20 指先の温もり
今日は暇だ。
エリオットは座学に勤しんでいるし、メイジー達も手の足りていないこの屋敷の使用人に混じって雑事に忙しい。チャドは馬車の手入れや馬の世話をしつつ、将軍の馬を見るのに忙しいようだ。
ボリスはと言えば、手の空いた見張りの兵士と手合わせをして有事に備えているみたいだし……。
「どうしよう、久しぶりに刺繍とかやってみようかな。別に苦手ではないんだけど、そんなにやりたくもないし」
小さめの庭園に面したテラスに置かれた椅子に腰かけ、目の前のテーブルに並べられたティーセットを見る。当然、全部飲んだし、お菓子も全て頂いた。
ここは蔵書が少ないので、わたしの読めるような本はほとんどない。
政治や地理や歴史など、難しいものが多いのだ。
そこで刺繍ならばと思ったのだけど。
あんまりいい思い出がない。
令嬢のたしなみとして、色々教えてもらったものの中にあった刺繍。姉と一緒に練習して、頑張った成果を見て欲しくて皆に見せた。しかし、一足先に完成させていた姉の刺繍の見事な出来栄えに、わたしのまあまあ初めてにしては良く出来ているよね、程度のものは大して見向きもされなかった。
しかも、その後気がついたときには雑巾になっていた。
姉の刺したものは額に入って飾られていたのに何という差。いや、何を刺繍したのかわからないんだから仕方ないけど。
しかも姉の刺繍をわたしの部屋に飾るとはどういう了見なのか。
後で有名画家の絵を買って掛け替えましたけど。
あの時はさすがに泣いたので、刺繍はやっぱりやめておこう。
ちなみに、他にも似たような話がごろごろしている。
「姉様とかぶらない趣味を見つけないといけないなあ」
だがそれはなんだろう。
まず女性のたしなみ系はアウトだ。そういうのは姉の方が上手過ぎる。プロも真っ青の出来栄えなのだから、除外。
害にならないのは読書と、薬草栽培、食べたい料理の考案とかそういう自分のためだったり、大切な使用人のためだったりすることだ。
「どうせなら、誰かの役に立てる趣味がいいとは思うけど」
簡単に見つかれば苦労はないのだ。
いっそのことメイジーたちに混ざって何かしようかなあ、などと思ってぼけーっとしていると、後ろから声が掛かった。
「どうかしたんですか?」
「わあっ!」
誰もいないし来ないとばっかり思っていたので本当にびっくりした。椅子ごとひっくり返るかと思ったけれどなんとかなった。振り向くと、そこには勉強をしていたはずのエリオットが立っていた。
「すみません、驚かせるつもりは無かったのですが」
きちんと正装した彼はまさに王子様。
さらさらの髪が光を受けて凄く綺麗だなぁと思いつつ問う。
「どうしたの? 今は難しいお勉強の時間じゃなかったの?」
「ええまあ、少し早く終わったもので。そうしたらここにジェシーがいるのが見えたので声を掛けてみたんです」
「そうだったの」
とりあえず状況を理解したので、息をつく。
さりとて、何を話したものか。知り合って日が浅いせいで、共通の話題なども特にないし、王位だの何だのといった物騒な話はそんなにしたいものでもない。
場に沈黙が落ちて、庭木が揺れる音だけ響く。
すると、エリオットが側までやって来て隣の椅子に掛けた。
「少し、聞きたいことがあります」
「聞きたいこと?」
「ええ、その……聞きたいことというか、相談といいますか」
相談と聞いてわたしは心配になる。
話を聞くのは全く構わない。疲れはするけど聞いてあげるのは得意だ。けれども、わたしに何か結論を求められたりしたらどうする? 深刻な悩みじゃないといいんだけど。
「な、何かな?」
「その、僕ってちゃんと男に見えますか?」
「……ん?」
何か、予想だにしなかったことを問われたような?
「ですから、僕ってこう、この見た目じゃないですか。これで王宮に行って王子だなんて言っても誰も信じてくれないんじゃないでしょうか。それに、王子ともなると屈強な近衛騎士団に囲まれるわけですから、お姫様を護衛していると誤解されないでしょうか?」
「待って、話が見えないんだけど」
エリオットはわたしに何を言って欲しいんだろう。
そもそも、確かに彼の見た目は愛らしいが、骨格や身体付きは間違いなく男性のそれだ。何より、格好良くゴロツキを撃退した時の姿は目に焼き付いている。
間違いなく、男性なのだけど……。
「男装した女が乗り込んで来たって思われたくないんですけど、いつかはそれと直面しなければならないと思うと」
「いやいやいや、大丈夫だよ。ほら! わたしと全然手の大きさも違うでしょ」
言うなり彼の手を取って手のひらに手のひらを重ねる。
ね? と見せれば今度は彼の顔がみるみる赤くなっていく。
「あの、嫌じゃないんですか?」
「何が?」
「いいえ、以前女みたいで気持ちが悪いと言われたことがあって」
「何それひどい!」
怒りながら、わたしはどうしたら彼が自信を回復してくれるのか考える。けれど、あんまり思いつかない。とりあえず、自分が彼を格好良いと感じた部分を力説することにした。
「エリオットは格好いいよ。食堂で助けてくれた時とか、わたしのために罪をかぶろうとしたとことか、男だって出来るひとなんかそうそういない。見た目なんか気にしないで、少なくとも、わたしにはちゃんと男性だからね!」
力を込めて言うと、エリオットは呆気にとられたように目を見開き、ふと重なったままの手を組んで来た。
自分の指の間で感じる骨ばった手の感触に、わたしは手を引っ込めかけて思いとどまる。ここで逃げては説得力がなくなってしまう。むしろ握り返してやらなければ!
ああ、でも気恥ずかしいような……。
「嬉しいです……ジェシーがそう言ってくれれば、僕はもう大丈夫」
「そ、そう! なら良かった」
動揺を悟られないように必死で嬉しそうな笑顔を作り答える。
「はい。他の人にどう思われても、貴女が僕の味方でいてくれるなら、それが支えになります。ありがとう。聞いてもらったらすっきりしました」
「うん、わたしはいつでもエリオットの味方だから」
そう言うと、手がするりと離れていく。
残った温もりがなんとなく寂しくて、同時に安堵もした。
「それじゃあ、次の勉強が待っているので、また後で」
「うん、また後でね」
立ち上がって歩き去っていく後姿を見つめながら、わたしは思わず胸に手を当てていた。動悸がおさまらない。少し息苦しい。
だからしばらくその場にじっとしていた。




