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四川の焔  作者: 水前寺鯉太郎
西域獄炎編

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第49話:与える火 ――おこげ職人と、待つことの意味――

獄炎の宿は、剣門関から少し下った場所にあった。

 岩を削って作った部屋だった。天井が低かった。しかし広かった。中央に焚き火があった。焚き火の周りに、何人かの紅竜会の者が座っていた。

 獄炎は上座に座っていた。

 蓮とリンが入ると、獄炎は顎をしゃくって座る場所を示した。

「来たか」

「来た」

「酒を飲めるか」

「少しなら」

 杯が来た。白酒だった。強かった。一口飲んだ。喉が燃えた。

「薫を知っているか」と蓮が聞いた。

 獄炎は杯を持ったまま止まった。

「なぜ」

「母さんの名前だ」

「お前の母親か」

「そうだ」

 獄炎は少し間を置いた。

「知っている。十年以上前に、ここに来た。剣門関を通って、四川の奥に入ろうとしていた」

「なぜ来たのか、言っていたか」

「麒麟会を追いかけていると言っていた。四川の奥に麒麟会の拠点があると」

「それで」

「俺が試した。炎に試して、本物かどうか確かめた。……通過した。薫は炎の中に入ってきた」

「その後は」

「奥に行った。それきりだ。帰りは確認していない」

 獄炎は杯を置いた。

「お前も同じ目をしている」

「何の目だ」

「炎を怖がらない目だ。……今日、鍋の対流を変えた時の目がそうだった」

「あれは料理の問題だった」

「そうだ。しかし料理の問題として見えた、ということが重要だ。俺の部下は全員、あの状況で鍋から離れた。お前は近づいた」

 蓮は何も言わなかった。

「炎は試す。試されて近づいてきた者に、炎は何かを見せる。……それが俺の信念だ」

「奪う火だという意味か」

「奪うだけではない。試した後に、何かを与える。……ただし、逃げた者には何も与えない」

 翌朝、蓮とリンは剣門関の道を歩いた。

 四川の奥に向かう道だった。

 崖際に小屋があった。

 煙が出ていた。焦げた香りがした。しかし嫌な焦げ方ではなかった。米の香りが混じっていた。

 リンが立ち止まった。

「……いい匂い。焦げてるのに、甘い」

「何の匂いだ」

「米。……でも、ただの米じゃない。何かが変わった米の匂い」

 小屋に近づいた。

 老人が一人いた。

 炭火の前に座っていた。平らな土鍋が炭火の上にあった。老人は鍋を見ていた。動いていなかった。

「何を作っているのか」とリンが聞いた。

「待っている」と老人が答えた。

「何を」

「中身が剥がれるのを」

 老人は鍋から目を離さなかった。

 蓮は小屋の外に立って、老人を見ていた。

 しばらく経った。

 老人が口を開いた。

「……いい音がし始めた。中身が、外側に恋をして抱きつく音だ」

 蓮には聞こえなかった。しかし老人には聞こえていた。

 もう少し経った。

 老人が素手で蓋を持った。

 開けた。

 琥珀色だった。円形だった。表面が均一に焼けていた。

 老人は素手でそれを持った。熱いはずだった。しかし老人は平然としていた。

「指が焼けないのか」とリンが言った。

「焼けない。何十年もやっていると、火の温度の中に、触れていい場所と触れてはいけない場所がわかるようになる」

「おこげを作っているのか」と蓮が聞いた。

「作っていない。米が火の慈悲を受けて自分で剥がれるのを待っている。……わしはただ、その場にいるだけだ」

「作らないで待つのか」

「急いで剥がすと、底に残る。剥がれる前に取ろうとすると、破れる。……米が準備できた時に、自然に離れる。その瞬間を待つのが仕事だ」

 老人はおこげを蓮に差し出した。

「食べてみるか。火が残した最後の贈り物だ」

 蓮は受け取った。

 薄かった。光を透かすほどではなかったが、均一な薄さだった。

 口に入れた。

 カリとした音がした。米の甘みと、焦げの苦みが一緒に来た。しかし苦みが嫌ではなかった。甘みを引き立てていた。

「……美味い」

「そうだろう。焦げは嫌われるが、適切な焦げは甘みを引き出す。……火が強すぎても弱すぎても、この色にはならない。ちょうどいい火が、ちょうどいい時間、当たった時だけ、この色になる」

 リンが一枚取って食べた。

「……昨日の麻辣湯と全然違う。同じ火なのに」

「同じ火だ」と老人が言った。「しかし使い方が違う。奪う火と、与える火がある」

 蓮は老人を見た。

「獄炎を知っているか」

「知っている。あの男の火は奪う。しかしそれがなければ、与える火も生まれない。……どちらも必要だ」

「どちらも」

「そうだ。焼かれなければ、甘みは出ない。しかし焼きすぎれば、残らない。……その間にいることが、料理人の仕事だ」

 蓮は手の中のおこげを見た。

 昨日、唐辛子の香りを吸い込んだ時の感覚を思い出した。痛みではなかった。しかし強い刺激だった。その刺激が、感覚を整理した。

 奪う火が、感覚を整理した。

 その後に、この与える火がある。

「……母さんも、ここに来たことがあるか」と蓮が聞いた。

「来た。同じところに立って、同じものを食べた」

「何か言っていたか」

「『次に来る時は、もっとうまく受け取れる気がする』と言っていた」

 老人はまた鍋を見た。

 次のおこげを待っていた。

 蓮とリンは小屋を出た。

 四川の山が続いていた。

「母さん、ここにも来てたんだ」とリンが言った。

「そうだな」

「どこにでも行ってたんだね」

「そうだな」

 蓮は歩きながら、手帳を開いた。

 四川のページに、一行書いた。

与える火を、学ぶ。

 山が続いていた。

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