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四川の焔  作者: 水前寺鯉太郎
第四部:西北砂塵編(せいほくさじんへん)

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第71話:萬里帰一、開宴の鐘 ――冷徹なる極彩、熱砂の鼓動――

紫禁城の広大な石畳に、一〇〇のかまどが並び、一〇〇の炎が夜の帳を焼き払う。

 皇太后の御前、ついに満漢全席の調理対決が幕を開けた。

「……開宴ッ!!」

 宦官の甲高い声が響くと同時に、黒曜が金銀の包丁を閃かせた。

 彼がまず手掛けたのは、満漢全席の導入を飾る『冷菜(前菜)』の数々。

 『喜鹊登梅(カササギが梅に止まる)』。

 黒曜の包丁が、買い占めた最高級の食材を鮮やかに彫刻していく。カササギの羽一枚一枚までが、氷細工のように冷徹な美しさで皿の上に再現された。

 さらに**『天香鮑魚(アワビの冷菜)』、『五香仔鸽(若鳩)』**が、完璧な秩序を伴って皇太后の卓へと運ばれていく。

「……見たか、蓮。これが『支配』の味だ。一分の隙もない、完璧な形式。お前の泥臭い指先では、この美しさの足元にも及ぶまい」

 対する蓮の調理場。そこには、横浜から駆けつけた同胞たちが持ち込んだ、潮風の匂いのする食材が並んでいた。

 蓮は鉄製指サックをはめた指先で、安価なウサギ肉の繊維を優しく、しかし確実に解きほぐしていく。

「……俺たちが作るのは、かたじゃない。……『命』だ」

 蓮が提示した冷菜は、『陳皮兔肉(陳皮のウサギ肉)』。

 かんが砂漠から持ち寄った、極限まで乾燥させた陳皮(ミカンの皮)の苦味。そこに、横浜から届いた「黄金の鰹節」の出汁を、鉄片の余熱で染み込ませた一品。

 

 さらに、『姜汁魚片(生姜汁の魚)』。

 泥臭いコイの薄切りを、えんが直火で炙った生姜の絞り汁で洗い流し、リンが嗅ぎ分けた「一瞬の鮮度」を閉じ込めた。

 皇太后が、黒曜の『喜鹊登梅』に箸をつける。

 美しい。だが、彼女の眉は動かない。

 次に、蓮の『陳皮兔肉』を口にする。

 陳皮の苦味と鰹節の深い旨味が、毒に疲弊した胃腑を、まるで温かい毛布のように優しく包み込んだ。

「……ほう。……この苦味、そして海の香り。……冷たいはずのさいが、身体の芯を燃やすようだ」

 焦りの色が、黒曜の眉間に刻まれた。

 彼はすぐさま、中盤の『点心』と『熱炒ねつしょう』へと舵を切る。

 **『慈禧小窝頭(窩頭)』を蒸し上げ、『油焖大蝦(油煮えび)』**の芳香で広場を支配しようとする。

 だが、蓮たちの動きは止まらない。

 乾が提供した**『四喜乾果(ナッツ類)』と、横浜の蜜漬け技術を合わせた『四甜蜜饯』が、宮廷の漬物『醤菜四品』**と完璧なコントラストを描き出す。

 それは、もはや一人の料理人の戦いではなかった。

 横浜の誇り、山西の不屈、四川の熱情、砂漠の忍耐。

 四つの地を巡った蓮の「旅の記憶」が、一つの巨大な宴となって、黒曜の権力という名の壁を、音を立てて崩し始めていた。

「……バカな。……ただのナッツやウサギ肉が、何故、私のあわびや燕の巣と対等に渡り合える……ッ!」

 黒曜の指が、ついに初めて、食材ではない自分の指を傷つけた。

 鮮血が、金色の包丁に滴り落ちる。

 

「……黒曜。あんたが『美』を彫っている間に、俺たちは『心』を煮込んでいたんだ」

 満漢全席、最初の一幕。

 紫禁城を包む冷たい空気の中に、横浜中華街の活気と、砂漠の熱風が混ざり合い、真のクライマックスへと向かって咆哮を上げた。

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