第44話:粥と鉄片 ――健の到着と、二人の布陣――
覇王が里芋の皿から目を離した。
調理台の前に戻った。スープの火加減を確認した。いつもと同じ動きだった。しかし何かが違った。動きの中に、一瞬だけ止まる場所があった。
リンが蓮に小声で言った。
「覇王の匂いが、さっきより落ち着いてる。……里芋を食べる前と、少し違う」
「落ち着いている」
「うん。乱れたわけじゃない。でも、前より固くない感じ」
その時、石の階段を下りてくる足音がした。
一人だった。
健だった。
鍋を背負っていた。上海を出た時と同じ鍋だった。北京まで持ってきていた。
「遅くなった」と健が言った。
「なぜ来た」
「お前から連絡がなくなった。リンからもなかった。……上海で待っていたが、何日経っても何もなかった。来るしかなかった」
「上海の仕事は」
「続きは後でやる。今はこっちが先だ」
健は厨房を見た。覇王を見た。それから蓮を見た。
「状況は」
「覇王と話している途中だ。里芋の料理を食べてもらった」
「反応は」
「揺れ始めた。しかしまだ終わっていない」
健はうなずいた。
「粥を作る」
健は鍋を下ろした。
水を入れた。火をつけた。
覇王がそれを見ていた。
「お前は誰だ」
「健だ。広州から来た。父親が粥職人だった」
「広州の粥か」
「そうだ。お前が父の粥を毒の基材に使った」
覇王は少し間を置いた。
「知っている」
「返せとは言わない。ただ、父の粥が何のためにあったかを、お前に理解させる」
健は米を入れた。
水が温まり始めた。
蓮は覇王を見ていた。
里芋を食べた時の目が、まだ頭に残っていた。「まだわからない」と言った覇王が、皿を見続けていた。完全に均一だったものに、初めて揺れが入った瞬間だった。
「覇王」と蓮が言った。
「なんだ」
「母さんが証明しようとしていたことを、俺が証明する」
「薫の言っていた変化とやらを」
「そうだ。一人ではできなかった。でも今は二人いる」
覇王は健を見た。
「粥と鉄片か」
「そうだ」
「組み合わせることに意味があるのか」
「ある。……あんたの料理は、一人の天才が全部を支配する。しかし俺たちの料理は、二つが別々に動いて、それが出会う場所に何かが生まれる。その何かは、一人では作れない」
健の粥が煮え始めた。
白くなってきた。米が崩れ始めていた。
健が火の調整をした。
蓮は鉄片を手に取った。
里芋がまだ残っていた。別の食材も使えた。覇王の厨房にある食材を借りてもよかった。
「何を作る」とリンが聞いた。
「粥に入れるものだ。健の粥が受け取れるものを作る」
「どんなものが合う」
「健の粥は、水と米だけで作る。純粋だから、何でも受け取れる。……俺が鉄片で作ったものを、その粥に入れれば、粥が変わる。均一だった粥に、不揃いの何かが入る」
健が振り返った。
「何を入れるつもりだ」
「考えている」
「急げ。粥は待たない」
覇王が動いた。
自分の調理台に向かった。スープの火を止めた。
それから蓮の方を見た。
「見ていていいか」
蓮は少し驚いた。
「どうぞ」
「止めたりしないのか」
「あんたが見ることを止める理由がない」
覇王は調理台の端に立った。
腕を組んだ。見る姿勢だった。邪魔をする姿勢ではなかった。
リンが蓮に小声で言った。
「覇王の匂いが、また変わった。……今度は、待ってる匂いがする」
蓮は食材を探した。
覇王の厨房の端に、黒きくらげがあった。乾燥していた。水で戻せば使える。
鉄片で叩いた。
乾燥したきくらげが割れた。不揃いの破片になった。水に入れた。戻り始めた。
それだけではなかった。
生姜があった。鉄片で押した。繊維が崩れた。汁が出た。
健の粥を見た。
白く、均一に煮えていた。米の一粒一粒が崩れて、水と一体になっていた。清潔だった。
「健、もう少しか」
「あと三分くらいだ」
「合わせるタイミングを教えてくれ」
「わかった」
リンが覇王を見ていた。
覇王は動かなかった。見ていた。
リンが蓮に言った。
「覇王、ずっと見てる。……怒ってる感じじゃない。本当に見てる感じがする」
「そうだな」
「珍しい顔してる」
「どんな顔だ」
「……知らないものを見てる顔」
「今だ」と健が言った。
蓮は鉄片で叩いたきくらげと、生姜の汁を粥に入れた。
粥の表面が動いた。
均一だった白い面に、きくらげの黒が入った。生姜の香りが立った。
健がかき混ぜた。
均一ではなくなった。しかし崩れてはいなかった。粥の白さの中に、黒が点在していた。場所によって濃さが違った。
健が器に盛った。
覇王の前に置いた。
「食べてくれ」
覇王は器を見た。
白い粥の中に、黒いきくらげが不規則に散っていた。覇王の料理とは対極の見た目だった。
「これが答えか」
「答えかどうかはわからない」と蓮が言った。「でも、母さんが書けなかった先を、俺たちが一歩進めた」
覇王は器を手に取った。
明日、この器の中身がどう変わるか、蓮にはまだわからなかった。
しかし覇王が器を持った手が、蓮から包丁を奪った手と、少し違う力で持っていた。




