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四川の焔  作者: 水前寺鯉太郎
西域獄炎編

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53/75

第53話:谷底の薬膳師 ――太平の燕、毒を制す――  

 蓮の放った香辛料の上昇気流が、乳白色の毒霧を裂いた。

 晴れ渡った谷底の、朽ちかけた栽培所の跡に、一人の男が立っていた。

 ひょろりと長く、青白い肌。纏う衣からは、カビと干し草、そして微かな「水銀」の匂いが漂っている。

 麒麟会・薬膳部隊『毒蛛どくぐも』の長、リー

「……ほほう。覇王様を倒したというからすのヒナが、まさか香辛料で瘴気を晴らすとは。……面白い。……だが、私の『毒薬同源どくやくどうげん』の理の前では、その火もただの焚き火に過ぎん」

 李が指を弾くと、栽培所の影から、毒の瘴気に侵され、理性を失った数人の男たちが現れた。彼らの肌は青紫に染まり、口からは泡を吹いている。

「……こいつらは、私の作った『試薬』の副作用だ。……さあ、薫の息子よ。……お前の料理で、この哀れな男たちを『救って』みせろ。……救えなければ、お前たちも、その横の寝返ったつばめも、彼らの餌食だ」

「……あいつ、母親を殺した毒を、まだ人間に使ってる……!」

 燕が山刀を握り締め、憎悪に燃える目で李を睨みつけた。

 だが、蓮は動かなかった。目の前の男たちは、敵ではない。病人だ。

「……リン。こいつらの匂い、どうだ」

「……すごく、冷たい。……お腹の中がカチカチに凍って、動いてないみたい」

 蓮は、腰の鉄片を岩に叩きつけた。

  

「……燕。お前の荷物にある『干しエビ』と『干し椎茸しいたけ』、そして『春雨ハルサメ』を出せ。……それと、今朝の豚肉の残りだ」

「……え? それで、こいつらを治すのか?」

「……ああ。……奪う火ではなく、与える火でな」

 蓮は、毒霧が晴れたことで見つかった、谷の清流の水を鍋に汲んだ。

 そこに、鉄片で細かく叩いた干しエビと椎茸、そして燕が繊維に沿って切った豚肉を投入し、強火で一気に煮出す。

  

 立ち昇ったのは、麻辣の刺激ではない。食材の旨味が凝縮された、濃厚で、しかしどこか懐かしい、「滋養」の香りだった。

 

 蓮はそこに、たっぷりの野菜と、戻した春雨を投入する。

 

 『太平燕タイピーエン』。

 

 本来は豚肉を叩き伸ばした皮で具を包むが、今の蓮にはその時間はない。だが、春雨という「植物性の繊維」が、スープの旨味をたっぷりと吸い込み、毒に侵された胃腸を優しく刺激する。

 

「……食え。……これが、お前たちの『平穏』だ」

 蓮は、器に盛った太平燕を、理性を失った男たちの前に置いた。

 男たちは最初、不審げに器を見ていたが、その香りに誘われるように、貪るようにスープを啜り始めた。

「……熱い。……お腹が、温かい……」

 男たちの一人が、涙を流しながら呟いた。

 春雨のツルリとした食感と、エビの旨味が、凍りついていた彼らの五臓六腑を温め、毒素を尿や汗と共に体外へ排出させていく。青紫だった彼らの肌に、赤みが戻り始めた。

「……馬鹿な! 私の毒を、ただの春雨スープで中和したというのか!」

 李の顔が、驚愕に歪んだ。

「……李。お前の薬膳は、人を『試す』ための道具だ。……だが、料理は人を『生かす』ためのものだ」

 蓮は、熱を帯びた鉄片を李に向けた。

「……母さんが言っていた。……本当の薬膳は、食べた瞬間に『生きててよかった』と思わせるものだってな」

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