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四川の焔  作者: 水前寺鯉太郎
大陸遠征・八大料理試練編(広州編)

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20/52

第20話:白き濁流 ―復讐の粥と、孤独なハーフの少年―

陳から教えられた場所は、真珠江から少し入った路地にあった。

 看板がなかった。古い長屋だった。早朝だけ湯気が出るという話だったが、昼過ぎに着いた時には、厨房の奥でまだ火が使われていた。

 引き戸を開けると、石臼の音がした。

 少年がいた。蓮と同じくらいの年齢だった。石臼を回しながら、蓮の方を見た。

「誰だ」

「蓮。この街の水のことを調べている。陳という料理人から、ここを教えてもらった」

「陳さんが」

「この店の粥が、広州の水を一番よく使った料理だと言っていた」

 少年は石臼を止めた。

「……健だ。ここは親父の店だった」

 過去形だった。蓮はその言葉を聞いて、何も言わなかった。

 リンが入ってきた。

 少年——健を見た。鼻を少し動かした。蓮に小声で言った。

「苦い匂いがする。悲しいのと、何か自分を責めてる匂いが混じってる」

 蓮はリンに小さくうなずいた。

 健は二人を見ていた。

「粥を教えに来たわけじゃないだろ。何が聞きたい」

「あんたの父親のことを聞いてもいいか」

 健の手が止まった。

「……なんで」

「宗という人物と関係があると聞いた」

 しばらく間があった。

 健は石臼を端に置いた。厨房の椅子に座った。蓮とリンも座った。

「……親父が宗に料理勝負を申し込まれたのは、三年前だ。うちの粥が、広州で一番だという評判が広まってた頃だった。宗は言った。どちらが真に人を癒やすか、勝負しようと」

「その結果が」

「親父が負けた。負け方が最悪だった。親父の粥に、宗が毒を仕込んだ。客が次々と倒れた。親父は毒料理人と呼ばれた。……それから半年後に、親父は消えた」

 消えた、という言葉だった。死んだとは言わなかった。

「体は見つかっていないのか」

「ない。麒麟会が関係しているという話は聞いた。でも確認できていない」

 リンが小さく声を出した。

 二人が見ると、リンは俯いていた。

「……似てる。あたしの父親と」

 健がリンを見た。

「あんたも」

「麒麟会の実験に使われた。今どこにいるかわからない」

 厨房が静かになった。

 蓮は立ち上がった。

「粥を作っていいか」

「なんで」

「あんたの父親がどういう粥を作っていたか、知りたい。材料と道具を貸してくれ」

 健は少し考えた。

「……材料は残ってる。使っていいが、真珠江の水は今は使えない。毒が混じってる」

「昨日、貯水施設を浄化した。今日の朝から、上流の水はきれいになっているはずだ」

「本当か」

「リン、確かめてもらえるか」

 リンが外に出た。しばらくして戻ってきた。

「きれいになってる。川の匂いが戻ってた」

 健は立ち上がって、自分で水を汲みに行った。

 米を研いだ。

 広州の粥は、米を長時間かけて炊いて、粒が溶けるまで煮る。その過程で水と米が一体になる。水の質が粥の味に直接出る。

 蓮は水龍を出した。

 水に刃を入れた。昨日の貯水施設で感じた、流れを読む感触を確かめた。水の中に残った毒の気配がないかを確認した。きれいだった。

 米を鍋に入れた。水を注いだ。

 火をつけた。

 最初は強火だった。沸騰させてから、弱火に落とした。ここからが時間のかかる作業だった。

 健が横で見ていた。

「何時間かける気だ」

「二時間以上かける」

「親父も同じだった」

 蓮は火の調整を続けた。

 氷心を出した。鍋の縁に当てた。沸騰した時に米粒が暴れて壊れないように、対流の方向を整えた。冷たい刃が鍋の縁に当たることで、縁の温度が少し下がった。中心部の対流が弱まった。米粒が静かに動き始めた。

 健が見ていた。

「その包丁で何をしている」

「米が壊れないように、流れを整えている」

「……親父もそれに似たことをやっていた。包丁ではなく、竹の棒で鍋の縁を冷やしていた」

「そうか」

「同じ理屈か」

「多分」

 二時間後、鍋を覗いた。

 白かった。米の粒が溶けて、水と一体になっていた。表面が静かに動いていた。

 健が鍋を見た。何も言わなかった。

 蓮は椀に注いだ。健の前に置いた。

「食べてみてくれ」

 健は椀を手に取った。一口飲んだ。

 しばらく動かなかった。

「……広州の水の匂いだ」

 声が変わっていた。

「親父が朝に汲んでいた水の匂い。ずっと嗅いでいなかった」

 健の目が、少し赤くなった。泣いてはいなかった。

「親父の粥は、こんな味だったのか」

「あんたが作れば、もっとわかるはずだ。材料と道具はわかっている。火の時間もわかった」

 健は椀を置いた。

 長い沈黙があった。

「……黒麒麟大会に出るのか、お前」

「出る」

「宗が来るなら、俺も関係する話だ」

「手伝ってくれるか」

 健はすぐには答えなかった。

 椀を見た。それから蓮を見た。

「考える。……今夜、また来い」

 蓮はうなずいた。

 厨房の火は、まだついていた。

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