07 神は見守る
小汚い小さな部屋。あるのは一つのベッド。椅子、机のみ。
宿屋だと聞くが、それにしたってあまりにも汚らしい場所だとマティアスは壁に寄りかかり、じっと沈黙を貫いていた。
金髪の女は大きな背負いの鞄から、いくつもの装飾品をベッドに並べては身に着けてみてはまた元に戻すことを繰り返していた。また、顔の火傷が目立つ男はマティアスと同様に壁に寄りかかり、瞼を閉じている。寝ているようには見えないが、もしかしたら本当に眠っているのかもしれない。
と、部屋唯一の開けてある窓から、大きな黒い影が入り込んできた。
「もう戻ってきたの? せっかくお買い物しようと思ったのに」
「そう言うなって」
金髪の女は何も驚くこともなく、むしろ呆れたように肩をすくませた。
その黒い影。マティアスをここに連れてきた灰の目の男はわざとらしく大きく肩を落としながら、ずいぶんと汚れた外套を脱いだ。
「初めて見るな」
「いやな? あの大神官って奴が結構やるんだよ」
外套の下は、ずいぶんとぼろぼろの服を着ていた。所々黒い汚れも見えた。
火傷の男は意外だと言わんばかりに短く言うと、灰の目の男はずいぶんと楽しそうに声を弾ませ、マティアスを見やった、
「えーっと? あの大神官が兄、でしたっけ?」
「僕の方が一つ上だ。それと敬語はいらない」
「ははっ、じゃあマティアスって呼ぶわ。これから」
一気にずいぶんと親しげな口調に変えた灰の目の男は、そのままマティアスに問う。
「でさ、あいつの魔力どうなってるんだよ。馬鹿みてぇに全部凍らせちまうしさ」
「お前達がいつからこのロトアロフに入り込んでいたのかは知らないが、ヴィンセントは一度、大神殿の庭園を半壊させたことがある。確か……十にも満たない時、だった」
「やべぇじゃん」
他人事に相槌を打つ灰の目の男に、マティアスはつい、じっと見つめてしまった。
「なんだよ」
「……いや。お前達が一体何者なのかも、一体いつからロトアロフに入り込んでいたのかも、何もかも僕は知らないから……」
「その知らない奴らの口車に乗せられちまって。ああ、おかわいそうに。母親の呪縛からようやく解き放たれたってのにな?」
灰の目の男はやはり面白そうに笑う。
この様子を呆れた様子で金髪の女は一つ息をつき、一つずつ丁寧に広げた装飾品を鞄にしまい込んでいた。火傷の男はやはり黙ったまま、また瞼を閉じて壁に寄りかかっている、
あまりに自由に過ごしている彼らに、マティアスは真っ直ぐに聞いた。
「……お前達は、何者なんだ」
何者か分からない相手と手を組んだのはマティアスだ。むしろあの時はそれが好都合だと思っていた。
何かあれば簡単に切り捨てられるとばかりに思っていたから。
しかし今、こうして彼らの誘いに乗ってしまったのだ。ならば改めて聞くのが筋というものだ。
灰の目の男は、ほんの少しだけ口元を歪め、先ほどよりもずいぶんと冷たい声で言い放った。
「俺達は奴が支配する世界から自由と理想郷を追い求めているだけさ。ずっと、気が遠くなるほどにずっと前からな」
気が遠くなるほど。
それは十年単位での話なのか、それともまさか百年単位での話なのかは不明だった。しかも奴等とは、一体誰のことなのか。
疑問がマティアスの中で湧き上がる。そんな中、灰の目の男は聞かずとも教えてくれた。
「言っただろう? 俺達人間こそ、神を使う側だって」
それはまるで、神が支配している、と言わんばかりに。
しかし、それが本当の話であるならば、なんと滑稽なことであろうかとつい笑みがこぼれそうになった。
人間を支配している神が、自身の神の力によって、人間達から反旗を翻される
なんて。
「……理想郷、か」
「ああ、そうだ。そして自由の為に、力をつけた。ってのにさぁ……」
灰の目の男は苛立ちを隠さずに、自身の前髪をかき乱した。
「とくに銀の聖女! これがすげぇ厄介!」
「本当にそれ」
「ああ」
灰の目の男に同調するように、二人は大きく頷いた。
「本当、途中までうまくいってたんだぜ? ようやく、本当にようやくってところで……。ああ、いや、でも、後数十年くらい待てば手に入るしなぁ」
「数十年。些細だな」
「そうそう、次の次ぐらいの奴らにぶん投げちまうか」
沸騰した湯のように怒りを見せた灰の目の男は、瞬時に先ほどと変わらない姿へと戻った。
なんとも忙しい男だとマティアスは眺めつつ、その言動の意味がどうしても理解が出来なかった。
数十年待てば手に入る。あの忌まわしい銀の聖女に関することなのだろうが、一体何が手に入るのかが分からなかった。しかもだ、その数十年を些細だと火傷の男は言いきったのだ。
もはや時間の感覚すら大きく異なっているのだと、マティアスは彼らの会話を聞いて理解した。
と、灰の目の男はぐるり、とマティアスへ大きく体を回して向き直った。
「ああ、そうだ。銀の聖女の側にいるあの騎士。あれ、半分異国の血が流れているだけで、あの国の人間らしいが知っていたか?」
「そうなのか?」
あの塔で初めて会った、はずだとマティアスはあの褐色の肌を持つ騎士の姿を思い出す。
なんとも物好きな聖女だと思ったが、それについては多少なりとも好感を持てた。何せマティアスにもまた王族でありながら半分異国の血が流れている。その異国に縁がある者が、立場ある人間の側にいるというのは素晴らしいことであるとマティアスはそう認識していた。
「すげぇ苦労しているんだろうなぁ。マティアスみたいにさ?」
「……そうかもしれないな」
「だろう? だってのに、あの銀の聖女が表に立たせているんだ。かわいそうになぁ。無理やり、飾りのように置かれてるかもしれねぇ。珍しくって」
しかし、その立場ある人間は銀の聖女だ。
別の聖女であれば手放しで素晴らしいと思えた。だが、銀の聖女はよろしくない。聖女とは名ばかりの強欲な女だ。きっと、そうだ。あの女が無理やりに側につけたのだ。まさしく装飾品と同様に。
「ああ、そうかもしれない」
「かわいそうになぁ。だってのに、ここの神は見るだけ。何もしやしねぇ。力があるってのに」
そしてこの国の神は何もしない。代わりに愛娘達に多くを押し付け、挙句に聖女へとさらに役目を押し付けた。
マティアスは灰の目の男に促されるように、今までの思いを吐き出した。
「ああ、本当にその通りだ。そも、この国はおかしい。何もしない神に祈りを捧げ、何をしたいのか。そんなもの、存在しないと変わらないじゃないか。だと言うのに、この国の人間に力を与えずにどこか知らない人間に力を与え、聖女と呼ばせた」
なんということか。なんという愚かしいことをしていたのか。なんという歪であったのか。
「おかしい。だから僕はお前達の手を取った。神は救ってくれない。だから僕自身が動くしかなかった。だというのに、何ていう仕打ちなんだ……!」
「ああ、そうだ。マティアス。だからまず、そいつを救ってやろう。聖女に囚われた人間だ。最初は拒まれるだろうが、あれがいなくなればきっと理解してくれるはずさ」
救う。何もしない神の代わりに、己が救う。
なんという甘美な言葉であり、瞬きであり、光であろうか。
マティアスはその言葉に酔いしれるようにゆるり、と笑みを深めた。
「ああ、そうだな。銀の聖女が、いなくなれば、きっと」
そして役立たずの神が、いなくなれば、きっと。
この、世界はまさに理想郷となる。
外はもうすでに夜。静まりかえっているはずの外には、漆黒や深紅の騎士達がうろついている。故に、マティアスは窓から室内が見えない位置に移動し、椅子に腰を掛けていた。
「これから、どこに向かうんだ」
囚われの身から追われる身となったマティアスは、隣に立っていた灰の目の男に問う。
灰の目の男はにんまりと笑みを深めた。
「南だ。ちょうど良い時期だし」
「時期?」
南には、守護伯が治めるエヴァンハイン領がある。そこに一体何があるのかとマティアスは顔をしかめれば、灰の目の男はさらに笑みを深めた。
「ああ、翌年だけどな。あの国はなかなかに面白いのが見られると思うぜ?」
国、と言われマティアスはすぐに理解した。
このロトアロフは、北の鉄壁と呼ばれている。そしてそのような異名は、当然のことながら隣国にも存在した。
南の黄金。メシュラルド。
国民は皆、褐色の肌を持っていて一目で異国であると分かるほど。また気候が大きく違い、あちらはとても暑いとマティアスは聞き及んでいた。
「……楽しみだな」
「だろう?」
灰の目の男はマティアスの肩に腕を回す。
マティアスは払い除けそうになるのを耐え、僅かに口角をあげた。
そしてふと、今更ながらに気付いた。
「なぁ。お前達の名はなんと言うんだ?」
「あれ? まだ言ってなかったっけ?」
どうやら灰の目の男は言ったつもりになっていたらしい。
今、金髪の女と火傷の男はいない。そのせいかやけに灰の目の男の笑い声がよく響いた。
「そうだな。そうだわ、いやぁ、すっかり忘れてた」
けらけらと灰の目の男は笑い、そしてマティアスへ名を告げた。
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時計の針は後少しで、てっぺんを指そうとしていた。重く厚いカーテンに閉め切られた室内は、外に満ちる夜の色よりも暗い。
唯一の光源であるベッドサイドに置かれた明かりは弱々しく光を発していた。
また、夜明けまで眠り続けるのだろうか。
静が眠るベッドの端に座るルイスは背中を丸め、静に背を向けたまま素手の両手を組むように握り、そのまま祈りを捧げる。
見守る我らが神に。聖女達の愛娘達に。側にいる眷属達に。
どうか、どうか。この銀の聖女がまた、目覚めますように。
そうして、どれほど経ったか。時計の針はすでにてっぺんを大きく過ぎ去った。
僅かに、布が擦れる音がルイスの耳に届いた。
「……ルイス?」
次いで、静の眠たげな声がルイスの名を呼んだ。
ルイスはすぐに丸くなった背中を伸ばし、静へと振り返る。弱々しい光に照らされているせいか、静の銀の瞳はどこか虚ろに見えた。
頬に触れてみれば、昼間の熱さはすっかり身を潜めていた。
静はどうやら元から体温が低いらしい。おそらくはこれが平熱なのだろうが、ルイスが対して高めなせいでずいぶんと冷たい印象がどうしても拭えなかった。
「お加減は」
「ちょっと、まだ眠い……かも」
普段よりも瞬きの数は多い静は、そのままルイスの手にすり寄った。
このまま、また静は眠ってしまいそうだった。けども静はまだ眠りたくないのか、小さく呻き、ルイスを見上げた。
「あのねぇ……、ユフィアータに呼ばれたんだけど……」
「……呼ばれた、というのは」
「話があるから来て欲しいんだってぇ、祈りの間の地下に……」
眠気が強いのか、静の口調はいつもよりもゆったりとしている。そんな中、静はとても大事なことを告げた。
まさか、愛娘自ら、呼び出すとは思わなかったからだ。しかも、祈りの間の地下に。
ルイスはまた祈りの間の地下へと足を踏み入れたことはない。そこには神話の真実があるとヴィンセントから聞き及んでいる。そしてとても素晴らしい場所であるとも。
ルイスは迷わず、頷いた。
「承知しました」
静はそれを見て、満足げにとろりとした微笑みを浮かべた。
瞬きの数が多い。そろそろとまた眠りにつくのだろうと思っていれば、何故か静は手を伸ばし、ルイスの頬に触れてきた。
「何ですか、静様」
「疲れてる顔してるなぁ……って」
冷たい指先が、ルイスの目元に触れた。
眠たげなのに、遠慮のないしっかりとした触れ方にルイスは小さく息をついた。が、それについての小言は何一つ思い浮かばなかった。
「……さすがに、そうですね」
事実、ルイスの疲労は溜まっていた。
原因は分かっている。昼間の襲撃のせいだ。もっと詳しく言えば、ヴィンセントが全てを凍らせたせいでもある。
ルイスはあの時、あの忌まわしきものと呼ばれる黒いものを防ぐためにヴィンセントが魔術によって生み出した氷を操り、盾として使った。
結果、魔力を多く使いすぎた。
他人の魔力によって作り出したものを無理やりに自分の魔力を織り交ぜて言うことを聞かせるのだ。いつも以上に魔力を使うのは当然であった。
だから素直にルイスは頷いた。
すると静は何故か、ぱっと目を見開いた。まるで、良い事を思いついたかのように。
「静様、いけませんからね」
「まだ何も言ってない」
「どうせ共寝をしようと言うつもりだったのでしょう?」
「うん」
こんな状況で静が思いつくことなんて簡単に予想ができた。本当に碌でもないことを思いつく。
さっさと静を寝かせてしまおう。そう思い、手で静の目を両目を覆おうとすると、静はすぐにされることが分かったらしく、両手を使ってルイスの手を止めた。
「静様」
ルイスは静をたしなめるように呼ぶ。静は不満そうにじとり、とルイスを見あげながらルイスの手を両手で弱々しく握りしめた。
「駄目?」
たった一言である。
その一言でルイスは小さく唸り、大きく息を吐き出した。
「ふふっ……」
静の笑みが耳を掠めた。
仕方がない。何せ我らが銀の聖女がご所望であるし、なによりもルイスにとって、唯一無二の愛おしい人のお願いであるのだから。
なんて、長々とした言い訳を自分に何故か言い聞かせた。
静はそんなルイスの心情を知ってか知らずか、手を離す。
だからルイスはまずブーツを脱ぎ、そして上着を脱ぐ。脱いだ上着はベッドの端に投げた。
それから静の体を少し持ち上げてずらし、共にベッドに横になった。
「これで満足ですか?」
「うん」
満足げに頷いた静は、遠慮なくルイスへとすり寄る。ルイスはたまらずに大きく息をつきながら、その体強く抱きしめた。
その時、静の首元につけられている魔具が正しく作動していることを忘れずに確認する。
静の熱は下がっている。これは異世界の人間である静達にとって、この世界の魔力が毒であるからだ。この魔力がある限り、静達はこの毒によって命を脅かされる。
それでも生きていられるのは、愛娘達の力のおかげだ。おかげでこの世界の人間達と同じように過ごしていられるうえに、おそらくは様々な毒からも身を守られている。
だがひとたび、その力が弱まれば静のような状態になる。今のところ、この症状が出ているのは静だけ。静だけが、呪術や、あの忌まわしきものと呼ばれる力に対抗できる力を持っている為に、力を誰よりも多く使う。
何故、静だけが。
「……静様」
腕の中で穏やかに寝息を立てる静を呼ぶ。深く眠っているようだが、何故か眉間にしわを寄せていた。
ルイスはその眉間を突くと、さらに深いしわをよせてしまい、もぞりとルイスの腕の中にもぐってしまった。
頭だけしか見えなくなり、ルイスはどうしたものかと思いながら静の黒髪を指で梳いた。
もっと、強くなるにはどうすれば良いだろうか。
ルイスが持つ魔力は平均よりは上ではあるが、ジェイクよりも下だ。ただ単に器用で覚えが早いだけでここまで来ていたが、今日の戦闘で魔力不足を強く痛感した。
より、もっと多くの魔力があれば、ヴィンセントが残したあの氷をもっとうまく使えたはずだ。さらに言えば、他の魔術も扱えたかもしれない。
ヴィンセントの魔力は膨大だ。誰も比べられないほど。だからあのように全てを凍らせることが出来た上に、魔術の扱いは上位者だ。正直、羨ましいと思うほどだった。
その力があれば、そうすれば静を、愛おしい人を、しっかりと守れるというのに。
ルイスは静を起こさないよう、またさらに強く抱きしめる。
比べて小さな体。低い体温。年上だと言うのに、幼さが際立つ見目。
どうして、静にだけこのような仕打ちを向けられるのか。
静の心臓には、病の種がある。その種がいつ発芽し、育つのかすら不明であるがそう遠くない未来であるのは確かだった。
どうして、共に生きたいと願っただけなのに。
ルイスは静の低い体温を感じながらようやく瞼を閉じる。静の寝息に耳を澄ませ、確かに生きていることを確認する。
我らが神よ。
見守りくださる我らが神よ。
どうか、どうか。
少しでも長く、愛おしい人と共に生きられるように。
少しずつ揺れ始める意識の中、ルイスはいつものように願う。そして、どうすれば静を生かし続けられるかと思考を巡らせながら、ルイスはゆっくりと意識を底へと落としていった。




