第69話:素手の舞、無刀の解体 ――指先の刃、虚飾の牙を剥ぐ――
紫禁城の御前。
豪奢な天蓋の下、玉座には老齢ながらも圧倒的な威厳を放つ皇太后が鎮座していた。その顔は、黒曜の毒によって生気を失い、目は虚ろ。味覚を失った最高権力者は、ただ無感動に二人の料理人を見下ろしている。
左側には、黒曜。
買い占めた最高級のフカヒレ、熊の掌、ツバメの巣を、金銀の包丁で傲慢に捌いている。
右側には、蓮、燕、乾、リン。
彼らの前には、市場のゴミ捨て場同然の場所から拾ってきた、泥臭い淡水魚のコイと豚の白モツ。そして、包丁は一本もない。
「……ククク。……蓮よ。手づかみで泥を捏ねるか? 皇太后陛下の御前で、無様な醜態を晒すがいい!」
黒曜が、嘲笑と共に、美しく飾り立てられた前菜を皇太后の前に差し出した。
だが、皇太后は箸をつけようともしない。彼女の舌は、すでに毒によって死んでいるのだ。
「……笑うな、黒曜。……包丁がないなら、俺の指を刃にするだけだ」
蓮が、静かに一歩前に出た。
蓮は、竈の強火に自らの両手を翳した。
燕が、ふいごを操り、炎の温度を極限まで引き上げる。
「……蓮! 手の皮が焼けるぞ!」
「……構うな、燕! ……今だ!」
蓮の指先が、熱を帯びて赤黒く光る。
蓮は、その熱い指先を、泥臭いコイの背ビレの付け根へと、迷いなく突き立てた。
身の焦げる音。だがそれは、蓮の指ではなく、コイの「脂肪と結合組織」が、蓮の指の熱によって一瞬で溶ける音だった。
「……そこだ、蓮! 背骨の右、三寸のところに、一番太い神経の束(匂いの芯)がある!」
リンが、目を閉じて、コイの体内を流れる微かな「血と泥の匂い」を指し示す。
「……了解だ!」
蓮の指が、コイの肉の繊維の中を、まるで名刀のように滑るように進んでいく。
乾が、砂漠で培った「浸透圧の塩」を、蓮が指を滑らせた跡に一瞬で擦り込んでいく。塩分が、肉の水分を奪い、結合をさらに脆くさせる。
蓮が指を引き抜いた瞬間、コイの全身の骨が、肉の繊維を一切傷つけることなく、一本の「白い樹形」のまま、綺麗に抜き取られた。
内臓も、一切の破裂なく、蓮の指に絡め取られて摘出される。
「……バカなッ! 包丁も使わずに、コイを三枚におろしただと……!?」
黒曜の顔から、余裕の笑みが消え失せた。
蓮は、骨を抜いたコイの身と、叩き潰した豚のモツを、鉄鍋の中へと放り込んだ。
そこに、第66話で熱した鉄片を叩き込んで作った『黒酢と山査子の覚醒液』を一滴、垂らす。
燕の超強火が、泥臭い淡水魚とモツを、一瞬にして黄金の白濁したスープへと変貌させる。
「……陛下。……お召し上がりください。……これが、俺たちの『最初の一皿』です」
蓮が、素手で、しかし指先一つ汚さずに完成させたスープ。
泥のコイとモツから作られたとは思えないほど、透き通った黄金の液体。
皇太后の、虚ろだった鼻腔に、黒酢と山査子の鋭利な酸味が、そして干し牡蠣の濃厚な潮の香が、微かに、しかし確かに届いた。
皇太后の、細く白い指が、ゆっくりと匙へと伸びた。




