貴族の馬車
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「うぅ……おなか痛い…………」
一時間後、腹部を押さえて歩く少女の姿が、そこにはあった。ローズ・ノルザリアである。
そんなローズの前を歩くアランは、ちらりと後ろに視線を向け、この一時間で嫌というほど思い知らされた事実を再び確認した。
(こいつ、絶対にただのバカだろ……)
足取りのおぼつかないその姿は、「勝負しなさい!」とアランの前に立ちふさがったのと同一人物とは到底思えない。
どうしてローズがこんな状態なのかというと―――――
「お前、いくらなんでも食べすぎだぞ?」
「しょ、しょうがないじゃない、勝負だったんだから……」
ただの、食べ過ぎである。
アランは声を掛けられるままに商店街で食べ歩きをしていたのだが、ローズは店員に「私には二倍ちょうだいっ!」と言いながら後ろを付いて行ったのだ。
そして、今手には何も持っていない。きれいに完食していた。
「いや、勝負なんて受けた覚えねーし」
「あ、あんた何言ってんのよ、私は大食い勝負よって……」
「早食い勝負とも言ってたな」
「そうよ、それであんたが……」
困惑の色を濃くしながら、ローズの声は次第に小さくなってゆく。
「俺が、受けると言ったか?」
「………………言って……ない?」
ようやく冷静になって思い出したのであろう。ローズは借金でもしたかのように悲惨な表情になった。ガーン、という音が今にも聞こえてきそうである。
ローズの顔が真っ青なのは、勝負が成立していないことに気が付いたからではなく、単純に食べ過ぎで血の気が引いているだけなのだが。
(まじでこいつ……いや、もういいや……)
今更気が付いたのかと突っ込むこともせず、アランが早くも興味を失っていると。
「……そ、そんなことより、あんたって、意外と顔が広いのね」
ローズが額に汗を浮かべながら言った。
それが自身のミスをなかったことにしようとしているせいなのか、食べ過ぎのせいなのかは分からなかったが、いろいろと面倒になったアランは、話題に乗ることにした。
「あのおっさん達は俺の学園での評価なんて知らねぇからな。こっちが好意的に接してりゃ仲良くしてくれんだよ」
「それはそうでしょうけど……。あんた、学園でもそうしてればいいじゃない。そしたらもっと……」
「んな訳ねーよ。おっさん達は魔術師じゃねーからああなんだ。学園の奴らとはちげぇ。魔術師ってのは嫉妬深くて自己中なんだよ」
アランはローズの言葉を遮ってそう言うと、どこか寂しそうにははっと笑った。
ローズは反射的に、そんなことはない―――と言おうとして、しかしなにも言えずに口を閉じた。
アランの言うことがすべての魔術師に当てはまる訳ではない。だが、魔術を使えない一般人に比べて、多くの魔術師がそういった傾向にあることは紛れもない事実だ。
それが魔術を持つが故なのか、歪んだ魔術視師社会によるものなのかは、今となっては分からない。
「でも、あんたの態度にだって問題はあるわ」
「俺は善意には善意、悪意には悪意で返す主義だ。あいつらが俺に敵意を向けてくるから、全力で答えてやってるんじゃねーか」
「みんな真剣に戦ってるのよ。あんたは相手をバカにしているだけじゃない」
「さっきも言ったが、あれが俺の全力だ」
それまでのはぐらかすような声音とは違い、冷たさを感じさせるような、落ち着いた口調でアランが言う。
「あんたは……そんなんじゃ、ないもの」
その呟きは、アランには聞こえなかった。例え聞こえていたとしても、その小さな声から感情を読み取ることは出来なかったに違いない。
そのまましばらくどちらも言葉を発することはなかったが、二人の歩みが大きな橋に差し掛かると、急に立ち止まったローズが言った。
「じゃあ、今はどうなのよ」
突然の意図の分からない問いに、つられてアランも足を止める。
「どうってなにがだ?」
「あんた、善意には善意、悪意には悪意で返すのよね」
「あぁ、そう言ったぞ」
アランが頷くと、何を考えているのか、ローズは自身の髪の色のように頬を染めた。
「じゃあ、ちゃんと私にもそうしなさいよ」
「ん、お前にもそうしろってどういうことだよ。俺はいつだって……」
「全然してないじゃない!」
態度を崩さないアランに、もう我慢の限界だというようにローズが声を張り上げる。
「あんたは私の気持ちを全く分かってないわ!」
「お前が勝負だとか言ってくるから、いつも通りおちょくってやってるんじゃねーか」
「だから分かってないって言っているのよ!」
「あのなぁ、そう言うんだったらもっと分かりやすくだなぁ……」
訳が分からなくなったアランはローズに説明を求めようとするが、アランの言葉は最後まで続かなかった。ローズからの反応もない。
それもそのはず、大声をあげていたせいか、近くに来るまで気付かなかった馬車の音が二人の耳に届いたのである。
馬車が見えたならばすぐさま道を開けて膝をつけ、という言葉がアランの頭に浮かぶ。それは、水運が盛んなヴェレリアに伝わる古くからの教えだった。
水の都と呼ばれるヴェレリアでは、人を運ぶのも、荷物を運ぶのも船の役割である。街中まで馬車で来る者がいるならば、それは小舟に乗るのを嫌がる者達、貴族であることがほとんどだ。
イリア王国の約一割である魔術師の中から選ばれた、さらに一部の者にのみ与えられる称号、貴族。
その数は人口の一パーセントにも満たないが、権力は絶大だ。さほど広い範囲ではないが、法的に一定範囲内の領土の支配が認められており、他にも税金の免除や、使役軍の保有権利といった特権が与えられている。
今アラン達がいるのは一般市民の住宅街。いくらヴェレリア魔術学園があるとは言え、多くの貴族が王都ロマニア近郊に城を構える中、入学前の引越し時期でもないに、ヴェレリアの街中で貴族の馬車に遭遇するなど年に一回あるかないかであろう。
(ちっ、タイミングが悪りぃな……)
アラン達が今立っているのは橋の上。横道などあるはずがなく、かと言って引き返し背を向けるのも癪だったアランは、立ち往生をする羽目になってしまった。
周りを見れば、道行く人々は皆道端に寄り膝をついて頭を下げている。例外はアランと、その隣に並んで立つローズのみであった。
例え魔術師であっても、貴族でないならば市民と同じようにこうべを垂れるべきなのだが……。
(そういやこいつ、貴族だとか言ってたな……)
アランは学園前でローズが言い放ったことを思い出していた。ローズの羽織るケープには、貴族である証、家紋が金色に輝いている。
ローズは堂々とした振る舞いで、正面から貴族のものらしき馬車を見つめていた。
アランがもう一度馬車に視線を戻すと、馬車に家紋の装飾が施されているのが見えた。
(ん、これって……)
アランは数秒前に見た家紋を思い出す。
(こいつの家の馬車なのか……?)
薔薇をモチーフにしたのであろうその家紋は、ローズのケープのものと全く同じであった。
アランがそんなことに気を取られているうちに、馬車は二人のすぐ側まで迫っていた。
おそらく中にいる人物が何か指示をしたのであろう。微かに声が聞こえたかと思うと、馬車は徐々に速度を落とし二人の横に停車した。
そして幕を上げ、中から一人の男が顔を覗かせる。短い白髪にギョロリとした目を持つ男であった。年齢的にはおそらく老人と呼べるであろうが、その野望に満ちた目付きからか老いを感じさせない風貌だ。
男はローズを視界に捉えると途端に表情を明るくし、わざとらしいほどの笑顔を浮かべた。
「これはこれは、ローズお嬢様ではございませんか。この度はわたくし共をお招きいただきありがとうございます」
「呼んだのは私じゃない、父よ」
恭しく接する男とは対照的に、ローズはぶっきらぼうに答える。どうやら全く知らない相手というわけではないようだ。
男の口ぶりからするに、馬車の中にはこの男以外にも乗っているらしい。ローズの家の馬車に乗っていることからしておそらく貴族だが、ローズの家よりは地位が低いのであろう。
アランは冷静に状況を把握しつつ、決して背を向けないように立っていた。背中を見せれば、ケープに貴族の家紋がないことがばれてしまう。アランは、このまま自分に触れずに立ち去ってもらえれば、それが一番穏便に済ませられると考えていた。
しかし、そんな淡い期待はすぐに裏切られてしまった。
男はローズに左様でございますか、と相槌を打つと、今度はアランに値踏みをするような視線を向けてきたのである。
「それで……そちらの方は?」
アランには話し掛けずに、ローズに問い掛ける。
「こいつは私の……学園での友人よ」
ローズは一瞬言葉に詰まったようだったが、はっきりとそう答えた。
(こいつ、自分から話し掛けて来たくせに、俺のことを友人認定するのを躊躇いやがったな?)
まあ、アランもローズを友人だとは思っていないのでお互い様なのだが。一時間行動を共にしただけで友人を作れるならば、学園で今のような状況にはなっていなかったはずだ。
ローズが答えても男の視線は緩むことはなく、むしろ鋭くなっていく。
「大層立派なネクタイをされているようですが、貴族ではないのですかな?」
これも、ローズへの問いである。ローズはアランに視線を送ったが、アランは目を合わせようとはしなかった。任せるという意思表示だ。
「……そうよ。こいつは貴族じゃないわ」
それを聞いた途端、男の顔がぐにゃりと歪む。
「やはりそうでしたか。どうりで魔力をこれっぽっちも感じないと思ったんですよね、えぇ。あっ、あれですか、ひょっとして君があの有名な偽Aランク君でしょうか」
ローズに向けていた笑顔とは明らかに違う。男は作った笑顔ではなく、見た者をゾッとされるような顔で、しかし本当に愉快そうに、笑っていた。
「あぁ、そうだ」
ローズがなにか言おうと口を開きかけたが、アランはそれを遮って言った。男の顔がさらに歪む。アランに向けられたその男の顔に、笑顔はなかった。
「一般魔術師風情が……、私に口を利くんじゃないっ!」
男は突然声を荒げ、アランを睨みつけるように言い放つ。ローズは一瞬怯んだようだったが、直後、アランに目を向けた。
普段は真面目に取り合わず、人の顔を見ようともしないアランだが、この時は何故か、男の視線を真っ直ぐに受けていた。
「貴族じゃないならゴミと同じように道端に転がっておれ」
続けて男が吐き捨てるように言う。男の言ったゴミが、魔術師ではない一般市民を指しているということは、アランも、そしてローズも正確に理解していた。
「まあよい、私は急いでいる。さっさと失せろ」
「ちょっとあんた――――――」
男の物言いに腹を立てた様子で、ローズがなにかを言い掛けたが、アランがそれを手で制す。
「そりゃぁちょうどいい。俺も急いでんだ。じゃあな、ローズ」
アランはそれだけ言うと、ローズ達に背を向けて去って行く。
それを追って伸ばしたローズの手は、ただ空を切るのみであった。
読んでくださりありがとうございます。
ある程度『貴族』について調べたうえで書いてはいるのですが、この作品ではあまり掘り下げることはしないと思います。王族より下で平民より偉い、くらいの超絶曖昧な認識で進行しようと思います。
あまりそこにこだわりたくないというのが本心だったりします。