44.アキラの笑顔とチハルの決意
ムラクモに続きジアナも──ムラクモとは正反対に愛想よく一年生に手を振りながら──出ていったことで、生徒たちも次々とファイトルームを後にする。そんな中で何を思っているのか立ち尽くしたままでいるアキラの下に駆け寄って来たのは、親友のコウヤであった。
「アキラ! お前、大丈夫なのか? 大会で優勝するなんて大見え切っちまってよ。ムラクモの奴、ありゃ絶対優勝できなきゃ本気で退学させるつもりだぞ」
「そーだよ」
と、開口一番に除籍免除の条件について言及する彼女に続き、その後ろからついてきたミオもそれに同意した。
「あの先生がどこまで真剣にアキラを退学させたがっているのかはわからないけどさ。でもなんにしたって二年生も出てくる大会で一番になれっていうのは相当に難しいことだよ──そもそも二年がいなくたってアキラには厳しい、てかぶっちゃけ無理でしょ」
だってボクも出るんだし、と頭の後ろに両手をやりながらミオは当たり前のように続けた。
「言っとくけど、いくら退学の危機だろうとボクは勝ちを譲ったりしないよ。自分の成績のためにも優勝させてもらうから」
「おいミオ、させてもらうってなんだよ。まるで手を抜かなきゃ優勝できて当然みてーな言い方じゃんか」
「そう言ってるつもりなんだけど、コウヤには難しかったかな?」
「かーっ、マジで小生意気だなお前」
ともかく、とミオのいつも通りに不遜な物言いは置いておき、コウヤは未だ一言も発さないアキラへと向き直った。
「ひょっとしたらこの厳しい条件付けは、ある意味じゃムラクモの期待の表れでもあるのかもしれねー。実際さっきのファイト内容もプレイングにミスらしいミスなんざなくてすげーよかったからな」
とはコウヤも思うが、とはいえ。それが期待値の高さ故のものだとしても、二学年での頂点に立てとはあまりにも厳しすぎる課題だと言わざるを得ない。だからこうして彼女も当事者のように親友を心配しているのだ。
「あっさり了承してたけどよ、アキラ。お前なりに勝算はあんだろうな。でなきゃ流石にあそこまで啖呵切ったりしねーよな?」
たった一戦。それだけの切っ掛けでも化ける者は化けるし、またその機会も人生に一度きりではない。不調を乗り越えて行ったチハルとのファイトでアキラは新しい扉を、それも相当に革新的な扉を開きその先へと進んだのではないかと──要するにドミネイターとして目覚ましく『進化』したのではないかと希望を込めて訊ねたコウヤに、アキラの答えは。
「いや……勝算なんて全然ないや。どうしよ」
「ねーのかよ!?」
思わず彼女がずっこけてしまうようなものだった。優勝できる自信も見込みもなし。その状態であれだけ堂々とムラクモに言い返せたのはそれはそれですごいことだが、とコウヤは呆れればいいのか感心すればいいのかわからなかった。
(まあでも……アキラらしいっちゃアキラらしいか)
そうだ、自分の親友とはこういう男なのだ。普段はどちらかと言えば引っ込み思案で大人しい性格のくせに、妙なところでいきなりスイッチが入り、自他共に認められる男勝りで活発なコウヤすらも置いてけぼりにするほどの猛進ぶりを見せる。振り幅の大きいタイプなのだ。それは彼のファイトにもよく反映されている──親友としては、これなら心配はいらなさそうだと安心する。
「今のところ優勝できる気はまったくないけど……でもまあ、当日までにはなんとかするさ。ムラクモ先生に一泡吹かせるためにもね」
より正しくは、この状態のアキラを心配するだけ無駄だと言ったほうがいい。思いのほか気負いなく、笑顔で言い放たれたその言葉にコウヤも笑みを返す。が、長年の付き合いがある彼女はともかくとして、先ほど知り合ったばかりの彼はコウヤと同じ境地には立てずにいた。
「アキラくん……ごめん。僕なんかのためにまた除籍検討を受けるなんて」
悲痛な顔付きでアキラに向けて謝罪するチハル。その言はもっともなものだとコウヤとミオには思えた。
何せチハルに関しては完全に見逃されており、アキラだけ目を付けられているのが現状である。本来なら退学させられる立場にいただけに、それを押し付けたような形で安全圏に入ったことは彼からしても気の重い事実だろう。いくらアキラ本人が進んで噛み付き、それにムラクモが応じての結果とはいえ、この場合は自分が蚊帳の外のままに助かってしまったことが余計にチハルを苛んでいるに違いない。
だがアキラはそんな彼の肩へ気安く手を置いて。
「しょげないでくれよ、チハルくん。俺が望んだことなんだ。君がアカデミアに残ってくれて俺は嬉しい。君も退学せずに済んで嬉しいだろ?」
「それは、もちろん」
「だったら『ごめん』じゃなくて『ありがとう』って言ってほしいかな。それでもっと大会を頑張れるから」
ね、とチハルの目を覗き込むアキラ。その琥珀色に透き通った眼差しを間近に見つめ、チハルの頬は再び赤く染まった。
「む」
「? どうかしたのコウヤ」
「いや、よくわからんが急に胸のこの辺がざわっと」
「あー、やっぱりカツ丼とラーメン同時は食べ過ぎだったね。胃もたれしてるんでしょ」
「うーん、胃もたれとはちょっと違う気もするが……腹減ってる時はいつもそんくらい食べてるし」
なんて会話が横で行われていることにも気付かず、チハルは考えを改める。確かに、教師に立ち向かってまで除籍検討の立場を一手に担い助けてくれた相手に対し、助けられた側がめそめそしているのでは失礼にもほどがある。ここは謝罪ではなく深い感謝を示すのが相応しいだろうと、そう思ったからには。
「アキラくん。本当にありがとう。君のおかげで僕はDAから追い出されずに済んだ──だから僕も、君が優勝できるように合同トーナメントでは全力でサポートするよ」
チーム戦でもないトーナメントの大会。要求されるのは個々人の力量であり、一見してチハルがアキラのためにできることなどないように思えるが、しかし決して皆無ではない。
たとえばかち合った強豪を倒すだけでもアキラの負担を減らす意味で後押しになるし、勝ち進めばいずれはチハルもアキラ自身と当たる。ミオなどはそうなっても勝ちを譲るつもりはないと言ったが、チハルとしてはそうもいかない。その際には何がなんでもアキラに勝ち進んでもらうつもりでいる──つまりは八百長、というよりも自分が一方的に負けを目指すいわゆる忖度をする気満々なのである。
もしもその試合を見られて、ドミネイターに相応しくない不甲斐ない戦いぶりだと再びムラクモに目を付けられたとしても、それはそれで仕方ない。保身を考えずに助けてくれたアキラのために今度は自らが保身を捨て去る番だ。
──ということを密かに決意しつつもチハルはそれを口に出さなかった。全力のサポートと聞いて応援してくれるのだろうとすっかり勘違いしているアキラは「俺もチハルくんのことを応援するからね。でも試合でぶつかったら手加減なしでいくよ」と拳を出してくる。それに対しチハルも頷いて拳を返し、こつんと軽くぶつけ合った。
これでいい。もしも自分の考えを話してしまえばアキラのこと、きっと気にするし悲しむ。そんな彼は見たくないが、さりとて彼のため全力を諦めるわけにもいかない。だからチハルはそこで無言を貫いた。嘘をついたのではなく、本当のことを言わなかっただけだ。
その様子に、やはりまだ吹っ切れていないのだなと二重の勘違いをしたアキラは。
「怖くもあるけど、大会が楽しみだね。背水の陣で挑めるのはかえって良かったかもしれない。なんだか俺って追い詰められたほうが良いファイトできるみたいだし」
「おいおい。崖っぷちじゃねえと実力を発揮できねえなんてドミネイターとしてやってけねえぞ? 特にプロの世界じゃあよ」
「いや、常にプロ資格が剥奪される瀬戸際で戦ってるとなれば一定の需要はあるかも? ハラハラドキドキ感があってさ。ファンもいつアキラがプロでなくなるか予想して賭けたりして」
「あはは……それは流石にちょっと、素直には喜べない応援のされ方だね」
チハルの気を紛らわせるための、アキラ一流の強がり。そしてそれに乗っかったコウヤとミオ。彼らの自然体なやり取りを見て、チハルはなんとしてもアキラを退学させてはならじとますます決意を固くさせたのだった。




