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四川の焔  作者: 水前寺鯉太郎
大陸遠征・八大料理試練編(北京編)

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35/52

第35話:共鳴する熱 ――小籠包の鼓動と、零の答え――

夜、零が話した。

 氷晶宮の奥に、座る場所があった。氷の椅子ではなく、石の椅子だった。ここだけ、氷がなかった。

 蓮と零は向かい合って座った。リンは蓮の隣で、目を覚ましたまま静かにしていた。

「薫がここに来た時、私は北京の食を支配していた。麒麟会の命令で、北京中の食材を管理していた」と零は言った。

「魔睡花を使って」

「使っていた。しかし薫が来る前から、私は疑問を持っていた」

「何に」

「私がやっていることは、食を守っているのか、殺しているのかわからなかった。凍らせれば腐らない。しかし食べられない。……それは保存なのか、それとも別の何かなのか」

 蓮は零を見た。

「薫はその疑問に答えを持っていたのか」

「持っていたと思う。しかし私に言わなかった。代わりに小籠包を作り始めた。作りながら、一言だけ言った。『あなたには、まだわからないから』と」

「それだけか」

「それだけだ。完成する前に去った」

 零は手を見た。

「十六年、考えた。しかし答えが出なかった。わからないままここに残っていた」

 翌朝、蓮は台座の前に立った。

 小籠包はそのままだった。白く凍りついていた。

 輪廻を出した。

 刃を近づけた。

 昨日感じた通りだった。凍っているが、死んでいなかった。母が込めた何かが、この氷の中で十六年間待っていた。

 蓮は考えた。

 この包丁で凍らせたわけではない。外から熱を加えれば、皮が先に温まって破れる。中の煮こごりが溶け出す前に、全体が台無しになる。

 別の方法が必要だった。

 蓮は荷物から、小さな容器を出した。

 塩と砂糖が入っていた。北京ダックの時に使ったものの残りだった。

 これを溶かした水を、小籠包の底に少量当てる。氷点以下でも凍らない液体が、底から少しずつ温度を伝える。外から熱を加えるのではなく、内側から変えていく。

 輪廻を当て続けた。

 包丁を通して、内側の変化が手に伝わってきた。煮こごりが、少しずつ動き始めていた。凍った結晶が、ゆっくりと解けていた。

「……蓮」

 リンが言った。

「甘い匂いが来た。豚の脂と生姜の匂い。……動いてる」

「今か」

「今」

 蓮は手を止めた。

 小籠包が、少しだけ色を変えた。透明に近い白から、黄みがかった色に変わった。湯気は出なかった。氷帝の冷気が、まだ部屋を満たしていた。しかし小籠包の中に、確かに熱が戻っていた。

 零が近づいてきた。

 台座の前に立った。

 蓮は小籠包を持って、零に差し出した。

「食べてくれ」

 零は受け取らなかった。

「私が食べていいのか」

「あんたのために作ったものだから」

「薫が」

「そうだ。十六年前から、あんたのために待っていた」

 零は少し間を置いた。

 それから受け取った。

 箸を取った。

 一つ、持ち上げた。口に入れた。

 しばらく、何も言わなかった。

 蓮は待った。リンも待った。

 零は動かなかった。

 一分ほど経って、零が顔を上げた。

「……温かい」

 声が変わっていた。

「中が、まだ温かい。……凍っていたのに」

「命が残っていた。凍っても、死んでいなかった」

 零は手の中の小籠包を見た。

「薫が言いたかったのは、これか。……凍らせることは、止めることではない。……命があれば、また動き出す」

「そう思う」

「私は、凍らせることで永遠にしようとしていた。しかしそれは命を止めていただけだった」

 零の目から、何かが伝わった。

 蓮は見た。涙だった。しかし落ちる前に、零が手で拭った。

「……薫のわからないからという言葉の意味が、今わかった」

「どういう意味だったのか」

「私が止めることしか知らなかったから、動き出すことが理解できなかったということだ」

 零は立ち上がった。

 蓮を見た。

「総帥は北京の奥にいる。紫禁城の下に、麒麟会の本拠がある」

「教えてくれるのか」

「薫の息子に話すことだから」

「あんたは来るのか」

「来ない。ここにいる」

 蓮は零を見た。

「氷晶宮はどうなる」

「変わる。凍らせることをやめれば、ここは別の場所になる」

 零は台座の方を見た。

 小籠包の籠だけが残っていた。中身は空だった。

「薫に礼を言ってくれ」

「生きていれば」

「生きていれば、いつか会える」

 零は廊下の奥に歩いていった。

 蓮とリンは氷晶宮を出た。

 外に出ると、空が少し明るかった。

 氷晶宮の壁を見た。

 表面が、少し濡れていた。氷が解け始めていた。壁は崩れていなかった。しかし、かすかに水が滲んでいた。

「零、変わったね」とリンが言った。

「変わったと思う」

「小籠包一つで」

「十六年間待っていたから」

 リンは少し考えた。

「お母さん、すごいな」

「そうだな」

 山道を下り始めた。

 北京の街が、下に見えた。

 紫禁城が、街の中心にあった。

 蓮は母の手帳を出した。

 北京のページを開いた。王寒石の名前の下に、何も書いていなかった。

 蓮は手帳を閉じた。

 母が書かなかった場所に、これから向かう。

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