第47話:紅竜の咆哮 ――剣門関の炎と、獄炎との遭遇――
剣門関に入った時、空気が変わった。
切り立った断崖が両側に続いていた。古い時代から、この地が四川への関門だったことが、地形を見ればわかった。しかしその地形より先に、空気が変わったことに気づいた。
湿気があった。しかしその湿気に、別のものが混じっていた。
リンが立ち止まった。
「……止まって」
「何だ」
「匂いが尖ってる。どこを嗅いでも、針で刺されるみたい」
蓮も鼻を動かした。
唐辛子だった。生の唐辛子ではなく、油で熱した唐辛子の粒子が空気に混じっていた。濃かった。口の中に入ってきた。喉の奥が少し痛んだ。
霧の中から影が現れた。
一団だった。全員が赤い衣を着ていた。背に大きな包丁を負っていた。
中心に、大きな男がいた。
背が高かった。髪が逆立っていた。腕が太かった。その腕に、龍の刺青があった。
岩の上に座っていた。焚き火の前だった。焚き火に大きな鍋が吊るされていた。鍋の中身が煮え立っていた。赤かった。
男が蓮を見た。
「……ただのもやしっ子じゃねえか」
声が大きかった。声だけで霧が動いた。
「覇王を倒したと聞いたから、どんな化け物が来るかと思っていたが」
「あんたが獄炎か」
「そうだ」
獄炎は立ち上がった。
岩から降りた。地面が少し揺れた。
「北京のジジイは頭でっかちだったらしいな。『完全』だの『無』だのと。……四川じゃそんなことは関係ない」
獄炎が鍋を蹴った。
鍋が傾いた。中身が溢れた。
赤い油が地面を走った。熱い飛沫が空気に上がった。唐辛子の粒子が一気に広がった。
蓮は腕で顔を庇った。喉が焼けた。目が痛んだ。涙が出た。
リンが蓮の後ろに下がった。
「……熱い。鼻の中が全部焼けた匂いになった」
「下がっていてくれ」
「でも」
「下がっていてくれ」
「生きているものは、全部炎に試される」
獄炎が言った。
「試されて残ったものだけが、本物だ。……お前の料理が本物かどうか、ここで試してやる」
獄炎の部下たちが包丁を抜いた。
地面に向けて刃を振った。
地面が焦げた。刃から熱が出ていた。唐辛子の成分を染み込ませた包丁だった。刃が触れるだけで、熱と辛みが同時に来る。
一人が蓮の左側に回った。
別の一人が右側に動いた。
包囲される形だった。
蓮は鉄片を出した。
右側に回った一人が、刃を地面に当てた。地面が焦げた。熱が来た。
蓮は鉄片を地面に当てた。
重みで押した。
熱が鉄片を通じて手に来た。しかし鉄の密度があった。刃の鋭さがない代わりに、重みで押し返した。熱の広がりが止まった。
左側の一人が止まった。
右側の一人も止まった。
どちらも、鉄片の使い方が予測できなかった様子だった。
獄炎が笑った。
「面白い。廃材で対応するか」
「廃材じゃない。山西の鉄だ」
「山西か。……遠いところから来たな」
「四川に来るために必要だった」
獄炎は鉄片を見た。
「それで、俺の炎に対応するつもりか」
「対応できるかどうかはわからない。でも試す」
獄炎はしばらく蓮を見た。
「……いい答えだ。四川の炎は、そういう答えが好きだ」
獄炎は部下に向かって顎をしゃくった。
「下がれ」
部下たちが後退した。
「今日はここまでだ。お前が四川に来た理由を、まず聞いてやる。……夕方に俺の宿に来い。酒を出す」
「料理の話をするためにここに来た」
「俺も料理の話をする気だ。……ただし四川の流儀で」
獄炎は焚き火の方に向かった。
「逃げるなよ。四川の流儀で逃げた者は、追いかけて炎で試すことになる」
それだけ言って、霧の中に消えた。
部下たちも引いた。
剣門関の道が開いた。
リンが蓮の隣に来た。
「どうするの」
「夕方に行く」
「獄炎のところに?」
「そうだ」
「危なくないの」
「危ないかもしれない。でも話を聞かないことには始まらない」
リンは少し考えた。
「あの人、覇王と全然違う匂いがした」
「どう違う」
「覇王は閉じてる匂いだった。あの人は……外に向かってる匂い。……強いけど、何かを求めてる匂い」
蓮は剣門関の先を見た。
四川の空気だった。湿っていて、辛くて、熱かった。
「行くぞ、リン」
「うん」
二人で歩き始めた。
霧の向こうに、四川の山が続いていた。




