宗盛記0125 応保二年九月 院殿上
この週末奈良に行って、奈良国立博物館の『吉野、大峯』展を観てきました。平安時代のものも多く出ていて、見応えがありました。
思ったより空いていて、出てるものはすごいので、お近くの方にはおすすめです。大峯山寺本尊(秘仏)なんて、普通登っても見れるものではない上に、これを逃すと間近では一生見れない可能性が高いです。
山崎屋の奈良漬、菊屋の御城之口餅、平宗(名前が好き)の柿の葉寿司を買って帰って満足の週末でした。
応保二年九月長月
ようやく秋らしくなってきて、過ごしやすくなった。
内陸の盆地の京都では春秋だけが出歩くに向いた時期だ。春秋の定義が俺の感覚と少しずれるが。これは前世でも変わらなかった。夏冬はひたすら耐え忍ぶ町。
昨年は豌豆瘡の対応に追われていたが、春頃からさすがに下火になった感がある。夏乗り切ると伝染病から生き残った感があるなぁ。
茜の所に様子を見に行く。
「♪佛は常にいませども うつつならぬぞあわれなる♪」
歌声がする。いい声だ。聴いたこともある流行歌。覗くと茜が川晒していた。
「やぁ、捗ってるかい?」
「宗盛様!」
なんだか大きく振れる尻尾を幻視する。
できた染物を見せてくれた。十数反。よく染まっている。それほど詳しくはないが一度でこれ程深い色は出せないだろう。三回くらいは染め重ねているかも。まじめな仕事をする娘のようだ。それに表情が随分明るくなった。
今の護衛は十人だ。皆に一反ずつ渡す。歓声が上がる。染めた布は庶民には相当に高いのだ。特に濃い色は高い。でも濃い色は汚れが目立たないので喜ばれる。
残りは持って帰って分けよう。
「誰か布を織れる人を知らないか?」
「あの…私も少し」
「それはありがたいな。知恵を貸して欲しいことがあるんだ。まずはこの染の仕事が一段落してからだけどね」
「はいっ!」
一日二反くらいの速さかな。早いのかどうか俺には判らない。
少し雑談。すると父親が脚を引きずりながら出てきた。
名前は幸苧。仕事中に倒れて命はとりとめたが右手が動かなくなったそうだ。右脚も引きずるようになったとか。舌もちょっともつれる感じ。長い杖にすがるようにして歩いている。
軽めの脳血管障害かな。だとすると治しようがないか。薬もこの時代のは気休めっぽい。必要なのは発症直後の血管拡張薬と抗凝固薬。それとリハビリ…無理だろうなぁ。
幸い染の技術は教えてもらえるらしい。
親子で何度も礼を言ってくる。
「ものさしはあるよね?」
「はい、もちろん」
思いついて、採寸させて貰う。体にあった杖でも贈ろう。
とりあえず冬に向けて家を修理していいか聞いてみる。あるいは六波羅に用意してもいいがと。
仕事場があるし、ご近所に愛着もあるので当面ここに住みたいというから、簡単な修理を梁夫に頼むことを告げて今日は帰る。天井がないから軒桁と垂木を替えて反った屋根板を葺き直せば、二十年は持つだろう。もちろん布の代金とこれからの材料費は払った。
六日
上西門院に出仕。実は京官(都の官僚)には出仕の日数の規定があって、半年に百二十五日を超えると馬が貰える。いやホントに。
125/183(半年)で計算して0.68。
週休二日で祭日ありと考えると前世とほぼ近い数字になるから面白い。上西門院に通っている俺は馬は無理だと思っていたが、こっちも出仕の日数に加えてもらえるらしい。もちろん貰ったことなんてないので期待してるが、任官八月だから今季はちょっときついか。
なんてことを統子様と話したり、作事を監督したり帳簿をチェックしたり昼飯を作ったりと忙しい。ついでに改修に来ていた梁夫に、茜の家の修繕も頼む。
ちなみに俺の仕事で最も重要なのはお話だ。以前仕事にかまけて統子様をほっておいたら思いっきり拗ねられた。被害が女院中に及んだので、何をおいてもご機嫌は伺うようにとみんなから頼まれている。
ちなみに今日は新綿で新しい敷布団を十枚程持ってきた。今のところウチの独占品なんでたいそう喜ばれる。特に女房達から。綿の入った袋も置いてくる。何に使うかは知らん。布団の修理用かな。
俺の扱いはとっても軽いが、人気はあるのだ。
ふふふん。
九日
重陽の節会。一応蔵人の時も出席していたが、歳のせいもあって早く帰らせてもらっていた。きちんと出るのは初めてである。
陽の数の三が三つ重なる縁起のいい九が、更に重なる特に縁起のいい日。八百年後にはほぼ忘れ去られる行事なんだが。
この日は節会なんで君臣皆出席する。京官がさぼると考課に響く。
今の内裏は押小路南、東洞院西の押小路東洞院第(押小路東洞院皇居)。前世の烏丸御池駅の北西辺りだ。里内裏なので本来の内裏より規模が小さい。一応主要な建物や七殿五舎は再現されている。紫宸殿代は基盛兄上が監督して作った建物だ。大内裏の本来の御所は平治の乱で縁起が悪いとのことで使われていない。おかげで百官は大内裏に役所があって、その長は内裏に殿上している。大内裏は前世で言うと二条城の西北辺り、JR二条駅の北辺りなのでそこそこ遠い。クソめんどいが里内裏は当時の慣例になっているので仕方ない。
内裏一面に飾られた菊の花(鉢植)を鑑賞しながら、漢詩や詠んだり酒を飲んだり飯を食ったりする。奏楽と舞は必須。殿舎の軒には呉茱萸を詰めた袋が魔除けに吊るされている。ちなみに端午の節会になると薬玉に代わる。
貴族社会では未だうつけ扱いでボッチな俺は、声をかけてくれるのは親戚か父上の部下かと言う程度の付き合いしかない。多分平家への妬みも混じってる。多分。きっと。そうに違いない。
同年代の知人は希少。親宗なんかのほうがうまく溶け込んでいるのだ。当然節会なんてものは嫌いである。飯は去年より若干美味くなったので、腹が膨らんだ所でこっそり抜け出そうとしたら、女嬬が菊の花に結んだ文を持ってきた。
ウキウキしながら開くと
「来なさい」
と見慣れた文字で書いてある。
ヤベ…。
仁寿殿代を出て梨壺に設えられた女性用の客殿の一角に向かう。女孺の案内でたどり着いた。
「御無沙汰いたしております。滋子様」
教科書通りの平伏を決めてみたが御簾の向こうからの返事がない。
「菊の花満開の今宵、義姉上におかれましてはご機嫌麗しゅう祝着至極…」
「で?なんで私のところには来ないのよ」
あ、声が低い。ご機嫌麗しくない。マズイかな。
「だって院殿上貰ってないし」
「願いを出しなさいよ!」
「いやそんな恥ずかしい」
「何が恥ずかしいのよ!」
「それにいろいろ忙しくて」
「糸子にまで手を出そうとして忙しいんですって?」
「…」
「…」
「ごめんなさい!偉そうな人んとこ行きたくなかったんだよ」
「なんで私だけ除け者なのよ。川を渡れる馬車って何?統子様からもこの所伊豆行きの話を聴いてるって手紙が来るし」
「それは私も乗ってないわね」
と信子義姉上。
「あ、その節は。厠直った?」
「直ったわよ!木工寮総出で来て十日もしないうちに直して行ったわよ!」
「それは良かった」
「良くないわよっ!なんで先にちゃんと教えといてくれなかったのよ!うわーん!」
ああ、こっちもめんどくさいんだった。
「糸子も旅の美味しいものの話とか温泉の話とか惚気話とかすごく嬉しそうに書いてくるし」
と滋子様。
すっかり酒も醒めて、ひたすらご機嫌をとった。
これで縁起良い日なの?…。
帰って父上と相談した。というか、お願いした。もちろん院殿上の仲介である。父上は院庁の席ももっている。
「良いぞ。お頼みしておこう。しかしお前はそういうのを特に望まんと思っておったが」
「望みと言うより、行かないとまずいというか…」
「…ああ、滋子様か。お前も大変だな。頑張ってご機嫌取ってこい」
「ふぁい」
十一日
院殿上の許しはすぐに下りた。翌々日には院に伺う。真のラスボス、後白河法皇(予定)の本拠である。今の院御所は昨年できた法住寺殿。前世の京都国立博物館辺りから今熊野神社周辺に至る、あまりにも広大な離宮である。
さすがに殿上して挨拶なしですますほど肝が座っていないので、まずはご挨拶。
「お初にお目通り致しまする。殿上のお許しを賜りましてありがとうございます。平清盛が三男、宗盛にございます」
「おお、宗盛か。初ではないぞ。先の乱のおり助けに来てくれたであろうが。それに滋子から話は聞いておる。余の義弟になるのだな」
「ははっ」
ここは平伏の一手である。それにしても覚えられてたのか。統子様をお迎えに行ったときだな。
「そうだな…殿上の記念になにか歌ってくれまいか」
「え…」
そうくるか。周りの院の近臣の視線が集まる。うわ、親宗までいるよ。仕方ない。
「では」
この人は梁塵秘抄の編者、この時代の庶民芸能を後世に残した方だ。そちらの面では尊敬に値する。
「♪佛は常にいませども うつつならぬぞあわれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢にぞ見えたもう♪」
茜がこの前歌ってた歌だ。庶民に広まる流行歌、今様という。この時代の歌はとってもスローテンポな上に音階も広くはないので、覚えるのも歌うのも割と楽。楽器の演奏でなければなんとかなる。ちなみに楽器は異様に難しいものも多い。笙とか篳篥とか。
「おお、おお、余の好みも知っておるのか。歌と言えば倭歌かと思うておったが、今様を歌ったものは初めてじゃ。滋子から聞いておったが気配り上手であるな」
ああ、和歌で良かったのか。でも嫁から禁じられてるんで詠めないんですよ。
しばらく隅の方で石のように固まった後、御前を退出して滋子様の所にご機嫌伺い。
今日の貢物は伊豆の綿による敷布団と改良版鰹節、奈良漬、栗襲、柿、である。院庁内は兵に運ばすわけにもいかんから大荷物だ。運ぶのは女房達だが。
「「なんか作って」」
はいはい、わかりました。
普通貴族は厨なんかには近づかない。別の建屋だし。担当の官吏も雑仕もビビっている中ひたすら料理。うつけの伝説更新確定である。
芋名月も近いので干鮭のほぐし身と里芋の煮っ転がしと栗御飯、里芋の茎と生麩を具に羹、デザートは土産の柿である。もちろんちゃんとアルコールで渋を抜いてある。
作り終わって女官と膳を運ぶと院が来てる。ちゃっかり来てる。慌ててお相伴の俺の分の膳を差し出す。ちっ。
「これが噂の平家の料理か。割と簡素なものだのぅ」
どんな噂だよ。一人暮らしの学生の手料理だよ?
それでも食べつつおおいにお褒めを賜った。
「この芋の下味はなにか?鰹の汁の様だがずっと深みがあるな」
「栗を炊き込んだ飯か。炊き方が常とは違うな。うまいのぉ」
「この漬物はなんじゃ…ウリの漬物がどうしてこんなに甘い?」
「これほど歯ごたえの残った柿が何故渋くないのだ?」
高橋喜実殿を思い出すなぁ…。
俺の昼ご飯を平らげ終わった院はすっかりご機嫌になって、院庁に勤める気はないかと聞いてくる。上西門院の勤めがございますのでとかわす。
助けを期待したが、二人とも今日は院の味方である。さらに土産の敷布団を持ち込んでつつきながら、
「余も欲しい」
「次にはお持ちします」
「馬車に乗ってみたい」
「善処します」
「夏の離れが大層涼しいそうだが」
「あの日はたまたま涼しい日でして」
機をみて這々の体で逃げ出した。




