第35話:共鳴する熱 ――小籠包の鼓動と、零の答え――
夜、零が話した。
氷晶宮の奥に、座る場所があった。氷の椅子ではなく、石の椅子だった。ここだけ、氷がなかった。
蓮と零は向かい合って座った。リンは蓮の隣で、目を覚ましたまま静かにしていた。
「薫がここに来た時、私は北京の食を支配していた。麒麟会の命令で、北京中の食材を管理していた」と零は言った。
「魔睡花を使って」
「使っていた。しかし薫が来る前から、私は疑問を持っていた」
「何に」
「私がやっていることは、食を守っているのか、殺しているのかわからなかった。凍らせれば腐らない。しかし食べられない。……それは保存なのか、それとも別の何かなのか」
蓮は零を見た。
「薫はその疑問に答えを持っていたのか」
「持っていたと思う。しかし私に言わなかった。代わりに小籠包を作り始めた。作りながら、一言だけ言った。『あなたには、まだわからないから』と」
「それだけか」
「それだけだ。完成する前に去った」
零は手を見た。
「十六年、考えた。しかし答えが出なかった。わからないままここに残っていた」
翌朝、蓮は台座の前に立った。
小籠包はそのままだった。白く凍りついていた。
輪廻を出した。
刃を近づけた。
昨日感じた通りだった。凍っているが、死んでいなかった。母が込めた何かが、この氷の中で十六年間待っていた。
蓮は考えた。
この包丁で凍らせたわけではない。外から熱を加えれば、皮が先に温まって破れる。中の煮こごりが溶け出す前に、全体が台無しになる。
別の方法が必要だった。
蓮は荷物から、小さな容器を出した。
塩と砂糖が入っていた。北京ダックの時に使ったものの残りだった。
これを溶かした水を、小籠包の底に少量当てる。氷点以下でも凍らない液体が、底から少しずつ温度を伝える。外から熱を加えるのではなく、内側から変えていく。
輪廻を当て続けた。
包丁を通して、内側の変化が手に伝わってきた。煮こごりが、少しずつ動き始めていた。凍った結晶が、ゆっくりと解けていた。
「……蓮」
リンが言った。
「甘い匂いが来た。豚の脂と生姜の匂い。……動いてる」
「今か」
「今」
蓮は手を止めた。
小籠包が、少しだけ色を変えた。透明に近い白から、黄みがかった色に変わった。湯気は出なかった。氷帝の冷気が、まだ部屋を満たしていた。しかし小籠包の中に、確かに熱が戻っていた。
零が近づいてきた。
台座の前に立った。
蓮は小籠包を持って、零に差し出した。
「食べてくれ」
零は受け取らなかった。
「私が食べていいのか」
「あんたのために作ったものだから」
「薫が」
「そうだ。十六年前から、あんたのために待っていた」
零は少し間を置いた。
それから受け取った。
箸を取った。
一つ、持ち上げた。口に入れた。
しばらく、何も言わなかった。
蓮は待った。リンも待った。
零は動かなかった。
一分ほど経って、零が顔を上げた。
「……温かい」
声が変わっていた。
「中が、まだ温かい。……凍っていたのに」
「命が残っていた。凍っても、死んでいなかった」
零は手の中の小籠包を見た。
「薫が言いたかったのは、これか。……凍らせることは、止めることではない。……命があれば、また動き出す」
「そう思う」
「私は、凍らせることで永遠にしようとしていた。しかしそれは命を止めていただけだった」
零の目から、何かが伝わった。
蓮は見た。涙だった。しかし落ちる前に、零が手で拭った。
「……薫のわからないからという言葉の意味が、今わかった」
「どういう意味だったのか」
「私が止めることしか知らなかったから、動き出すことが理解できなかったということだ」
零は立ち上がった。
蓮を見た。
「総帥は北京の奥にいる。紫禁城の下に、麒麟会の本拠がある」
「教えてくれるのか」
「薫の息子に話すことだから」
「あんたは来るのか」
「来ない。ここにいる」
蓮は零を見た。
「氷晶宮はどうなる」
「変わる。凍らせることをやめれば、ここは別の場所になる」
零は台座の方を見た。
小籠包の籠だけが残っていた。中身は空だった。
「薫に礼を言ってくれ」
「生きていれば」
「生きていれば、いつか会える」
零は廊下の奥に歩いていった。
蓮とリンは氷晶宮を出た。
外に出ると、空が少し明るかった。
氷晶宮の壁を見た。
表面が、少し濡れていた。氷が解け始めていた。壁は崩れていなかった。しかし、かすかに水が滲んでいた。
「零、変わったね」とリンが言った。
「変わったと思う」
「小籠包一つで」
「十六年間待っていたから」
リンは少し考えた。
「お母さん、すごいな」
「そうだな」
山道を下り始めた。
北京の街が、下に見えた。
紫禁城が、街の中心にあった。
蓮は母の手帳を出した。
北京のページを開いた。王寒石の名前の下に、何も書いていなかった。
蓮は手帳を閉じた。
母が書かなかった場所に、これから向かう。




