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四川の焔  作者: 水前寺鯉太郎
西域獄炎編

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47/52

第47話:紅竜の咆哮 ――剣門関の炎と、獄炎との遭遇――

剣門関に入った時、空気が変わった。

 切り立った断崖が両側に続いていた。古い時代から、この地が四川への関門だったことが、地形を見ればわかった。しかしその地形より先に、空気が変わったことに気づいた。

 湿気があった。しかしその湿気に、別のものが混じっていた。

 リンが立ち止まった。

「……止まって」

「何だ」

「匂いが尖ってる。どこを嗅いでも、針で刺されるみたい」

 蓮も鼻を動かした。

 唐辛子だった。生の唐辛子ではなく、油で熱した唐辛子の粒子が空気に混じっていた。濃かった。口の中に入ってきた。喉の奥が少し痛んだ。

 霧の中から影が現れた。

 一団だった。全員が赤い衣を着ていた。背に大きな包丁を負っていた。

 中心に、大きな男がいた。

 背が高かった。髪が逆立っていた。腕が太かった。その腕に、龍の刺青があった。

 岩の上に座っていた。焚き火の前だった。焚き火に大きな鍋が吊るされていた。鍋の中身が煮え立っていた。赤かった。

 男が蓮を見た。

「……ただのもやしっ子じゃねえか」

 声が大きかった。声だけで霧が動いた。

「覇王を倒したと聞いたから、どんな化け物が来るかと思っていたが」

「あんたが獄炎か」

「そうだ」

 獄炎は立ち上がった。

 岩から降りた。地面が少し揺れた。

「北京のジジイは頭でっかちだったらしいな。『完全』だの『無』だのと。……四川じゃそんなことは関係ない」

 獄炎が鍋を蹴った。

 鍋が傾いた。中身が溢れた。

 赤い油が地面を走った。熱い飛沫が空気に上がった。唐辛子の粒子が一気に広がった。

 蓮は腕で顔を庇った。喉が焼けた。目が痛んだ。涙が出た。

 リンが蓮の後ろに下がった。

「……熱い。鼻の中が全部焼けた匂いになった」

「下がっていてくれ」

「でも」

「下がっていてくれ」

「生きているものは、全部炎に試される」

 獄炎が言った。

「試されて残ったものだけが、本物だ。……お前の料理が本物かどうか、ここで試してやる」

 獄炎の部下たちが包丁を抜いた。

 地面に向けて刃を振った。

 地面が焦げた。刃から熱が出ていた。唐辛子の成分を染み込ませた包丁だった。刃が触れるだけで、熱と辛みが同時に来る。

 一人が蓮の左側に回った。

 別の一人が右側に動いた。

 包囲される形だった。

 蓮は鉄片を出した。

 右側に回った一人が、刃を地面に当てた。地面が焦げた。熱が来た。

 蓮は鉄片を地面に当てた。

 重みで押した。

 熱が鉄片を通じて手に来た。しかし鉄の密度があった。刃の鋭さがない代わりに、重みで押し返した。熱の広がりが止まった。

 左側の一人が止まった。

 右側の一人も止まった。

 どちらも、鉄片の使い方が予測できなかった様子だった。

 獄炎が笑った。

「面白い。廃材で対応するか」

「廃材じゃない。山西の鉄だ」

「山西か。……遠いところから来たな」

「四川に来るために必要だった」

 獄炎は鉄片を見た。

「それで、俺の炎に対応するつもりか」

「対応できるかどうかはわからない。でも試す」

 獄炎はしばらく蓮を見た。

「……いい答えだ。四川の炎は、そういう答えが好きだ」

 獄炎は部下に向かって顎をしゃくった。

「下がれ」

 部下たちが後退した。

「今日はここまでだ。お前が四川に来た理由を、まず聞いてやる。……夕方に俺の宿に来い。酒を出す」

「料理の話をするためにここに来た」

「俺も料理の話をする気だ。……ただし四川の流儀で」

 獄炎は焚き火の方に向かった。

「逃げるなよ。四川の流儀で逃げた者は、追いかけて炎で試すことになる」

 それだけ言って、霧の中に消えた。

 部下たちも引いた。

 剣門関の道が開いた。

 リンが蓮の隣に来た。

「どうするの」

「夕方に行く」

「獄炎のところに?」

「そうだ」

「危なくないの」

「危ないかもしれない。でも話を聞かないことには始まらない」

 リンは少し考えた。

「あの人、覇王と全然違う匂いがした」

「どう違う」

「覇王は閉じてる匂いだった。あの人は……外に向かってる匂い。……強いけど、何かを求めてる匂い」

 蓮は剣門関の先を見た。

 四川の空気だった。湿っていて、辛くて、熱かった。

「行くぞ、リン」

「うん」

 二人で歩き始めた。

 霧の向こうに、四川の山が続いていた。

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