第67話:消えた珍味、市井の逆襲 ――泥のモツ、フカヒレを穿つ――
北京の巨大な食材市場。
蓮、燕、乾、リンの四人は、立ち尽くしていた。
市場の問屋たちは、蓮の顔を見るなり、一斉に首を振ってシャッターを下ろしていく。
「……すまねえ、蓮の旦那。黒曜様に睨まれたら、俺たちは北京で商売ができねえんだ。……熊の掌も、フカヒレも、アワビも、全部麒麟会が買い占めてっちまったよ」
黒曜による兵糧攻め。
満漢全席とは、山海の珍味を何百種も並べる宮廷の宴。その主役となる高級食材が、一つも手に入らない。
「……汚い手を使うな、あの男は。……これじゃ、満漢全席なんて作れないじゃないか」
燕が悔しそうに拳を握りしめる。
「……いや、まだ道はある」
蓮は、市場の裏手、誰も見向きもしないゴミ捨て場のような一角へと歩いていった。
そこには、精肉業者が捨て値で叩き売っている、血抜きもされていない**『豚の白モツ(内臓)』と、泥臭い『淡水魚のコイ(鯉)』**が転がっていた。
「……蓮、そんな泥臭い、安物の食材で、フカヒレやアワビに勝てるわけがない!」
乾が驚きの声を上げる。
「……乾。……俺の鉄片を見てみろ。……こいつも、山西の泥の中に捨てられていた、ただの鉄の塊だ。……磨けば、名刀をも凌ぐ刃になる」
蓮は、泥だらけの豚の白モツを掴み取った。
「……高級食材に頼る満漢全席は、黒曜の領分だ。……俺たちは、誰も見向きもしない『泥の中の命』で、満漢全席を組み上げる」
蓮は、竈に火を熾した。
まず、豚の白モツを、鉄片の腹で徹底的に叩き潰す。繊維をズタズタに引き裂き、流水で徹底的に血と臭みを洗い流す。
「……燕、四川の山椒と、白酒をくれ。……乾、お前が砂漠で持っていた、あの『乾燥させた果物の皮』を粉末にしてくれ」
「……応ッ! 泥臭さを、俺の香気で焼き切ってやる!」
「……乾燥皮(陳皮:チンピ)の苦味を、旨味のアクセントに変えてやる」
仲間たちが動いた。
蓮は、叩き潰したモツを、鉄片の超高温の熱で一気に焼き上げる。
そこに、燕の山椒と白酒、乾の陳皮の粉末を投入。
立ち昇ったのは、モツの獣臭さではない。
香草と酒の香りを吸い込み、鉄片の熱で極限まで凝縮された、『豚モツの黄金スープ(白湯:パイタン)』。
さらに、泥臭い淡水魚のコイの浮き袋を、乾の乾燥技術で一度干し上げ、それを蓮の鉄片の熱で一瞬で油で揚げる。
バリッ、サクッ……。
それは、まるで最高級のフカヒレや魚の浮き袋(魚肚:ユウトウ)のような、繊細で、濃厚な食感へと生まれ変わっていた。
「……できた。……『泥中の金糸』だ」
小皿に盛られた、安価なモツと淡水魚のコイ。
だが、その味は、最高級のフカヒレを凌駕するほど、濃厚で、しなやかな弾力を宿していた。
リンがそれを一口頬張り、目を輝かせる。
「……美味しい! 泥の匂いが、全部『森と大地の匂い』に変わってる!」
「……これなら、いける。……高級食材なんて、いらない。……俺たちの技術と知恵があれば、路地裏の食材が、宮廷の珍味を喰らい尽くす!」
燕が、不敵に笑った。
黒曜の兵糧攻めは、逆に蓮たちの「真の料理人としての飢え」に火をつけた。
路地裏の食材で作る、前代未聞の『庶民の満漢全席』。
その逆襲の準備が、北京の暗い夜の中で、静かに、しかし熱く煮え滾り始めた。
(第67話・完)




