宗盛記0118 応保二年五月
北極星と天の北極との差を1°から10°に変更しました。
正確には
https://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/hosizora/astron/astron1/astron1_P11-15.pdf
や、
https://www.kotenmon.com/cal/polar_star/polar_star_1.html
をご参照下さい。
応保二年五月皐月
早くも梅雨入りの気配。雨の日が増えてきた。十日ほど取り調べを受けた後、俺は釈放された。
大和国庁が調べたところ、あの戦いで死んだ者は凡そ四十数名。もちろん全て敵方の被害だ。
あらかじめ襲撃がわかっていて、屋敷で待ち伏せされると危なかっただろう。交換所で死んだ者も合わせると六十数名。保元の乱で基盛兄上に敗れた後のことだと考えると、元々は畿内ではそれなりの勢力だったことがわかる。動員規模で言うと百人ほどかな。狩野茂光辺りかな?
結局、五条宇野の源親治の領地は弟基親のものになったらしい。親治は既に他界している父親の親弘や兄弟達とは不仲で、父から弟に譲られた地を相論(訴訟)の末に手に入れたそうだ。清和源氏っぽいな。それが親治の弟の元に戻った。相論で親治に味方した側の縁族は、今回の戦いでほぼ居なくなったとか。親治の直系は事実上滅びた。戦闘力を無くした領主の土地はあっという間に簒奪される。
この点では基親からむしろ感謝されている気配さえある。兄とは長く関わりがなかった、今後は平家の皆様とはよろしくやっていきたい、と父に挨拶に来たという。
もちろん滅ぼされた方の縁者は恨みを忘れないだろうが。
今回の戦いは、後に宇野合戦と呼ばれることになる。
出陣した兵には、班長部隊長の推薦で褒賞を与えた。今回いろいろ頑張ってくれた基盛兄上の家人であった五人は、本人達の希望もあって俺の家人に移った。他にも六波羅から希望者を受け入れたりして、俺の率いる兵は百人余の編成となった。班員の評判の芳しくない班長の入れ替えや、班員の小さな異動等はあったが部隊長は引き続き同じ。どうせ坂東出身の者は半年を限度に定期的に入れ替えてやらないといかん。
新規の者中心に作った部隊は、主に情報収集と連絡を担当する。別に諜報までさせる気はない。まして禿とか要らん。部隊長は鴨川通正。
東市司正の職は免職になった。俺は当面のところ散位(職なし)である。
私的な建物である銭交換所の襲撃に対して、市司正の職にある俺が出向いた上、さらに大和まで行って戦ったことが問題にされた。というかその辺を落とし所にされた。俺の経歴に失点をつけ、ひいては父上を制することができたので、うるさ方達も満足したらしい。
十六歳にして初のクビである。You are fired.
まぁ、六位相当の職が免職になっても収入にはほとんど響かない。
でも俺の「うつけ」の評価はさらに広まった。宋範のことも併せて、「凶暴なうつけ」にジョブチェンジしたようだ。
市司正の後釜にはウチの家人から六位の官人が送り込まれた。銭交換所の収益は父上にとっても無視できないものになっている。
橘良通と伴家茂には平謝りした。四ヶ月間ありがとう。警備の者は当分ウチから出すということで詫びとした。できれば次の人事で引き上げてもらうよう父上に頼むつもり。
さらに父上が「責任をとって」検非違使別当と右衛門督を辞任した。これは平家にとってちょい痛手だが、父上の中では元からそのつもりだった事のようで、ならどうする、という示威もかねているようだ。なんせ都の最大兵力はウチで、検非違使にもウチの家人が大勢いる。それがうまく機能しなければ都の治安維持は一気に停滞する。
俺の遠江守はそのまま留任。これを免ぜられると将来の参議資格に響くので父上が粘ってくれたらしい。激甘。
上西門院の判官代の職は、五月一杯の恐懼(出仕停止)となった。というか、それでいいんだろうか?
あと半月はどうせ物忌期間なので、実質処罰は停職半月となる。これも激甘。
結局俺が失ったのは評判と前歴だけだった。元々ろくなものではなかったが。
宇野から半月程経ったとはいえ、大量の⋯六十を超える穢を受けた俺は、貴族の家にはなかなか行きづらい。もし累積するのなら、五年くらいは出仕できないところだ。
犠牲者の直接の恨みは間違いなく俺に集中している。この時代の繊細な貴族なら心理的に参って病気になったりするんだろうが、どれだけ酷いことをやっても呪いなど受けない国家指導者を前世で見慣れている俺には、あんまり効果が無いようだ。ちなみに地方の武士もそんなことは気にしない。
「そうだ 仁和寺 行こう」
ということで、こういう時は仁和寺である。
晴れた日を選んで御室に向かう。
「日々の行いに仏の赦しを求めに参りました」
とご挨拶。
流石に覚性入道親王様も嫌そうである。
こういう時のために蒔輔に頼んでおいた彫漆の仏具台を差し出す俺。
「後もう一つ」
六角柱形の木の筒に黒漆を施したものの片側に小さな穴が空いたもの。振り出すと細い棒が出てくる。そう、おみくじである。
「何だそれは?」
「これには百本の棒が入っており、振ればいずれかの数が出てまいります」
振ってみせる。しゃかしゃか。三十七番。
「これで近々の運勢を占う…のに五文」
思わず笑い出す入道親王様。
話の掴みはうまく行ったので、一般参詣のお堂の話に入る。
収益は少しずつ上がっているらしい。それはそうで、これから数十年のうちに数多くの新仏教が流行る、つまりは急速に力をつけてきた新興庶民階層に仏教の需要が高まることを俺は知っている。都にやってきた武士、商人が寺に金を落としていく仕組みを作るなら今なのだ。
覚性入道親王様は真言宗教団のトップ、そこに鈍感であるはずがない。そうして真言宗の教勢を高めることは、比叡山や南都仏教を潜在敵と見ている俺の利害にもバッチリなのである。
「伊賀の柘植にですね。小さなものですがお堂を寄進したいと思っております」
「ほぉ。それは感心なことだな」
「それを持って曼荼羅寺への詫びとしたいのですが」
「ふふん。わかっておるのう」
入道親王様がニヤリと笑う。
「何卒お口添えを」
真言宗と平家との対立など、どちらも望んではいないのだ。ただ体面は大事。宗範、だったかな、あの坊主とのいざこざは早めに水に流してしまいたい。そのための出費として寺一つ建てる位は稼いでいる。柘植に建てるのは横に建屋を建て兵営として、東国への移動の拠点にするため。
仁和寺の薬師堂に続いて、東寺にも同様のお堂を建てる案が浮かんでいるという。柘植の寺が終われば醍醐寺にもお堂を寄進するつもりがあると言う話をして、すっかりご機嫌の良くなられた入道親王様に暇を告げた。
帰りに康慶の所に寄って仏像の注文。ここは真言宗らしく大日如来像である。康慶は興福寺に縁の深い仏師であるが、その作風は密教パンテオンと特に相性が良い。真言宗との結びつきを強めておきたいのはこちらもである。
後もう一つ、陶製の小型の仏像を作れないかという相談をする。もちろん寺で売り出すためだ。
今の仏像の主体は木製。これが一番精緻な表現ができる。いや、塑像や乾漆にもできるんだが、耐久性やコストや生産性に問題があるのだ。
だから寺院の仏像は普通木造。もしくはとっても長持ちだけど高価な青銅製。ただどちらも大量生産には向かない。
そういう用途には小さな土製か青銅製。これなら型で作れる。おおきな青銅仏は型を毎回作るから適さない。土製のものはもちろん長持ちしない。青銅のものは単価が高い。しかも今あるものは大体モールドが甘いイマイチの品。
これを陶製にすれば、安くて長持ちの品ができる。モールドはどうにもならんけど。そしてウチの技術なら陶器に彩色ができるのである。色が着けば彫りの甘さもカバーできる。なんなら鈴にしたりおみくじとか入れて売り出してもいい。彩色の技術が拡がるまでは独占販売できそう。まぁ、そういう訳で原型作ってくれないかという交渉である。これも考えておくと返事を貰った。
このところ連続して依頼しているので、礼金の他に用意しておいた鋸と鉋を渡す。初めて見る道具に怪訝な顔をしているなぁ。
五日
基盛兄上の満中陰、四十九日である。
これがあるので、真言宗との和解は早めておきたかった。今回は仁和寺の方から供養僧を派遣して頂いた。
儀式が終わった後、遅くなったが行子義姉上にご挨拶をする。多分伝わってはいるだろうが、自分の口から話すのは初めてだ。
「⋯ということで、基盛兄上の仇はほぼ討ち取ったはずです」
「そうですか。ご苦労さまでした。故人もきっと喜んでいることでしょう」
「あー、兄上は多分あんまり喜ばないんじゃないかな」
「え?」
「ちょっと困ったような顔で、『ふぅん、お疲れ』とか言いそうで」
「⋯」
「あんまり怒ってるのとか、見たことなかったです。早くに母親を亡くして、そういうの抑える癖がついてたのかも。いつも仕方ないか、って顔をして」
「⋯う⋯く⋯」
「そういう兄だから、俺たちみんななくしたものが大きくて、俺もなんかしなくちゃいられなかったんです」
「う⋯う⋯う⋯うぁぁ」
義姉上の悲しい忍び泣きはしばらく続いた。
復讐なんて意味がない、と言う人もいる。まぁ、何をしても大事な人は戻ってはこない。
でも次に進むためのきっかけにはなる。
親治がうちの家族に関わることはもうない。あいつのことを思い出すことすらほとんどないだろう。俺たちが犯人の事を考えて憎しみを募らせる必要はもうないのだ。
義姉上が落ち着くまでずっとそばにいたが声はかけなかった。義姉上が今まで泣けなかったのを知っていたから。生きていくために、泣くことが必要な時もあるだろうから。
とりあえず、解決が急がれた用事は済ませた。
でもそうするとひと月の間、体が空くのである。
「そうだ 伊豆 行こう」
思いついたので早速準備である。ひと月あればなんとかなるな。
新婚の身には辛いが、清子を連れて行くには準備が足りない。車に乗せてとかになると、日程は倍になる。父上にも言い出しにくい。
ちゃんと馬の稽古を続けていた糸子が恨めしそうだったが、流石にこれもまだ無理だろう。
次に連れて行くための下見ということで納得してもらおう。俺は伊豆に現地妻とか居ないし。景経は居るが。
旅の名目は遠江の視察。
その辺の許可を父上に貰いに行くと、
「貴様は(ペシ)恐懼と(ペシ)いう(ペシ)言葉の(ペシ)意味が(ペシ)わかって(ペシ)おるのか?(ペシ)」
だめだそうです。
新しい烏帽子が変形しちゃったよ。
遠江どころか外出も禁止されそうになったので慌てて撤退。これはいかん。
まぁ、父上が言葉ほど怒っていないのは何となく分かる。基盛兄上の件で俺以上に静かに怒り狂っていたのは父上だからだ。俺が宇野から帰った時は幾分すっきりした顔をしていた。細部を話しだすと又眉の間が寄っていったが。
だから派手にやらかした俺に微妙に甘いのだろう。
仕方ないので、伊豆行きは七月とする。他の理由は暑いから。前世と違って、ちゃんと東に行くと涼しくなる。というか都を離れるだけで涼しい。お盆とかあるがまぁうつけが一人位居なくてもいいよね…。
そろそろ梅雨入りしそうで移動に不向きというのもあるし。
暑さを言うなら六月もなんだが、上西門院に、というか統子樣に今月恐懼で来月ひと月休みたいとはちょっと言いづらい。前半だと梅雨が延びたり、まだ父上から許しがもらえない可能性もあるし。
まぁ、七月もダメ出しされる可能性はあるんだが。
とりあえずいろいろ準備をしておこう。
梁夫中心に職人たちに頼んで平板測量の道具を作ってもらう。測量は土木建築の基本要素なので、大学で実習をやらされた。
三脚、側板、移動器、分度器、示方規、求心器と錘、あとポール(五寸ごとに赤白に塗り分けた長さ一間の棒、片方の先は尖っている)や巻き尺(一尺毎に結び目をつけ、一丈毎に黒白赤の紐を繋いだ全長一町(約109m)の紐、ドラム状のリールに巻き付けてある)なんかである。きつかったのが水平儀で…透明の防水材料がないのだ。水晶を削ればなんとかなるが、単価含めさすがにやってられん。結局内側に轆轤で縁から一分程離れた平行線を引いた椀を使って側板の水平を出すことにした。あとは絶対必要な方位。磁石を作る必要がある。まぁ、直近は日時計で代用するか。日時計をいくつかと磁石の材料も頼む。全部設計図を描いて指示した。
うちの辺りの北緯は大体35.0°。北極星と天の北極のずれが10°足らず位はあるが、これは一度夜中に観測すれば大体補正できるから真北も北緯もわかる。貴族なら陰陽寮以下割と普通に星の運行を測っているから、この辺は直ぐにわかった。となると、南北に55°に傾けた板に35°に傾けた棒を挿せば日時計はできる。冬にも使えるように板ではなく、半円周状の金属帯に目盛を刻んで影を作るための銅線を直交させて張ればそれなりの精度のものが作れるのだ。
いくら大きいものを作っても精度が上がらない不思議。
これを南に向ければ(晴れた日中には)時計として通年使えるし、逆に言うと時刻を正確に示す糸の方向が南と言うことになる。時刻は洛内の鐘の音でわかる。
このやり方だと、細分した時間が欲しいので水時計も作った。深彫した椀に小さな穴を空けて、水が減る無時間を測る。全部無くなるまで、とすると判定が難しいので、測り始めと終わりに線を入れて時計とした。四半刻(30分)、八半刻(造語、15分、当時の五分)まで作った。高台に水が抜ける切り欠きを空けて、水平の盆の上に乗せて測る。風とかあると影響受けるし、気圧の変化でも%位は変わるだろうから、これ以下は精度が怪しすぎる。
他には幹也に頼んで二台目の馬車のオプション装備を用意して貰う。伊豆への往復で、どこが通りにくいか確かめないと。前回はみんなで担いだりしたが。ゆくゆくはこれの車台を転用して軍事輸送用の貨物車にしたいのだ。
二台目は父上用なんたが、まぁ、試験運転ってことで、引き渡しは多少遅れてもいいよね。
ちなみに三台目は統子樣用と決まっている。
基盛兄上の分は間に合わなかった…
晴れると家人を集めて平板測量の訓練をする。曇りの日は座学。まぁ、と言っても簡易なものだが。
多くが元はガチの武士なんで、訳わからんという者が多い。
これで土地の図を残せば、戦にも訴訟にも使えるし得をすると説明する。
多くが元はガチの名主なんで目の色が変わる。
そういえば、なんで市司正を首になったのかと兵達から聞かれた。源親治の件でやりすぎたからだと説明すると、不思議そうな顔をしている。
うん、東国ではあれくらい当たり前なんだね。
というか、領地をどうして奪ってしまわないのかと聞かれた。
うん、東国ではあれくらいだと生ぬるいんだね。
貴族と地方武士の常識がちょっとずつズレている件について。
これにて第4章は終了です。
2週間の準備期間を頂いて、再開は4/14(火)となります。
次章しばらくニートで、夏休みかな。




