〈今はもう居ない、坊〉
「帆凪。」
周囲を凍らせてしまうような、鋭く冷たい声が響いた。
その声は…間違いなく、帆凪様へ送られたものだ。
私はサッと身構えた。
アンゲルスのなかに帆凪様の敵が居るとは思えないが、それでも、つい。
「あー………懸憐?怒ってる?」
固まった笑顔でそういう帆凪様に、改めて見てみると神氷 懸憐…さっき私たちの担任になった人だった。
…………けど何故か、帆凪様の命の危機を感じた。
「あら、よぉく…解ってるじゃない」
…声が低い……、です。
………………………逃げねば。
私の本能がそう告げた。
私はくるりと後ろへ向いて、帆凪様と、ついでに礼人の腕を掴んで全速力で逃げた。
「っと…」
「ぅ…ああ?!
な…っんで俺まで!!」
帆凪様に遅れ、礼人もすぐに体勢を戻して走った。
「ふふっ」
笑う帆凪様の声のあとに確かに私は
「―氷よ―」
と、何か念じるような懸憐さんの声を確かに聞いた。
「やばっ」
と言って帆凪様はネックレスに手をかけ、強靭的な速さで一人どこかへ…走り去ってしまいました。
そして、置いていかれた私たち…もとい
「なんで俺だけ!!!」
GEMを棒状に変形させたものを踏み台にして、間一髪のところで難を逃れた私は、かちこちに固まった廊下と、礼人の足をツンツンした。
「免れましたわ…!」
「そんなはずないでしょう。」
意気揚々と、帆凪様を追い掛けようとしたら、改めて凍らされた…
「オレワルクナイ」
怒られ過ぎて片言になってしまった哀れな礼人が、苦し紛れにそう呟いた。
確かに、礼人は悪くない。
何故なら私と帆凪様が引きずり回しただけだから。
私が礼人を引きずり回したことに、礼人にとっては悪い要素しかなかった。
考えてみれば、軽率な行為だった。
「…でも、楽しかったわ」
引きずった理由は、ただそれだけ。
「…たかがこのくらいの事で」
たかがという単語に、私は少し不満に思った。
「たかがじゃないわ」
すごく、とても、楽しかったもの。
清々しいような思いだった。
同い年くらいの人とこんな風に遊んだのは、初めてかもしれない。
「たかがだ。
なに消極的になってるんだ、お前。」
…………ああ、何だか心配されてるらしい。
可笑しいな。
私は哀れまれるのが一番嫌いなはずなんだけど
「慰めてくれるの?」
これで、礼人がそうだ。なんて言った日には私はお前のことが大嫌いになるわ。
そうなれば私は元通り。
初めから仲間なんて作るつもりなかった。
馴れ合いなんて興味なかった。
ただ、施設のために。
生きるつもりもなかったけど、死んだら死んだで施設に迷惑が掛かるから。
どうせ生きるんなら、って金を稼ぎに来ただけ。
ただただ、それだけ。
だから慰める謂われなんてない。
私は私を哀れむ人が大嫌い。
それって、蔑んでるのと大差ないわ。
貴方も、そうなの?
ジッと見つめていると、やがて礼人は溜め息を吐いた。
「お前がそんなタイプとは思えない。
斯く言う俺も、そんなタイプじゃない」
………ううん、礼人は何だかんだ言っても慰めるタイプだと思う。
とにかく、私が礼人を嫌い理由がなくなってしまった。
何とも憎らしい男だわ。
でも、別に仲間なんて作っても問題は多くない。
…悪くはない。
「そうよ。
私は私のことを哀れむ人が大嫌い。」
と、微笑んで見せた。
「…あっそ」
言いながら、頭を乱暴に撫でられた……。
なんか、不満だわ。と思えば思うほど、余計にワシャワシャと撫でられてる気がして不満に思う気持ちも失せた。
……ねぇ、…本当に“悪くはない”よ。
ASTER
戻ってきて…くれないかな。
毎度のことだが…アイツから送られてきた手紙を読むと、肩が重くなる気がする。
「…はぁ」
俺は溜め息をついて回転椅子に深く腰掛けた。
そして足で反動をつけ、“そちら”の方へ向いた。
「なぁ、坊。どう思う?」
俺は、いつもこの地下室に居る。
適度な湿気と少し涼しい空間で、俺はここを気に入ってる。
ついでに相棒の事も気に入ってる。
超が付く無口で、話したことは1度もないが、とても綺麗な顔をしている。
そういう趣味はないが、それだけでも暇な生活のなかじゃ十分に気が紛れる。
そんな無口な坊が、俺の問いに答えることはない。
それでも、答えようとはしてくれてる気がするんだ。
「そんな筈ぁないけどな」
と、ポツリと呟いて立ち上がり、俺は今日も坊の健康観察を行う。
坊は何も言わないから最初は戸惑ったが、もうこの付き合いは10年を迎えた。
出逢った当初の俺は少年?だったが、今ではすっかりおっさんとまで言われるようになっちまった。
そんな訳ねぇけどな。
ねぇ…よな?
あー……心配になってきた。
――俺の貰い手募集中――
来ると良いなぁ…。
いや、来られたところでマイホームが此所になる上に、嫁は入れないんだが。
うん、ぜってー来るわけないわ。
「………」
いや、違ったな。
坊とのお別れも、あと僅かなんだったな。
あと一年…いや数ヵ月か?
「……寂しくなるなぁ…」
俺は坊に抱きついてシクシクと泣いて見せた。
男がシクシクと泣いて見せても、坊は相変わらずの無口。
それでも慰め……いや、これは哀れまれてるな。
…いや、でも、それでも嬉しいよ、坊。
………………離れても、たまに会いに来てくれたりしないかな。
まぁ…、無理だよな。
親の心子知らずってか?w
…なんかちげぇな。
少し離れて、俺は坊の顔をスッと見上げた。
「ただ、お前が元気で、笑ってくれれば、俺はそれだけでも十分だ。」
お前が笑ってるところは、今のところ見たことがないからな。
坊は、一体どんな風に笑うんだろうな。
どんな風に喋るんだろうな。
どんな奴と出逢って、どんな人間になるんだろうな。
「…楽しみだなぁ………」
お前には、俺なんかじゃ想像できないくらいの未来が、先が、あるんだろう。
…神なんて、神なんて俺は嫌いだ。
1度だって俺の願いを聞いてくれたことなんてない。
神って奴はポロっと希望を落としては、その大きくなった希望を奪うんだ。
だから俺は神を信じない。
………………信じない、が…
坊なら………。
もし、もしも、そう言うものが居るんなら…。
どうか、……どうか、坊だけは護ってくれ。
あの人の愛した人の子を、俺の愛する坊を。
神よ。
「なぁ、お前ら。
悪魔を倒したんだって?!」
授業後、男の人が興奮気味に話し掛けてきた。
「…いや、倒したのは力道さんだが…」
力道さん…?
ああ、帆凪様のことね。
馬鹿ね、能力者を苗字で呼ぶなんて。
その家で誰の事を言ってるのか、解らなくなるじゃない。
…まあ、私もそうしちゃうこともあるけど。
でも何となくバーカバーカ
「何だ?」
微笑みを浮かべながら心のなかで礼人を貶してたら、ジロッと見られた。
「何でもないですわ」
心臓が飛び出るほど驚いたが、何とかそれを押さえて微笑んだ。
「でも悪魔を見たんだろ?!
あ、オレは瀧。明石家 瀧だ。
良かったら話を聞かせてくれ!」
「「えっ?!」」
彼の、明石家さんの言葉に、教室の空気が変わった。
…理由は様々なようだが。
「秀。秀 エッカートだ。
その話、俺にも聴かせて欲しい。」
エッカートさんは無表情のままで此方の席へ寄ってきた。
…これは不味い。
そう思った通りに、ほぼ全員の注目が私達へ集まった。
そして物好きの女が言葉を発す。
「折角ですから!
皆さん、自己紹介しませんか?
今まで中々話せませんでしたから…」
女の人は、言い終わってから少し恥ずかしそうに皆の方を向いた。
「ベルナール 結子 アリーセです。
どうか、結子と呼んでください。」
ベ…結……女の人は恥じらいを持ちながらも、微笑んで見せた。
「アタシは、アカシア 多喜本。
アカシアが名前だ。」
多喜本さんは言い終わってから、何故か明石家さんを睨んだ。
睨まれた明石家さんは不適な笑みを浮かべ、首を竦めた。
そういえば名前が若干似てる。
アカシア 多喜本と
明石家 瀧
「俺は佐久間 涼だ。
よろしくね」
佐久間さんは座ったまま微笑を浮かべながら言った。
そして、次はその隣にいた女の人。
「私は李 イーサン。
オペレーターを目指してるから、よく会うかもしれないネ」
あ、そっか。
別の学科の子も居るんだ。
話さなかったのも、そのせいかな。
「鎹 夕美だよ~」
赤渕眼鏡の鎹さんは楽天的な笑みを浮かべながら、軽くこちらへ手を振った。
ぞんざいに扱う訳にもいかないので、私は軽くお辞儀をした。
「桜庭 辰弥。
よろしく。」
一番年上のように見える桜庭さんは、人の好さそうな笑みを浮かべた。
「…コロンナ ギファ。」
一言そう言ったギファさんは、この雰囲気が不服そうにしながらも、特に否定することはなかった。
「ほら」
いつの間にか移動していたエッカートさんは、女の人の肩を叩いて促した。
女の人は不愉快そうに目尻を立て、エッカートさんを睨んだ。
……気のせいだと思いたいけど、殺気まで感じた…
「近川 美代だ。」
その殺気はすぐに引っ込め、近川さんは淡々と言葉を並べた。
そして、残った二人。
「…内匠 エナ。近付くな。」
内匠さんはそれだけ言うと、そそくさと教室を出て行った。
「天都 キリだけど。
俺も帰るわ。」
天都さんは、乱暴に立ち上がって鞄を持ち、扉まで行くと、立ち止まってこちらを見た。
「またな、天使共。」
声は愉快そうに、けれど目は鋭い。
天都さんは言い残して去って行った。
……………
「はっ…嫌味な奴だな。」
しばらくの沈黙のあとで、そう口を開いたのはギファさんだった。
「あ…、嫌味…だったんだね」
ベ…結…………結子さんは、戸惑ったような顔で天都さんが出ていった扉を見つめていた。
そんな結子さんを見て、エッカートさんは馬鹿にしたように口を開いた。
「あれが褒め言葉に聞こえるんなら、君は随分とおめでたいね。」
その言葉に不服そうな顔をした結子さんの前に、近川さんが先に口を開いた。
「嫌味としても、イマイチだけど。」
「そうだね。
嫌味なら例えば、金の天使とかの方が良いかな?」
金の…天使………?!
佐久間さんの言葉に、私を含む数人が僅かに動揺を見せた。
エッカートさん、近川さん、結子さん、鎹さん、桜庭さんだ。
すると、李さんが吹き出した。
「いやいや涼さん。
それじゃ完全に褒め言葉でショ!」
「あはは、それもそうだね~」
……………ううん、今のは確実な…“嫌味”
力道 帆凪 力業…主に怪力を扱う力道家当主。能力を使うための力…アニマが見えるため、“視える目”の一人に数えられている。
上から繋男、渚女、ナタリア女、ナターレ男の四人。
旦那は力道 繋婿養子で植物の騎士というとても強い人。
帆凪様と呼んでいるのは命の恩人だから。
両親は瓦礫の下で生き絶えていたらしいです。