おまけ(過去話)森の屋敷での一幕
クレアがリチャードの元にいた頃の裏事情です。
森の中の静かな屋敷に弟のセスが乱入してきた。
「兄上、今すぐクレアを連れ帰りたい」
まだ少し幼さの残る彼が言い張る。
「ダメだ。セス、やめておけ」
しかし、弟はかぶりをふる。
「タウンハウスに連れて行く。僕がそばで面倒を見る」
「動かすのはまだ無理だ。クレアの体に負担がかかる」
セスはクレアを気遣い、その言葉に不承不承頷く。
「分かった。なら、動けるようになったら連れて帰る」
やれやれというようにリチャードは額に手を当てる。
「それも、無理だ。第一お前の元で彼女はゆっくりと養生できるのか? あまりいい関係を築いていると言えないようだが」
セスは痛いところを突かれ、七つ上の兄を辛そうに見上げる。そっと弟の頭に手をのせた。
「まさか、お前の婚約者が、川から流れてきた少女とは思わなくてな。必死に探しているとは知らずに連絡が遅れて済まなかった。
私がきちんと面倒をみるから大丈夫だ。ベスという女手もある。心配するな。それよりもお前はしっかりと勉強して、クレアが遅れた分も見てやればいいだろう」
「……わかった」
やっと聞き分けたセスは、翌日から学園に戻った。しかし、週末になると森の中の屋敷までやってきた。クレアと上手く行っていないセスは、遠くから彼女に気付かれないように見守っている。こんな不器用な弟は初めて見た。
しかし、これならば、そのうち上手く行くだろうと安堵する。クレアは少し寂しげだが、とても穏やかで優しい娘だ。
しかし、弟はそこまで心配し気遣いをみせたのにも拘わらず、クレアを連れて帰る日、無愛想だった。
知らせを聞いてここに来た時、薬湯を飲んで眠っているクレアに泣き縋ったのが嘘のようだ。
可哀そうなことをしてしまった。もっと早くに分かっていれば……事情があるのかと思いそっとしていおいてやろうと身元を問い質さなかった。
セスは生まれてからこの方、足を踏み入れたことのない貧民街にまで行ってクレアを探していた。そこで彼が知った孤児たちの生々しくも悲しい現実。時たま生まれる魔力の高い子供は高値をつけて孤児院が売りに出す。
ラッセルは、それを知っていて、金を払いたくなくて、クレアを実子だと言ったのかもしれない。
一族として、セスの痛みは理解できる。だが、あの天邪鬼は分からない。出会う時期が悪かったのだろうか……。
ここでのクレアは、とても気立ての良い娘だった。しっかり者のベスとも気が合い、めったに人を褒めない彼女がクレアを褒め、可愛がった。
早く弟と上手くいって欲しいものだ。おそらく原因は、少し利かん気な弟の方にあるのだろう。クレアは素直な良い子だ。
迎えの到着を告げるとクレアが沈み込んだ。弟ともぎくしゃくしている。その様子を見て少し心配になったが、同時にいたずら心も芽生えた。クレアならば、あの長く眠る禁書をどう扱うだろう。
獣化しているときは相手の魔力をある程度測ることができる。クレアは桁外れに魔力が高い。川に落ちて助かったのも、きっとその魔力が防壁となって守ってくれたからだ。
それに以前から、セスが彼女は優秀だとベタ褒めしていた。上手く行っていないのに拘わらず、セスの口からは自分の婚約者を褒める言葉しか出てこない。
魔導書を渡すことによって、何も起きないかもしれない。しかし、クレアに魔が差し何か起こるかもしれない。その時は、我が弟がきっちりと始末をつけるだろう。
リチャードは二人を乗せた馬車が屋敷から去って行くのを見送った。
「クレアがいないと、寂しいですね……」
ポツリとベスが呟く。
「それならば、いつでも私がなぐさめ……」
ベスは皆まで言わせず、くるりと踵を返す。
「ご主人様。私これから食事の支度がありますので、失礼いたします」
ぴしりと言い放つと、ベスは去って行った。相変わらず手ごわい。クレアとはだいぶタイプが違うと苦笑する。
リチャードは気長に待つつもりでいた。いつか彼女が振り向いてくれる日を……。
とりあえず今は、そばにいてくれるだけでいい。




