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四川の焔  作者: 水前寺鯉太郎
第四部:西北砂塵編(せいほくさじんへん)

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第68話:没収の罠、素手の調理場 ――魂の鉄片、紫禁城の門前に散る――

 一ヶ月後。

 北京の空が、重い雲に覆われた。

 蓮、燕、乾、リンの四人は、ついに中華の頂点・紫禁城の巨大な赤い門の前に立っていた。

 中に入れば、皇太后の御前で行われる「満漢全席」の決戦。黒曜が待ち受けている。

 だが、門をくぐろうとしたその時、黒い衣服を纏った宮廷の衛兵たちが、抜き身の槍を蓮たちの胸元に突きつけた。

「……止まれ。……皇太后陛下の安全のため、一切の刃物の持ち込みを禁じる」

 衛兵の後ろから、嘲笑うような顔をした黒曜が現れた。

「……ククク。……蓮よ。いくら泥の食材を至高の珍味に変えようと、それをさばく刃物がなければ、何もできまい」

 黒曜が、蓮の腰に下げられた山西の鉄片を指差した。

「……その、薄汚れた鉄の塊を、ここに置いていけ。……置いていかなければ、不敬罪ふけいざいとしてその場で斬り捨てる」

「……何だとッ!? 料理人に包丁を捨てろってのか!」

 燕が激昂し、山刀の柄に手をかけた。

「……待て、燕」

 蓮が、静かにそれを制した。

 蓮は、腰の鉄片を見つめた。

 山西の泥の中で拾い、数々の死線を共に潜り抜けてきた、不格好な相棒。

(……すまない。……少しの間だけ、ここで待っていてくれ)

 蓮は、何も言わず、鉄片を鞘ごと衛兵の足元へと置いた。

「……蓮ッ!?」

 乾が驚きの声を上げる。

「……いいさ。……刃物が使えないなら、使わずに調理するだけだ」

 蓮の瞳には、一切の迷いがなかった。

 黒曜は、蓮のその泰然とした態度に、一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに鼻で笑ってきびすを返した。

「……ハッ! 虚勢を張るな。……満漢全席の何百種もの食材を、刃物なしでどう捌く。……精々、手づかみで無様な料理を作るがいい!」

 鉄片を奪われたまま、蓮たちは紫禁城の広大な調理場へと足を踏み入れた。

 そこには、最高級の調理器具と、黒曜が買い占めた贅沢な食材が山のように積まれていた。対する蓮たちの前には、昨日ゴミ捨て場から拾ってきたような、泥臭いモツと淡水魚のコイ。そして、刃物は一本もない。

「……蓮、本当にどうするんだ。……コイのうろこも剥がせないし、モツの繊維も切れないぞ」

 乾が、焦燥に駆られた声を出す。

「……乾、燕、リン。……俺の『手』を信じてくれ」

 蓮は、調理台の上にコイを並べた。

 そして、両手を強く握り締め、熱いかまどの火に、自らの手をかざした。

「……刃物がないなら、俺の指を『刃』にする。……燕の火で熱した指先と、乾の乾燥スパイスの浸透圧。……そして、リンの嗅覚で、食材の『結合部』を正確に見極める。……三人の力があれば、骨も、肉も、素手で解体できる!」

 蓮の指先が、熱と、仲間たちの知識を宿して、静かに、しかし力強く、泥臭いコイの腹へと突き立てられた。

 鉄片を奪われた料理人の、肉体そのものを武器にした、前代未聞の「素手ハンド・クッキング」の戦いが、今、幕を開けた。

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