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46.5 ユウ

 父親とは、黒縁の写真の中に居るだけの存在だった。

 私が物心つく前に病気で亡くなったそうで、幼い頃は他の人との違いを疎ましく思ったりもしたけれど、どんな悩みも時間が解決してくれる。


 高校に上がる頃にはすっかり慣れて、そんなこと気にならなくなっていた。


「娘よ! 今日学校はどうだった!?」

「うるさい……」


 母は、いつもいつも嫌になるくらい元気溌溂な人だった。

 仕事と家事を両方熟しているのに疲れた顔一つ見せず、学校行事にはほとんど欠かさず現れ、休日には私を叩き起こして遊びに連れて行ってくれることもあった。


 本当に血が繋がっているのか疑わしくなるくらい私と対極で、鬱陶しいなんて感じることもあったけど。

 でも心の中ではずっと感謝していた。

 だからあの日は、本当は母さんに誕生日プレゼントを渡すはずだったのだ。


「別に、バイト先まで迎えに来なくてもいい……。歩いてもそんなに変わらない」

「いいのよー、どうせ帰り道をちょっと逸れるだけなんだし。ほら、早く乗りなさ──」


 ──ギィィィィィィッ……ドンッ!




 後から聞いた話によると、事故車はアクセルとブレーキを踏み間違えたらしい。

 駐車場で急発進したことに動揺した運転手は、そのままアクセルをべた踏みにし、そして大きくハンドルを切った。

 そこにあったのが母さんの車だった。


 巻き込まれただけの私は幸いにも打撲だけで済んだ。

 けれど母さんは……、


 ──はっきりと申し上げます。この先意識が回復する見込みはありません。


「…………ぅぅっ」


 生真面目そうな医師の言葉がずっと頭の中に響いていた。

 病院のベッドの脇。何本もの管に繋がれた母さんの手を握ることもできず、私はただただ嗚咽を漏らしていた。


「ふ、ぐぅ……」


 時間は何も解決なんてしない。

 私が父の不在を苦に思わなくなったのは、ひとえに母の尽力があったからだ。

 そんなことにさえ、喪ってから気付かされた。


「ぅ、ぅぅ……っ」


 『心の中ではずっと感謝していた』だなんてあまりにも軽々しい。

 私はもっと感謝を伝えなくてはならなかった。

 私はもっと恩を返さなくてはならなかった。

 私はもっと、もっと、もっともっともっともっともっと──。


「…………っ」


 止めどなく後悔だけが溢れて来る。

 右も左も分からない、ただただ病院のベッドの上で涙を流していた、そんな時だった。

 アイツの声が聞こえて来たのは。


「君には才能があるにゃん。世界を救うために協力して欲しいにゃん」


 取って付けたような語尾で話す、不気味な程にファンシーな猫の妖精。

 気付けば周囲の景色は見晴らしのいい高原に変わっていた。


 まず自分の目を、次に目の前の相手を疑うべき事態。

 でも不思議とそれが幻覚だとは思わなかった。混乱もしなかった。


「ここはダンジョン、現実とは位相の異なる世界にゃん。ダンジョンには常識では測れないモンスターやアイテムが溢れてるにゃん。中には君のお母さんを助けられる物もあるかもしれないにゃん。ダンジョン攻略に協力してくれるかにゃん?」

「する。協力させて」


 確固とした実感をもって、私は答えた。

 こうして私はプレイヤーとなった。




 チヨと名乗った彼女の第一印象は『怪しい』だった。

 もっとも、私はこのダンジョンクエストにまつわるものは大体怪しんでいるけど。


 考えるまでもないことだけど、ニャビは信用できない。

 肝心なことをはぐらかすし、秘密裏にプレイヤーを募ってダンジョンに挑ませてるのだって、私達には言えない後ろめたい目的があるのかもしれない。


 ダンジョンクエストでしか行き来できないダンジョンに潜るってことはその信用できないニャビに命を預けるってことだけど、でもそれでいいと思った。

 普通の手段じゃ母さんを助けられない。ならこの超常の世界に治療手段がある可能性に縋るしかないんだから。


 チヨに対しても同じようなものだ。

 一人より二人の方が攻略スピードが上がるから一緒に居るだけで、もしも裏切るようなら容赦なく切り捨てる。

 そのくらいの覚悟は、第二回イベントで悪魔を倒した時から持っている。


 けれどそんな私の疑念とは裏腹に、チヨはどこまでも純粋に私に協力してくれた。

 彼女曰く、強いモンスターと手に汗握る戦いを出来ればそれでいいらしい。


 一度に表示される突入可能ダンジョンはプレイヤーごとに違うし、より高難度のダンジョンを厳選するのであれば私と手を組むのは理に適っている。

 あの石魔術の悪魔みたいな強力なモンスターにもチヨは怯まず立ち向かっていたし、きっと彼女の語った目的も本心なのだろう。


 つまり私とチヨの関係性は利害の一致だ。

 かつては怪しんでいたけれど、今では一定の信頼を置いている。


「……本当に?」


 布団の中。寝返りを打つ。

 チヨが本当に強者との闘争だけを求めているとして、そこに私は必要だろうか?


 当然だけど二人で、戦えばその分戦闘はヌルくなる。

 でもチヨは「一人で戦いたいから手出しするな」みたいなことは一度も言っていない。


 何かを見落としているような胸の内にくすぶっていた


「……でも、もうチヨの思惑なんて関係ない」


 決意を固めるように呟く。

 バトルロイヤルの優勝賞品は万能薬。探し求めいたアイテムが、遂に手の届く場所に現れた。


 何がなんでも優勝し、万能薬を手に入れる。

 私が考えるのはもう、それだけでいい。



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