[第2話]長女が怖すぎる!
「誰かいるよ。お母さん」
レオネード水花は微笑みを浮かべながら、くるっと母に背を向ける。
瞬間、森の沈黙が流れた。
セミたちの合唱の隙間を、静かな風が吹き抜けた。
水花と母の長い髪がなびいて、互いに触れ合う。
「……水花、すごいわね。お母さん、ぜんぜん気づかなかった」
母は何かを察した目で真正面を見つめていた。
「私たち、命を狙われてるみたいだ」
静かで、どこか妖艶な声色。水花も、真正面を見つめていた。
「……え、リスに?」
その瞬間、母の気の抜けた声が響く。
「……え?」
水花が首を傾げるのと同時に、母は慌てて振り返った。
「え、やっぱり違ったの!?」
純度百の驚きを見せる母に、水花は「うん」と優しくうなづいた。
そして母から目を逸らし、再び正面に向き直る。
それは、確実に迫っていた。
「確かにリス相手に大げさよねーって思ってたんだけど……」
まだ呑気なことを言っている母を後目に、水花は見ていた。その正体を。
「──あれ? もしかして気づいてます?」
木々の闇から姿を現したのは、少女。
黒いセーラー服。先っぽが嫌なくらい跳ねた黒髪おかっぱ。赤紫色の瞳。緩んだ口元……。
少女は、水花に見つめられていた。
「気づいてたよ」
一言。発した言葉は少女の余裕を吹き飛ばした。
「……そうですか。じゃ、私の正体も分かってますか?」
瞬間、水花の目が細まった。
蝉の鳴き声がより一層大きくなる気がした。
その人間の目がゆっくりと瞬く瞬間。
背後の母親、レオネード花子が振り向く瞬間。
「……いえ、全く、分かりませんね」
何も起こらなかった。
少女は安堵の息を漏らす。
「……あら、どちら様?」
母、花子は少女を見るや否や、にっこりと微笑んだ。
「……申し遅れました。私、当『黒薔薇リゾート』のオーナー、薔薇薔薇薔薇子と申します」
「あら、ちょっと芸名の癖強いわねー」
花子は純度百で笑った後、こちらに一歩踏み込んだ。
「私は、レオネード花子。レオネード優介の、妻ですっ」
軽い弾みを入れ、花子は「よろしくね。薔薇子さん」と笑いかけた。
「お母さん。私の足踏んでるよ」
水花が薔薇子を見つめたまま、口を挟む。
「あ、ごめんね」
花子はそっと足をどけて、改めて地面を踏みしめた。
ようやく行動を起こすか。薔薇子は口を開く準備をした。
「……やっぱり、痛かった?」
「……いや、痛くないよ。よく踏まれるし」
娘を心配する母。
「あ、だいぶ跡ついちゃってるじゃない……!?」
「サンダルだからね」
「お母さん、この歳になって……娘の足踏むなんて……」
元気を失くす母の、背中をさする娘。
「大丈夫だよ。大丈夫。レオネード家の長女は足を踏まれて育つのが伝統でしょ?」
軽い冗談まで言い始めた水花に、薔薇子は目を見開いていた。
「……それもそうよね。……あら?」
ふと薔薇子の方を見た花子が、これまた心配そうな目で尋ねる。
「……大丈夫? 凄い汗よ?」
「え?」
言われて初めて、濡れた全身に気が付いた。
「大丈夫?」
水花がこちらを見る。
あの、何を考えているのか分からない、不気味な微笑みで。
「……はい、大丈夫です。……だ、大丈夫ですので……」
緊張。焦燥。恐怖。畏怖。
感情が入り混じり、あらゆる選択肢をなぎ倒していく。
最後に残ったのはただ一つ。
「……宿泊棟へ、案内致します……」
”触れないこと”。
*
「──それで、今回も失敗したのか……?」
「……そお」
宿泊棟に二人を迎えた後、薔薇子は”オーナー室”を訪れた。
そこには、木蓮の姿もある。
机に突っ伏す薔薇子の頭を、木蓮がぽんぽんと撫でる。
「まぁ、そんなに怖けりゃぁ、手出しもできんわな」
「子供扱いすんな!」
即座に頭を上げる薔薇子に、木蓮は笑いながら言う。
「だって、『怖くて攻撃できなかった』って、お前、完全にパンピーじゃん」
「……そんなの知らない。怖いものを怖いって言って、何が悪いの!!」
完全に開き直る薔薇子に、木蓮は相変わらず余裕な笑みで言った。
「それなら、”水花”って奴は俺に任しとけ。とりあえず監視してみる」
「……わかった」
またもや机に突っ伏す薔薇子に背を向けて、殺し屋は扉へと歩き出す。
「……お前は残り五人を、よろしくな」
そうして、扉が閉まった。
誰もいないオーナー室で、薔薇子はオーナー席の椅子に寄りかかる。
「……あいつ、頼りになるな……」
そう考えるほど、自分が情けない。
何十人もの超能力者を殺してきた殺戮少女が、たった一人の若い女性に打ちのめされてしまった。
この事実が、彼女の心を曇らせるばかりだった。
「……やっぱり、私の手で殺さないと……」
湧き上がる怒りに、その拳を握りしめる。
何度も机に叩き付けては、「殺さないと」と連呼する。
だが呟く度、あの恐怖が繰り返し発露されるのだった。
「……別に、あとででもいいか」
そうして、諦める。
「……やっぱり、あの次男と父親から殺そっかな……」
窓の外、遠くには、あのバラ畑が広がっていた。




