第56話:砂塵の関所、無水のパン ――渇いた喉と、熱砂の鉄――
四川を離れて数日。北へ向かう三人の前に現れたのは、見渡す限りの赤茶けた大地と、叩きつけるような乾いた風だった。
かつてのシルクロードの要衝、西安へと続く唯一の関所。そこには武装した『白虎会』の男たちが立ち塞がっていた。
「……蓮、空気が空っぽだよ」
リンが、砂にまみれた喉を押さえながら呟いた。
「……匂いが、全部砂の味になっちゃった。……お水が欲しい」
関所の横には、痩せ細った旅人たちが力なく座り込んでいる。
彼らの視線の先には、白虎会が管理する巨大な貯水槽があった。
「水が欲しけりゃ、銀貨三枚だ。……払えない奴は、その辺の砂でも噛んでろ!」
指揮を執る白虎会の小悪党が、贅沢に水を地面に撒き散らしながら笑った。
「……あいつら、人間のやることじゃないな」
燕が腰の山刀に手をかけたが、蓮がそれを制した。
「……待て。……戦う前に、まずこいつらの『渇き』を止めなきゃならない」
蓮は、関所の脇にある焼け付くような砂の上に、山西の鉄片を置いた。
直射日光にさらされた鉄は、一瞬で食材を焼くほどの高熱を帯びる。
「……燕。お前の荷物にある『羊の脂身』と『小麦粉』を出せ。……水は一滴も使わない」
「……水なしで、何を作る気だ?」
「……砂漠には、砂漠のやり方があるはずだ」
蓮は、羊の脂身を鉄片の上でじっくりと溶かし始めた。
滴る脂が、鉄の表面に黄金色の膜を作る。そこに、燕が持ち歩いていた玉ねぎを細かく刻んで叩き込んだ。玉ねぎから溢れ出すわずかな「水分」と「甘み」を、脂の中に閉じ込める。
そこへ、小麦粉を投入。
水を使う代わりに、羊の脂と玉ねぎの水分だけで粉を練り上げ、鉄片の上で薄く押し広げる。
熱せられた砂の熱が鉄を通じて伝わり、生地がぷっくりと膨らみ始める。
『無水・熱砂焼き(ネンシャヤキ)』。
香ばしい、小麦が焦げる匂いが砂嵐の中に広がった。
それは、水を奪われ、絶望していた旅人たちの嗅覚を強引に引き戻す「生命の香り」だった。
「……食え。……水がないなら、唾液を呼び起こせばいい」
蓮が焼き上げたのは、外はカリリと硬く、中は羊の旨味を吸ってしっとりとした、究極のパン。
一口噛み締めれば、濃厚な脂と玉ねぎの甘みが口いっぱいに広がり、乾ききっていた口腔に驚くほどの唾液が溢れ出す。
「……うまい。……喉が、潤っていく……」
旅人たちが次々とパンを手に取り、瞳に光を取り戻していく。
「……てめえ! 勝手な真似を!」
白虎会の男たちが包丁を抜いて襲いかかる。
だが、蓮は熱い鉄片を構えたまま、静かに彼らを見据えた。
「……この大地を支配しているのは、お前たちの『水』じゃない。……食いたいという、人間の『意志』だ」
北の旅路。最初の関所は、名もなきパンの香りに包まれて、今、静かに開かれた。




