第44話 最初の真法拾い
「ヴォルウは間違っている」
ガタは言った。
「だが、あの人が都を救ったこともある。だから厄介なんだ」
地下は深かった。
王都の真力炉より深い場所に、それはあった。
石の廊下が続いていた。廊下の壁に、古い文字が刻まれていた。読める文字ではなかった。ヴォルウも読めないと言った。「この都より古い。都が作られる前から、ここにあった」
廊下の奥に、部屋があった。
部屋の中央に、装置があった。
装置というより、記録装置だった。
石の台の上に、半透明の球体が置かれていた。球体は薄く光っていた。近づくと、熱くも冷たくもなかった。ただ、そこにあった。
「この都の創設者が残した」
ヴォルウが言った。
「俺が大魔導師になった日に、師匠から見せてもらった。以来、百年間、この部屋を管理している」
「百年」
「俺は百二十歳だ。魔法で若さを保っている」
「その若さも、どこかの未来から借りたものですか」
アルブが聞いた。
ヴォルウは否定しなかった。
「そうだ。だから俺は、魔法を否定できない」
アルブは球体を見た。
近づいた。
手を伸ばした。
「触れない方がいい」
ヴォルウが言った。
「なぜですか」
「見ることはできる。触れると、中に入る。入ったものが戻ってきた例がない」
アルブは手を止めた。
「何が入っているんですか」
「最初の真法拾いの記録だ」
部屋が静かになった。
「最初の真法拾いが、この球体を作った。自分の記憶を、全部ここに入れた。そうしなければ、世界に呑まれていたから。記憶をここに移すことで、自分を保った」
「では、この中に」
「その人物の意識がある。正確には、意識だったものがある。入れば、伝わる。戻れないが、伝わる」
アルブは球体を見た。
薄い光が、ゆらいでいた。
「触れなくても、伝わりますか」
ヴォルウが少し間を置いた。
「お前のような人間なら、触れなくても届くかもしれない」
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アルブは球体の前に座った。
手を伸ばさなかった。
ただ、近くで見た。
来た。
触れていないのに、来た。
記憶の断片が、空気を通して届いてきた。
砂漠の記憶ではなかった。
もっと前の、砂漠になる前の記憶だった。
川が流れていた。森があった。水があった。土が深かった。虫が多かった。鳥がいた。雨が降った。
その世界が、消えていく記憶だった。
最初の真法拾いは、消えていく世界を見ていた。
川が枯れるたびに、役目を拾った。森が消えるたびに、役目を拾った。一人で全部拾おうとした。全部の役目を、一人の体に収めようとした。
水の役目。土の役目。火の役目。風の役目。
二つを超えてはいけない。それを知っていながら、手を放せなかった。世界が消えていくのを、止めたかった。
三つを抱えたとき、境界が揺れた。
四つを抱えたとき、自分の輪郭が溶け始めた。
五つを抱えたとき。
もう、戻れなかった。
自分がどこで終わり、世界がどこから始まるか、分からなくなった。
世界の記憶に、呑まれた。
消えた。
消えたのではなく、世界と一つになった。それが消えるということだった。
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アルブは球体から顔を上げた。
体が重かった。
受け止めてきた中で、一番重い記憶だった。
「分かるか」
ヴォルウが言った。
「分かります」
「その人物は、世界を救おうとした。真法を使えば使うほど、世界の記憶が体に入る。その記憶が積み重なり、最後には世界そのものになった。それが真法の代償だ。俺がその記録を見たとき、真法は世界にとっても人間にとっても危険だと判断した」
「でも」
アルブは言った。
「その人物は、一人で拾おうとした」
「そうだ」
「二人で、だったらどうなったか。十人で、だったら。百の人間と、百の土地の生き物と一緒に拾ったら、どうなったか」
ヴォルウが黙った。
「一人が全部を抱えなければ、一人分の記憶しか入らない。残りは、土地が覚えている。虫が覚えている。草が覚えている。人間が覚えている。分散して覚えれば、一人が呑まれない」
「確かめたのか」
「確かめていない」
「確かめる前に消えるかもしれない」
「そうかもしれない」
マブロがアルブの隣に来た。
立った。
何も言わなかった。
ただ、立った。
アルブはその気配を感じた。
マブロがいる。ウラがいる。ソウダがいる。ニルがいる。センがいる。
一人ではない。
「俺が呑まれそうになったら」
アルブはマブロに言った。
「引き戻してくれますか」
マブロが手を伸ばした。
アルブの手を掴んだ。
「引き戻す」
それだけ言った。
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そのとき、部屋が揺れた。
壁の文字が光った。
球体が強く輝いた。
廊下の奥から、低い音が来た。脈動する音だった。王都の真力炉で聞いた音に似ていたが、もっと深い音だった。
「俺が起動した。だが、まだ止められる段階にある。だから見せた」
ヴォルウが言った。
声が変わった。
「何が」
「最終術式だ。この都を作った本来の目的。島全体の真力を一度に引き出し、世界を再設計する。役目からの完全な解放。人間が役目なしに生きられる世界へ。川は流れなくても水を供給される。土は実らせなくても食料を作れる。火は燃えなくても熱を生む。風は吹かなくても声を運べる。人間は、何にも頼らず生きられる。だが、そのために世界の真力を最後まで使い切る。」
「それをしたら」
「世界の真力が枯渇する。最後の一絞りだ。だが俺は、役目のない世界の方が、人間には相応しいと信じている」
マブロがアルブの手を強く握った。
床が、また揺れた。
「止めます」
とアルブが言った。
怖かった。声が震えていた。でも言った。
「この術式を止めます」
ヴォルウが杖を構えた。
「止めるとはどういうことか。装置を壊すのか」
「壊しません」
アルブは球体を見た。
最初の真法拾いの記憶が、光の中にあった。
「あなたが間違えたことを、繰り返させない。一人で全部を抱えなくていい。でも、放置もしない」
アルブはマブロの手を握り返した。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第44話では、最初の真法拾いがたどった結末が明らかになりました。
世界を救おうとして、水、土、火、風――あらゆる役目を一人で拾った人物。
手を放せなかったのは、消えていく世界を見捨てられなかったからです。
けれど、すべてを一人で抱えた結果、自分と世界の境界を失い、世界の記憶に呑まれてしまいました。
真法は、一人の英雄がすべてを背負うための力ではありません。
人、土地、草、虫、生き物たちが、それぞれに役目と記憶を持ち、分け合う。
一人が世界を抱えるのではなく、世界そのものが記憶を支える。
アルブが見つけた可能性は、まだ証明されていません。
それでも隣には、マブロと四人の仲間がいます。
俺が呑まれそうになったら、引き戻してくれますか。
引き戻す。
その約束の直後、ヴォルウが起動した最終術式が明らかになりました。
役目を必要としない世界を作るため、世界に残された真力をすべて使い切る。
それは人間を救うための計画でありながら、世界の未来を完全に閉ざす計画でもあります。
次回から、最終術式を止めるための戦いが始まります。
壊して終わらせるのではなく、役目をつなぎ直す方法を、六人が探します。
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