表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四川の焔  作者: 水前寺鯉太郎
大陸遠征・八大料理試練編(北京編)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/53

第44話:粥と鉄片 ――健の到着と、二人の布陣――

覇王が里芋の皿から目を離した。

 調理台の前に戻った。スープの火加減を確認した。いつもと同じ動きだった。しかし何かが違った。動きの中に、一瞬だけ止まる場所があった。

 リンが蓮に小声で言った。

「覇王の匂いが、さっきより落ち着いてる。……里芋を食べる前と、少し違う」

「落ち着いている」

「うん。乱れたわけじゃない。でも、前より固くない感じ」

 その時、石の階段を下りてくる足音がした。

 一人だった。

 健だった。

 鍋を背負っていた。上海を出た時と同じ鍋だった。北京まで持ってきていた。

「遅くなった」と健が言った。

「なぜ来た」

「お前から連絡がなくなった。リンからもなかった。……上海で待っていたが、何日経っても何もなかった。来るしかなかった」

「上海の仕事は」

「続きは後でやる。今はこっちが先だ」

 健は厨房を見た。覇王を見た。それから蓮を見た。

「状況は」

「覇王と話している途中だ。里芋の料理を食べてもらった」

「反応は」

「揺れ始めた。しかしまだ終わっていない」

 健はうなずいた。

「粥を作る」

 健は鍋を下ろした。

 水を入れた。火をつけた。

 覇王がそれを見ていた。

「お前は誰だ」

「健だ。広州から来た。父親が粥職人だった」

「広州の粥か」

「そうだ。お前が父の粥を毒の基材に使った」

 覇王は少し間を置いた。

「知っている」

「返せとは言わない。ただ、父の粥が何のためにあったかを、お前に理解させる」

 健は米を入れた。

 水が温まり始めた。

 蓮は覇王を見ていた。

 里芋を食べた時の目が、まだ頭に残っていた。「まだわからない」と言った覇王が、皿を見続けていた。完全に均一だったものに、初めて揺れが入った瞬間だった。

「覇王」と蓮が言った。

「なんだ」

「母さんが証明しようとしていたことを、俺が証明する」

「薫の言っていた変化とやらを」

「そうだ。一人ではできなかった。でも今は二人いる」

 覇王は健を見た。

「粥と鉄片か」

「そうだ」

「組み合わせることに意味があるのか」

「ある。……あんたの料理は、一人の天才が全部を支配する。しかし俺たちの料理は、二つが別々に動いて、それが出会う場所に何かが生まれる。その何かは、一人では作れない」

 健の粥が煮え始めた。

 白くなってきた。米が崩れ始めていた。

 健が火の調整をした。

 蓮は鉄片を手に取った。

 里芋がまだ残っていた。別の食材も使えた。覇王の厨房にある食材を借りてもよかった。

「何を作る」とリンが聞いた。

「粥に入れるものだ。健の粥が受け取れるものを作る」

「どんなものが合う」

「健の粥は、水と米だけで作る。純粋だから、何でも受け取れる。……俺が鉄片で作ったものを、その粥に入れれば、粥が変わる。均一だった粥に、不揃いの何かが入る」

 健が振り返った。

「何を入れるつもりだ」

「考えている」

「急げ。粥は待たない」

 覇王が動いた。

 自分の調理台に向かった。スープの火を止めた。

 それから蓮の方を見た。

「見ていていいか」

 蓮は少し驚いた。

「どうぞ」

「止めたりしないのか」

「あんたが見ることを止める理由がない」

 覇王は調理台の端に立った。

 腕を組んだ。見る姿勢だった。邪魔をする姿勢ではなかった。

 リンが蓮に小声で言った。

「覇王の匂いが、また変わった。……今度は、待ってる匂いがする」

 蓮は食材を探した。

 覇王の厨房の端に、黒きくらげがあった。乾燥していた。水で戻せば使える。

 鉄片で叩いた。

 乾燥したきくらげが割れた。不揃いの破片になった。水に入れた。戻り始めた。

 それだけではなかった。

 生姜があった。鉄片で押した。繊維が崩れた。汁が出た。

 健の粥を見た。

 白く、均一に煮えていた。米の一粒一粒が崩れて、水と一体になっていた。清潔だった。

「健、もう少しか」

「あと三分くらいだ」

「合わせるタイミングを教えてくれ」

「わかった」

 リンが覇王を見ていた。

 覇王は動かなかった。見ていた。

 リンが蓮に言った。

「覇王、ずっと見てる。……怒ってる感じじゃない。本当に見てる感じがする」

「そうだな」

「珍しい顔してる」

「どんな顔だ」

「……知らないものを見てる顔」

「今だ」と健が言った。

 蓮は鉄片で叩いたきくらげと、生姜の汁を粥に入れた。

 粥の表面が動いた。

 均一だった白い面に、きくらげの黒が入った。生姜の香りが立った。

 健がかき混ぜた。

 均一ではなくなった。しかし崩れてはいなかった。粥の白さの中に、黒が点在していた。場所によって濃さが違った。

 健が器に盛った。

 覇王の前に置いた。

「食べてくれ」

 覇王は器を見た。

 白い粥の中に、黒いきくらげが不規則に散っていた。覇王の料理とは対極の見た目だった。

「これが答えか」

「答えかどうかはわからない」と蓮が言った。「でも、母さんが書けなかった先を、俺たちが一歩進めた」

 覇王は器を手に取った。

 明日、この器の中身がどう変わるか、蓮にはまだわからなかった。

 しかし覇王が器を持った手が、蓮から包丁を奪った手と、少し違う力で持っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ