第58話:流転の砂、鋼の解凍 ――乾の誇りと、渇きの果て――
蓮が放った、熱いスープを吸って柔らかく戻った肉の一片。
刺客・乾は、それを無意識に口で受け止めていた。噛み締めた瞬間、十年の乾燥(渇き)を凝縮した旨味が、彼の味蕾を暴力的に蹂躙した。
「……ガハッ! ぁ、熱い……。美味い、だと……!?」
乾の目が血走った。十年間、砂漠の風に己を晒し、水分を、感情を、人間らしさを削ぎ落としてきた男の目から、一筋の涙が溢れた。
唾液が溢れ、胃袋が猛烈に鳴動する。生物としての「飢え」が、組織の「掟」を上回った。
「……おのれ、蓮ッ! 私の十年の『渇き』を、一瞬で汚しおって……!」
乾が、残りの鋼の干肉をすべて両手に構えた。それは刃物ではない。彼の、歪んだ矜持そのものだった。
乾が砂を蹴り、蓮に肉薄する。凄まじい手数。硬質な干肉が、蓮の衣服を裂き、鉄片を削る。
「……蓮、危ない!」
燕が山刀を抜こうとするが、蓮がそれを片手で制した。
「……手を出すな。……こいつは今、料理人として俺に挑んでいる」
蓮は、乾の狂気的な連撃を、山西の鉄片だけで受け流した。
鉄と干肉がぶつかり合い、火花が散る。蓮は防戦一方に見えたが、その足取りは砂に沈まず、呼吸は乱れていなかった。
「……乾。お前は肉を硬くすることに十年を費やした。……だが、料理の本当の戦いは、食材をどう『開く』かだ!」
蓮が、乾の突きを半身で躱し、懐に入り込んだ。
そして、熱を帯びた鉄片を、乾の持つ干肉の「結合部」へ、正確に、不揃いのリズムで叩き込んだ。
乾の持っていた十本の干肉が、空中で一斉に爆ぜた。
折れたのではない。蓮の熱と打撃によって、一瞬にして繊維が解け、砂の上に「柔らかい肉の雨」となって降り注いだのだ。
武器を失い、乾は砂の上に膝をついた。
完敗だった。武力でも、料理人としての思想でも。
「……殺せ。……私は、白虎会を裏切った。任務に失敗し、敵の料理を口にした。……生きて戻る場所はない」
蓮は鉄片を腰に収め、乾の前に屈み込んだ。
「……戻る場所がないなら、進む場所を探せ。……俺たちは北へ行く。砂の大地の果て、母さんが残したレシピを探しにな」
リンが、砂にまみれた乾の前に、僅かな水を差し出した。
「……おじさん、涙が出てるよ。……それ、渇いてる証拠。お水、飲んで」
乾は震える手でそれを受け取り、一気に飲み干した。
そして、砂を掴み、顔を伏せた。
「……乾。お前のその『乾燥の技術』が、これからの旅には必要だ。……一緒に来い」
乾は何も言わず、ただ深く、うなずいた。
翌朝、関所の遥か北。
そこには、さらに過酷な白き砂漠が広がっていた。
三人の旅人は、四人になっていた。
乾は、砕けた干肉の破片を、大事そうに布に包んで背負っている。それはもう武器ではない。これからの旅を支える、大切な食材だった。
「……蓮。この先、さらに風が強くなる。……白虎の本拠地、**『千砂城』**は近い」
乾が、乾いた声で言った。
新しい仲間、乾燥のスペシャリスト・乾が加わり、旅の羅針盤はさらに正確に北を指した。




