて、この国の頂点に立てたのだぁぁッ!!」

 刃が蓮の喉元に迫る。

 だが、蓮は避けない。

 その時。

 紫禁城の重い門の向こうから、一筋の「銀光」が飛来した。

 

 ガガァンッ!!

 黒曜の金銀の包丁が、中空で砕け散った。

 石畳に突き刺さったのは、門前に預けられていたはずの、あの錆びた、不格好な――**『山西の名もなき鉄片』**だった。

 皇太后が、密かに衛兵に命じ、門前に置かれた鉄片を蓮の元へと届けさせたのだ。

「……待たせたな、相棒」

 蓮が、地面から鉄片を引き抜いた。

 刃物禁止の紫禁城。だが、最高権力者である皇太后自らが、その鉄片を「真の包丁」として認めたのだ。

 鉄片を手にした蓮の前に、もはや黒曜の入る隙はなかった。

 蓮の鉄片が、一閃。

 黒曜の衣服の胸元を正確に切り裂き、彼が隠し持っていた毒の粉を、中空へと飛散させた。

「……終わりだ、黒曜。……復讐も、支配も。……俺たちの『満漢全席』が、今、すべてを洗い流した」

 黒曜は、膝から崩れ落ちた。

 紫禁城を包むのは、もはや権力の黒い霧ではない。トドメの点心がもたらした、どこまでも温かく、優しい、大地の香気だった。

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