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四川の焔  作者: 水前寺鯉太郎
大陸遠征・八大料理試練編(広州編)

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19/52

第19話:解毒の聖刃 ―五本目の水龍と、絶望の真珠江(しんじゅこう)―

茶館を出ると、街の様子が変わっていた。

 雲霧楼の中では気づかなかったが、外に出ると空気が違った。甘い香りではなく、もっと重い何かが漂っていた。川沿いの道を歩いていた人々が、立ち止まっていた。座り込んでいる人もいた。

「蓮」

 リンが立ち止まった。鼻を押さえていた。

「川から来てる。真珠江。毒が流れ込んでる」

 蓮は川の方に向かった。

 真珠江の岸に出ると、水の色が変わっていた。

 普段の川の色ではなかった。表面に薄い膜が張っているように見えた。川沿いの井戸から水を汲もうとしていた老人が、水を口に運んだ瞬間にその場に座り込んだ。

 リンが走り寄って老人を支えた。

「意識はある。でも眠らされてる」

「毒の濃度は」

「高い。雲霧楼の茶より強い。これ、街中の水に混じってる」

 蓮は川を見た。

 上流の方から来ていた。どこかで大量の毒が流し込まれていた。

「上流に行く」

 川沿いを歩いた。

 倒れている人の数が増えていた。リンが一人ひとりの様子を確かめながら歩いた。

「みんな死んでない。眠らされてるだけ。でも長く続いたら危ない」

「どのくらいの時間がある」

「わからない。でも早い方がいい」

 上流に向かうほど、水の色が濃くなった。

 貯水施設があった。広州の街に水を供給する、大きな施設だった。その入口に、黒い荷台が停まっていた。誰もいなかった。荷台の上に空の容器が並んでいた。容器の内側に、紫色の残滓が付いていた。

 リンが容器の匂いを嗅いだ。

「魔睡花の液体版。これを施設に流し込んだ」

「どれくらい入れた」

「容器が十個ある。全部空だ」

 蓮は施設の中に入った。

 貯水槽は大きかった。

 水面が紫がかっていた。ここから街全体に水が流れ出している。この水を何とかしなければ、街の人々への毒の供給が続く。

 蓮は水龍を出した。

 母の手帳には「水の流れを整えるための刃」と書いてあった。使い方はまだわからなかった。しかし水に関わる問題なら、この包丁が何かを教えてくれるかもしれないと思った。

 刃を水面に近づけた。

 手に振動が来た。水の流れの方向が、刃を通して伝わってきた。流れが複数あった。毒が混じった流れと、まだ混じっていない流れが、槽の中で別々に動いていた。

「リン」

「なに」

「毒の流れと、きれいな水の流れが分かれている。リンにわかるか」

 リンは槽の縁まで来て、鼻を動かした。

「……わかる。右側が毒の流れ。左側がまだきれい」

「右側だけを切り離せれば、きれいな水を先に流せる」

「どうやって」

 蓮は考えた。

 水龍は流れを整える刃だった。流れを切り離す、という使い方が成立するかどうかわからなかった。しかし試すしかなかった。

 蓮は槽の縁に下りた。

 水面に刃を入れた。流れの方向に沿って、ゆっくりと動かした。

 毒の流れと清水の流れの境界を、刃が感じ取っていた。その境界に沿って刃を動かすと、二つの流れが少しずつ分かれていった。

 リンが槽の反対側から見ていた。

「右側の紫が、濃くなってる。左側が薄くなってる」

「流れが分離している」

「うん。……あ、左側の出口から、きれいな水が出てきた」

 川の方で音がした。

 きれいな水が流れ始めた音だった。

 リンが走った。

 川岸に戻って、倒れていた老人のそばに膝をついた。川の水を手に取って、匂いを嗅いだ。

「これはきれい。飲める」

 老人に水を口元に当てた。老人がゆっくりと飲んだ。

 しばらくして、目が開いた。

「……水が、冷たい」

 普通の声だった。

 リンが蓮を見て、小さくうなずいた。

 貯水施設の外に出ると、荷台の前に男が立っていた。

 初めて見る顔だった。細長い体格だった。蓮を見て笑った。笑い方が静かだった。怒りも驚きもない笑いだった。

「水龍を使いこなすか。……薫の息子は、やはり面白い」

「宗か」

「そうだ」

 宗は荷台を一度見た。

「今日のところは、お前の勝ちだ。街の水は戻る。……だが蓮、私が何のために毒を流したか、わかるか」

「わからない」

「お前を広州に引き留めるためだ。……三日後、黒麒麟大会がある。お前に出てほしかった」

 宗は懐から紙を出した。地面に置いた。風で飛ばないように石を乗せた。

「招待状だ。……持っていけ」

 蓮は宗を見た。宗は笑ったままだった。母の手帳に書いてあった通りの、笑顔の人間だった。

「リンのことを知っているか」

 宗の笑いが、一瞬だけ変わった。

「知っている」

「いつか話してもらう」

「大会が終わったら、話しましょう」

 宗は背を向けて歩いていった。

 リンが蓮の隣に来た。

「あの人が宗?」

「そうだ」

「……お父さんの匂いがした。薄かったけど、確かにした」

 蓮は招待状を拾った。

 三日後。黒麒麟大会。

 川の水がきれいになっていく音が、背後で続いていた。

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