第35話 マブロ、火の国へ
船が港に入ったとき、空が赤かった。
夕方ではなかった。昼過ぎだった。昼過ぎの空が、赤い。
「火山です」
船の水夫が教えてくれた。
「あの国の山は、ずっと噴いています。今日は煙が多いですね」
マブロは甲板から山を見た。
山の頂に、煙が上がっていた。太い煙だった。灰色と黒が混じった煙が、風に流されながら広がっていた。その煙が太陽の光を遮って、空全体を赤く染めていた。
熱い、という感覚が、まだ港にいるのに伝わってきた。
「いい」
マブロは言った。
一人で言った。
横にアルブがいないことを、こういうとき思い出す。アルブがいれば「何がいいんだ」と聞いてきた。何がいいか答えることで、自分が何を感じているか整理できた。今は一人だから、「いい」で終わる。何がいいのか、自分の中でも途中になったまま、先へ進む。
港を降りると、匂いがした。
焦げた匂い。金属の匂い。硫黄の匂い。砂漠で嗅ぐ匂いとは全然違う、濃くて重い匂いだった。
鍛冶場が見えた。
港の近くに鍛冶場が並んでいた。炉が燃えていた。職人が鉄を叩いていた。火花が飛んでいた。赤く熱した鉄が、叩かれるたびに形を変えていた。
マブロは立ち止まった。
見ていた。
火が鉄を変えている。燃やすのではなく、変えている。鉄は溶けてなくならず、叩かれながら別の形になっていく。
「通り道を塞いでいます」
後ろから声がした。
振り返ると、鍛冶場の脇の路地に、若い女が立っていた。十代の後半か、二十代の初め頃。頭に赤い布を巻いていた。布の端が、火の色をしていた。
「すみません」
マブロが道を空けた。
女は通り過ぎなかった。
「旅人ですか。どこへ」
「炉を見に来た」
「どの炉を」
「一番でかいやつ」
「なぜ」
「おかしくなってると聞いた」
「おかしくなっている」女は言った。「見に来て、どうするつもりですか」
「修理する」
女が少し目を細めた。
「修理、というのは、どういう意味で」
「暴走を止める。炉の制御を取り戻す。火の強さを落とす」
「落とせれば、それでいいと思っているんですか」
「違うのか」
女は答えなかった。
「巫女のニルです」
と言った。
「中央炉の管理者です。」
「この十日で、同じことを言ってきた者は三人いました。全員、炉を壊すと言いました。あなたは修理すると言った」
ニルはマブロを見た。
「だから案内します」
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中央炉は、山の中腹にあった。
大きかった。
王都の真力炉より、大きく見えた。いや、大きいというより、近かった。
王都の炉は地下に隠されていた。
これは山の斜面に剥き出しで、火そのものが目の前にあった。
石と金属で作られた炉が、山の斜面に埋め込まれていた。炉の口から、火が吹き出ていた。
制御されているはずの火が、制御しきれていない火の大きさだった。
炉の周りに熱気が渦巻いていた。十メートル近づくだけで、肌が焦げそうだった。
「これは」
マブロは額に手を当てた。
「でかい」
「二十年前の三倍の規模になっています」
ニルが言った。
「火の前借りをしたから?」
「真力炉と同じ原理です。火の真力を消費し続けた。消費するたびに、炉を大きくしないと熱量が保てなくなった。大きくするほど、消費が増える。今はもう、縮小できない段階まで来ています」
「止めたら」
「火の国の製鉄、暖房、食料の調理、全部が止まります。この国の人口の七割が、炉の熱に依存して生きています」
「王都と同じだ」
「同じです」
マブロは炉を見た。
暴走しかけた火が、炉の口から吹き出していた。赤と白が混じった炎だった。制御されていない炎は、ただ燃えようとしていた。何かに当たれば燃える。道を選ばない。
「止める方法はない。縮小も難しい。じゃあどうすれば」
「それが分からないから、あなたが来たんじゃないですか」
マブロは口を閉じた。
アルブだったら今何を言うか、と思った。
アルブだったら「読む」と言う。触れて、記憶を読んで、何があったか把握してから動く。
マブロには触れる感覚はある。でもアルブほど細かく読めない。マブロが読めるのは、熱の質だ。火が怒っているか、眠っているか、届こうとしているか。炉から来る熱の質は、今は怒っていた。行き場のない怒りだった。
「これ、暴走じゃない」
マブロは言った。
「どういう意味ですか」
「怒ってる。暴走じゃなくて、行き場をなくして、怒ってる」
ニルが少し黙った。
「続けてください」
「でかくなった炉の中で、火が閉じ込められてる。出口が一か所しかない。火は本来、広がるものだろ。広がれないから、一か所から爆発しようとしてる」
「炉に出口を増やすと?」
「全部を一か所に集めなければ、圧力が分散する」
「試みました。十年前に。炉を二つに分けようとしたとき、移動中に爆発しました。十二人が亡くなりました」
マブロが黙った。
「ただ出口を増やすだけじゃだめだ」
「ではどうすれば」
「今夜、考える」
ニルは何も言わなかった。
「あんたも考えてくれ」
マブロは言った。
「俺は火の拾い手だが、この国の炉のことはあんたの方が知ってる。俺が知らないことを、あんたが知ってる。一人で考えるより、一緒に考える方がいい」
ニルが少しの間、マブロを見た。
「そうしましょう」
その夜、中央炉の唸りが一段大きくなった。
火の国の夜空が、赤く染まった。
夜を徹して話した。
ニルは炉の歴史を、二百年分語った。
マブロは聞きながら、サニワの火種部屋を任されていた少女、リナのことを考えた。
リナは火種を一度も絶やしたことがない。
小さな火を、どうやって守るかを知っている。
でかい炉を動かすことより、小さな火を守ることの方が、難しくて大事かもしれない。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第35話では、マブロが一人で火の国へ到着しました。
鉄を変える鍛冶の火。
人々の暮らしを支える中央炉。
そして、行き場を失い、怒るように噴き出す炎。
中央炉を止めれば、製鉄も暖房も調理も止まり、多くの人が生きられなくなる。
けれど動かし続ければ、炉はさらに巨大になり、いずれ爆発する。
王都の真力炉と同じく、壊すだけでは解決できない問題です。
今回マブロは、炉を見てすぐに飛び込むのではなく、アルブならどうするかを考えました。
そして一人で答えを出そうとせず、巫女ニルに「一緒に考えてくれ」と伝えます。
動くことが得意だったマブロが、立ち止まり、聞き、他人の知識を借りる。
それも彼の成長のひとつです。
次回は、「燃やす」以外の火の役目を探します。
巨大な炉を壊さず、国の暮らしも止めずに変える方法を、二人が考えます。
火の国やニルの印象について、感想で教えていただけると嬉しいです。




