29 同じ気持ちだ
「そうすれば、まだ一日一緒にいられます!」
確かにそうだけど、あまりに顔が近くてまともにものを考えられない。鼓動も早まり、わたしはただただ瞬きを繰り返した。けれど、中々返事をしないわたしに対し、エリオットは急に悲しそうな顔になる。
「ジェシーは寂しくないんですか?」
目の下に隈があっても、エリオットは魅力的だ。しかも懇願するような様子が可愛く思えてきてしまうほど。だから、わたしも釣られるように本音がするすると口から出てしまう。
「さ、寂しいよ! でも、予定を変えれば大勢に迷惑が掛かるでしょう。だから、本当は寂しくて、嫌だけど、ちゃんとお別れに来たんだよ!」
言いながら少し目じりに涙が浮かぶ。
「叶うなら一緒に行きたいけど、少しの間でも離れたくないけど、わたしたちにとって大切なひとを困らせるだけだもの。大丈夫、だってエリオットは待っていてくれるんでしょう? わたしはそれを信じていればいいんでしょう? 次に会えたら、もうずっと一緒にいられるんだって」
少し潤んだ宝石みたいな紫の瞳を強く見返しながら、わたしは言う。
「違うの?」
「違いません。本気です……僕は、ジェシーをお嫁さんにしたいんです。どうしても」
少し掠れた声ではっきり言われてしまい、逆に何も返せない。
心が沸き立つように波立って、嬉しくてたまらないから、声をうまく出せなかったのだ。喉が詰まって、勝手に目が潤む。
そんな状態のわたしを見つめながら、エリオットはさらに言葉を重ねる。
「離れている間に、ジェシーに何かあったらと思うと、怖くて。眠れなかった」
吐き出すように告げられた事実が、こそばゆくて嬉しい。
「わたしも同じ気持ちだよ、だから、ここに来るのが怖かった。貴方が行ってしまうのを見るのが怖かったの」
目を見合わせたまま、しばらくじっとしていると、どちらからともなく笑いが零れた。
すると、後ろから気まずそうな咳払いが聞こえてくる。わたしはこの場にもうふたりいることをようやく思い出し、頬が火照ってくるような気がした。
今まで人前でイチャつくひとを信じられない気持ちで見てきたと言うのに、まさか同じようなことをすることになるとは。あまりの羞恥に神経が焼き切れそうだ。
「何と言うか、仲が良くて羨ましいわ。何より、ジェシーにそういう方が現れたということが嬉しいけれど、その、こちらも恥ずかしくなってくるわね」
「ご。ごめんなさい!」
「いいのよ、恋人との別れとはそういうものだと知っているから」
恐る恐る振り返ってアントニアを見れば、彼女の白い頬までも赤く染まっている。
びっくりするほど居心地が悪い。
「それにしても、殿下のこういう面を見られるなんて思わなかったな。今まで女性に縁がなさ過ぎたのがいけないんでしょうかね?」
「僕だって、好きな人にはわがままくらい言いたいですよ」
「眠れないくらい好きな訳ですしね」
そう言ってポールはにやりと笑う。完全にからかわれているのはわかっているのに、わたしはといえば彼の放ったセリフに増々いたたまれなさが頂点に達する。
こんなことの当事者になるなんて、ほんの少し前では想像も出来なかったのだ。
「そうだよ、本当ならこのまま連れて帰りたい。王族でなければこんな面倒なことになんてならなかったのに……はぁ」
確かに、王族は貴族よりさらに自由度が低いのだ。今まで普通の庶民として暮してきたエリオットからしてみれば、窮屈に違いない。かなり濃い隈を作った顔で大きなため息をつく顔は心から憂鬱そうだ。
けれど、時間が刻一刻と迫っている。
なのに、わたしはそれを口には出せなかった。わたしも本音では行って欲しくないからだ。
「でも、王族に生まれなければジェシー様とは結婚出来なかったんですから、諦めて準備をしましょう。大丈夫ですよ、すぐに会えるんですし、結婚したら離れることもないんです。ちょっとの我慢ですって」
「わかってる」
ポールに言いくるめられ、エリオットは渋々支度に取り掛かることになった。
「じゃあ、隣の部屋で待ってるね」
「すみませんでした、ジェシーはちゃんと正装で来てくれたっていうのに、こんな駄目なところを見せてしまって」
「いいの、そうやってわがままを言って貰えることも嬉しいから」
そう言うと、まだ着替え前の楽な姿のエリオットに突然抱きしめられる。突然のことに反応が出来ない。そのまま固まっていると、エリオットが耳元で言った。
「可愛い、しばらくその笑顔が見られないなんて、辛いです」
囁くような声に、動悸が止まらない。
何も言えないまま、何とか腕を上げて抱きしめ返す。するとエリオットは満足したのか、わたしから身体を離して笑った。
「じゃあ、着替えますね」
「あっ、うん。すぐに部屋を移るね」
わたしは慌てて立ち上がると隣の部屋へ向かう。やがて、寝室の戸が閉められると、アントニアが意味ありげな笑みを浮かべているのに気づく。
「な、なに?」
「いいえ、何もないわ。だけど安心はしたわね」
「安心?」
「殿下はジェシーのこと心から好きなのね。だからナディーンを見ても何も感じなかったのよ。ここまで愛して下さる方と出会えて良かったと本当に想うわ。
だって、貴女は今まで貧乏くじを引き過ぎだもの」
言葉の後にナディーン姉様のせいで、と続きそうだったが、アントニアは皆まで言わなかった。言わなくてもわかると考えたのだろう。
確かに、姉様があの容姿に生まれたことで、辛い思いをしたことがないといえば嘘だ。比較されてけなされては泣いてきた。けれど、姉様だって望んでああなった訳ではないのだ。
「この様子だと花嫁選考会も無事に進みそうね。本当はナディーンなしの方が良いに決まっているけれど、もう決まった事だし、仕方ないわね。
それにしても、殿下って不思議な魅力のある方ね。とても綺麗なお姿で、少し女性的な雰囲気もあって。それに、護衛の方も本当に素敵だわ」
「本当、完璧に王子様と騎士って感じがするよね」
「そうそう、それよ! お城で初めて見た時にも思ったけれど、対照的なのよね。だからお互いを引き立て合っているというか」
「やっぱり、わたしもそう思ってたの!」
アントニアの例えを聞いたわたしは嬉しくなった。今までずっと、何かを共有できる友人がいないことが寂しかった。メイジーとは身分の差や、感覚の差があってそういうお喋りは出来なかったし、他のご令嬢たちはわたしを姉様への苦情係としてしか見てくれなかった。
だから、そんな他愛ないことが嬉しい。
わたしはエリオットの支度が終わるまで、アントニアとのお喋りに興じた。
出てきたエリオットは完璧な王子様姿で現れ、はしゃぐわたしとアントニアを不思議そうな顔で見つめたのだった。




