表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宗盛記  作者: 常磐林蔵
第4章 東市司正、結婚、宇野合戦

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

124/125

宗盛記0117 応保二年四月 宇野合戦

応保二年四月卯月


十三日午後

市に出勤したがほとんど市司で寝ていた。

何このダメ役人っぷり。退庁前に起きた俺は、橘良通と伴家茂に今月の市の終いのあれこれを頼んでおく。向こうも何か察しているようで、引き受けてくれた。なんかいつものことでごめん。


六波羅に帰って、夜になった。

出発の支度をして、俺の家人と兵達を集める。

「昨日の今日で悪いが、まだ戦の最中と思ってくれ」

誰も言葉を発しない。

「今回の目的は、敵の殲滅だ。敵は大和源氏、源親治…兄基盛の仇である」

一拍置く。

「重ねて言うが今回の目的は、敵の殲滅だ。親治の縁者、家人、郎党の一人たりとも生かして残すな」

そう、既にある程度の調べは済んでいる。検非違使庁総力挙げての取り調べに、捕らえられた者たちはいろいろお話しする気になったようで、今回の首謀者は源親治と確定した。

捕らえた者を一人ずつに分けて隔離、尋問?し、他の者が話したことと違うと言って責め続ければ良いと言ったのは俺である。

権力者の一族の暗殺なんぞ試みた場合、当然自分の家族を逃がす。手際が良ければ既に領地に誰も居ないという可能性もある。だがこちらとしても一方的に仕掛けられた戦を、そのままにしておくことはできない。朝廷が犯人を捕まえて処罰まで持っていくことなど、現行犯以外ではまずありえないのだ。まして相手が領主や貴族の子である今回の様な場合は、解決手段は当然私戦となる。

犯人を捕らえて裏があるかどうかを自白させる?自白したとしてもそれを確認する手段がほぼない。権力者に縁があったりしたらもう駄目だし、逆にその気になれば「◯◯に命じられたと親治が自白した」と言い張ってうちが適当な家を脅すことさえできる。あ、これはアリだな。

そうして一番まずいのは、平家何するものぞ、と全国の武士に舐められることだ。そんなことになれば同じことを考えるやつが出てくるし、そんな弱腰の家に従う者はいなくなる。この時代の武士など、単に自分の強さを示したい、とか、名をあげたいとか、最悪むしゃくしゃしてやった、というのもいるのだ。

メンツは守る、やるなら徹底的にやる、というのが武家の基本ルールなのだ。

保元の乱のとき、親治の助命を命じたのは新院だ。基盛兄上が院判官代であったことを考えると、今回のことには直接の関わりはないだろう。とはいえここで親治を殺せば院との関係が悪化するかもしれない。まぁ、院はそんな昔のことを気にしてはいまいし、帝との関係がどうしようもない院と多少こじれても構わんか。

滋子様にはちょっと申し訳ない。

親治の領地の宇野荘の本家は醍醐寺三宝院となっている。こっちにもフォローが要るな。また花見に行きたいし。

吉野の金峰山寺とも付き合いがあるようだが、これは相手次第か。吉野は修験道の拠点だが、拠点の一つでしか無い。それ以外にもウチが気に入らない者などいくらでもいるだろうが、いちいち気にしていても仕方ないし。


宇野までは約二十里。ゆっくり二日の行程だ。六波羅の兵も百人程付けてやろうかと言われたが断った。人員がこれ以上増えても遅くなる。この頃は官道以外の道の整備はかなり酷いのだが、流石に奈良方面は道がしっかりしている。百以下なら二日で行けるだろうとのこと。夜間行軍の訓練も兼ねてる。

代わりに大和国庁での支援の書状を父上に強請った。検非違使にも五人ほど同行してもらう。ちゃんと使える人を選んでもらった。もちろん父上にである。

これで犯罪者の追討という体をつくるのだ。市司正の仕事じゃないと言われそう。

日暮れ前の酉の正刻、宮中の太鼓に合わせて都中の鐘の音が順に響く。

「宗盛軍、出陣!」

父上と重盛兄上と知盛が見送ってくれる。父上がこめかみを押さえているのは見なかったことにしよう。



++

「無事で帰ってくれると良いのですが」

重盛が沈鬱そうに呟くのを聞いてむしろ驚いた。そうか、家を早くに出た重盛はいまいち宗盛のことをわかっておらんのか。無事でないとしたら向こうの側だ。やり過ぎんことが最大の心配事なのである。

「検非違使もつけたことだし、兵も多い。そちらは大丈夫だろう」

他の所は大丈夫でない気がする。

宗盛軍とか言っとったし。

思わずこめかみを押さえてしまった。

++



俺は大袖付の胴丸。胴は丸く打ち曲げた鉄の一枚板を四枚蝶番で留めている。格好つけの絵革を貼って栴檀の板、鳩尾の板もつけてあるが、皮一枚に色漆を塗ったパチモンである。

大袖と草摺の縅の柄は深緑こきみどり苔色モスグリーンの二色の立涌。鉄板一枚張の右側の大袖も模様は同じだが同色の漆を焼きつけただけである。左は普通の縅の大袖。

兜の錣も深緑と苔色の段替。これもさね造りにはなってない。鉄の薄板作りで通常よりかなり裾を絞った形。大袖があるなら裾を拡げる必要はない。鉢型は頭形の一枚打出しで色は深緑。鍬形の代わりに朱漆で塗った下側半円の鋼の前立を着けている。最近では「平三へいざの地平紋」と呼ばれ始めたという例の地平線紋だ。戦場で目立ちたくない俺と、目立たないといけない俺の立場が微妙に混じっている。ま、銃に比べれば貫通力も命中精度も低い弓ならこの程度で大丈夫。うん、大丈夫…。

肘当に脛当、喉輪。面頬はほとんどオフロードマスクの形だ。息がしやすい。これは兜に固定してもいいかな。組討で掴んで喉露出されたりするのは困るんだが…。模様は全部二色の立涌。直線より曲線のほうが輪郭が背景に溶け込んで視認しにくいからだ。

馬はいつもの「かけ」。栗毛の俺の愛馬だ。これに粟田口国家写しの宗近と大原真守の短刀。弓は大将っぽく重籐の弓を用意しているが、こっちは概ねカッコつけ。矢はちょっと安めの隼の風切羽。下手な「俺」が矢戦で活躍する必要はない。


十四日

六波羅から大和国衙まで、十七里余り。今回ちゃんと調べるまで漠然としか知らなかったのだが、飛鳥宮の北、大体後の橿原神宮の近くに国衙はあった。奈良市内、もとい平城京じゃないんだ。国衙から二里半ほどで宇野、源親治の屋敷である。昼間近づくには近すぎる。戌の刻(午後8時)頃出た我々は、夜がかなり明るみ始めた卯の初刻(午前五時)頃奈良の都に入った。父上の伝で西大寺で休ませてもらう。ちなみにウチは東大寺とは伊賀の土地争いで仲が悪い。興福寺は藤原でないウチが大和の国司を握っているのが不満でこれまた仲が悪い。しかしこいつらと親治もこれまた仲が悪い。だから俺たちに気づいたとしてもわざわざ宇野まで報せには行かんだろう。ここで昼過ぎまで仮眠をとって待つ。未の刻(午後2時)過ぎに西大寺を出た俺たちは、日が暮れた後の戌の初刻(午後7時)頃に大和国衙に入った。そこで予め様子を見張らせておいた基盛兄上の家人から、怪我を負った三人の武士が昼間に馬で通ったとの話を聞く。逃げたもう一人については都を出る前に動けなくなったところを捕らえたと六原で聞いていたので、これで昨日の襲撃者の数が揃った。親治の家に家宅捜査する口実もできた。武装の確認をしてカチコミである。三人の検非違使を連れて、残り二人には国庁の取りまとめに残ってもらう。まぁ、誰も外に出すなと言うことだ。


といっても二里半はあるので、親治の家を遠巻きに囲み終わったのは酉の刻辺り。三人の検非違使以外は松明は付けない。簡単な板塀と、浅い堀に囲まれた一町四方ほどの屋敷。門の上には簡単な櫓が組んである。俺たちは半町程離れて息を潜めている。

検非違使の一人が、門を叩く。

「検非違使庁の者である。開門されたい」

「夜分無礼であろう。ここは清和源氏の流れを引く、対馬守、下野守源親弘の嫡男、源親治の屋敷であるぞ」

門の正面は外して、割と近い茂みで様子を伺う。門にかけた松明の光もここまでは届かない。辺りは闇の中である。

門の中から返答がある。小窓を開いて外を見ているようだ。

「一昨日都の市を騒がせた者の取り調べである。この屋敷に逃げ込んだという話がある。開門されぬとあればその旨、都に報告することになるが」

「木端役人めが、笑わせる」

多分威嚇に過ぎなかったのであろう。戸が開くと、二人、武装した武士が出てきて、放った矢が検非違使の足元に突き立った。強硬な対応だが単なる捜査ならこれでも済むのだ。後で家人に詫びを入れさせる形でなぁなぁで済ませる。さらに今回は家中皆逃げるつもりだろう。ここで検非違使を追い払っても構わないと思ったか。しかしこれはありがたい。この時点でもう立派な反逆と言いはれる。

要は欲しかった口実を向こうが与えてくれたのだ。

戸が閉まり、使いの検非違使が慌てて下がってくる。俺も距離をとった。


三人共にそのまま国衙まで報告に行くと言う。察しが良い人達で助かった。余計なものを見ないでいてくれるということ。

親治の家人にムカついた、というのもあるかもな。


++

「検非違使を名乗って三人参りました。二日でここまでとは、かなり早かったですな」

門に詰めていた初老の家宰が報告する。

清盛めの手のものか。成り上がりに尻尾を振りおって。

今回はこちらにも多くの被害が出た。幼い者は既に落としてあるが、主だった者はまだ息子達の喪に服しておるというに。

「仕方あるまい。館を払って姿を隠す。怪我をした有治と満治を戸板に乗せよ。家の者達に退去の支度を…」

ひゅおーーん…

外で鏑矢の音が長く響いた。

++



鏑矢を取ってつがえ、ほとんど空に向けて放つ。開戦の合図だ。中にどの程度の戦力が残っているかはわからない。京まで引き連れて来れたのが二十人程ということは、多くても同数位だと思うが。


屋敷の裏手で陶器が割れる音が続く。裏手に回した兵二十の攻撃が始まった。交換所でも使った火炎玉と今回新たに用意した火矢だ。火炎玉は要は火炎瓶である。五寸の薄手の丸い壺の中には、松脂を溶かした酒精アルコールが詰まっている。さらに松脂を塗って二つ折りにした和紙が三十枚入れてある。別の意味で凶悪な兵器だ。使うときは差し込んで膠で固定した口火に火をつけてから、別についている縄を使って振り回し、ハンマー投げの要領で投げる。割れると粘性のある溶けた松脂に着火、当たったものにへばりついてしばらく燃え続けるのだ。もちろん照明にも放火にも使える。多少の水分では消えないから、雨の後や船上でも使えるだろう。梯子を塀にかけて登らせ、そこから屋敷に向かって投げさせている。

ゲームでは火計なんてのがよくでてきて、ビジュアルではたいてい火矢を放ったりしているが、あれでは射た瞬間に大抵消える。何度か試してもだめだった。鏑矢に熾した炭と松脂を仕込んでようやく当たった所で火が付いたが、火勢が強まるのにやたら時間が掛かって効率が悪い。それで開発したのが火炎玉と改良火矢だ。幸い謹慎のおかげで時間はたっぷりあった。

口火には火が消えにくい様に、特に目の細かいヤスリで引いた上に目の細かい紗でふるった鉄粉と、硫黄を乳鉢でよく混ぜて和紙で巻いて作っている。これだとしばらく火花が飛び散り続けて火付がいいのだ。昔中学校で習った発熱反応。

硝酸カリウムといい、文科省は役立つ知識をいっぱい与えてくれた。いざとなったらゲリラ戦でもさせるつもりだったのだろうか。

その口火を矢尻付近に取り付けたのが改良火矢だ。

建屋が近い北側から遠い建屋はこれで攻める。特に裏の勝手口付近は真っ先に火で塞いだ。この辺の武士の家の屋根は茅葺きだ。火の回りは早い。

少し間をおいて正面の門に縄をかけた丸太が突っ込む。これは中鴨社に潜んでいた五人が以前から用意していたもの。両側に二本ずつ取り付けた縄で担いで使う。扉をぶち破るための道具だ。先端は円錐型に削って、さらに炙って固くしてある。重さはニ十貫(75kg)。設計は俺。門扉の板など一撃だった。

「ま、待て、いきなりなにを!」

門の横でうろたえる声がするが、人影にあっという間に矢が突き立っていく。

南側には庭がある。貴族でない者は築地塀が立てられないから板塀である。門扉を破ったと同じ丸太でどんどん突入口を開けていく。庭に弓と据え付け式の木の盾を構えた六十人が展開する。そこから蹂躙が始まった。



++

ドーン!メキメキメキッ!

門の方から轟音が響く。閂を破られたのか?鎧を鳴らして何人もの兵が入ってくる様子。

「襲撃です!敵は数十人!」

なんだと…昨日の今日で数十人?ほとんど落ち武者狩りではないか!

「北側に火をかけられました」

「いきなりか!?名乗りも挙げず、開戦の口上もなしに!?」

「叔父上に救援を頼まねば!」

庭に飛び出した五男の親家に、数本の矢が突き立つ。言葉もたてずに倒れた。

「親家ぇ!」

これは、真っ当な武士のやり口ではない!

++



「近づきすぎるな!矢で減らしてゆけば良い!」

火は屋敷の北側を覆いきった。これで向こう側からは逃げられまい。時々庭に飛び出てくるものは、瞬く間に矢を受けて倒れていく。

「貴様!貴様!何者だ!?」

黒の胴丸だけを身に着け、刀を振り上げて中から飛び出てきた老人が叫ぶ。

察しのいいウチの家人はこういう時矢を控えてしまう。遠慮なく射っちゃっていいのに。

「都の官吏だ」

「おのれ!儂を元対馬守、元下野守源親弘の嫡子親治と知っての狼藉か!?」

「元々うるさいな。現遠江守、平の三郎宗盛だ。源親治、東市襲撃の犯人隠匿の上、検非違使に攻撃を加えるとは反乱の意図は明らか。誅殺する」

「貴様!貴様がっ!わしに恥をかかせ、さらに大和守として当家を侮った基盛めの弟か!基盛はわしが討ち取ってやったわ。それのどこが悪い!」

「替わりにお前の家はここで滅ぶ」

「小僧めが!貴様も後を追わせてやる!」

「基盛家の者。仇だ。射て!」

刀を振りかぶって突っ込んで来ようとした親治の目、頬、額、口、喉に五本の矢が突き立って、後に弾き飛ばされた。みんな頭部を狙うのは、鎧を着ている相手の胴を狙っても意味ないと、家人にいつも言っているのを聞いていたか。

それからは熱さに耐えかねて何人か庭に転がりでたが、全て即座に射られて死んだ。武士の格好の者もそうでない者もいた。中で自害した者も多くいるだろう。そのうちに燃え広がった火で屋根が落ちて、屋敷は巨大な焚き火となった。


ここからが仕上げだ。

周囲の監視は是行の部隊に任せて、残り三部隊は屋敷の周囲の道を警戒していた景経隊と合流。道を遠巻きにして、これより鎧を着てやってきた者達は全て撃てと命じた。様子を見に来る者で鎧を着てくるものは、襲撃に関係した者だろう。鎧を着るためには急いでも三分(9分)位は掛かるのだ。里の者は少なくとも親治が誰と争っていたかは知っている。戦いがあると思っていなければ、鎧など着ては来ない。

屋敷の燃え上る炎は遠くからも見えたらしく、二刻ほどかけて何組かの武士が来て、皆討ち取られて死んでいった。死体は田の中に引きずり込み、武装していないものは明かりの届かない所に誘導して、しばらくお待ちしてもらってからお帰り頂いた。殺気だった武士達を目にして、皆さん特に逆らうことなく誘導に従ってくれて帰っていった。

もう釣れなくなったと判断して、大和国衙に戻った。

こちらにも負傷者は出たが、幸い重傷者はなかった。


十七日には東大寺の大仏様にお詣りして戦勝の御礼と基盛兄上の冥福を祈った。俺の知っている大仏様よりキリッとして男前だ。更に大仏殿も大きいような。

東大寺の僧には酷く嫌がられたが、お前らの私物ではないんだ。向こうも正面切って争うつもりまではないらしく、どちらも手は出さなかった。この日も西大寺で泊めてもらった。

十八日には都に戻った。帰った途端に捕まった。

どうやら昨日のうちに大和国衙から報せがあったようだ。


十九日

昨夜帰ってから直ぐに検非違使庁に連行された俺は、今日も取調を受けている。

昨日は初の仮牢暮らしであった。もっとも扱いは至って丁重で、寝具とかも差し入れてくれたので居心地はよかった。熟睡した。


源頼光(摂津源氏)から八幡太郎義家(河内源氏)へと繋がる栄光の清和源氏が、どうしてウチよりも出世できなかったか。これは義家以降の源氏の歴代に、いつもいつもどうしようもない奴が出てきたからだ。まぁ、財政感覚がイマイチで成功じょうごうできなかったのもあるが。

義家自体、後三年の役は勝手に始めたものだし、義家の次男、義親は対馬守として赴任中に九国で略奪を働いて回ってウチの曾祖父様に討伐された。わけわからん。義家の次弟の義綱と後継ぎの義忠は三弟の義光に殺されたとの噂がある。その義光は坂東に逃げ、一番下の弟が残された。これが義朝の父、為義。為義自身数多くの狼藉でついには鳥羽上皇より罷免され、その子供の為朝は九州で狼藉を働いて官位にもつけなかった。保元の乱でうちの父に敗退し、息子の義朝に首をはねられた。為朝は伊豆で俺が討った。義朝とその長男の義平も大蔵合戦という私戦で弟の義賢と秩父氏の長男を殺し、四年後平治の乱を起こす。歴代の河内源氏がやらかした暴力への忌避は貴族に根強く広がっている。

しかし逆に言うと、ここまでやってもまだ残っているのが河内源氏なのだ。つまりまとまった勢力の武家貴族の需要はとても高い。なんせ地方の荘園で争いが起こった時、差し向けられるのは武家しかないのだ。


代わって比較的お行儀の良い伊勢平家は重用された。と言っても程度問題で忠盛お祖父様は、瀬戸内の海賊を取り込んでどんどん私兵化したりしているんだが…。


さて、今回俺がやったのは私戦、官符(帝の命令)なしの戦である。…かもしれない。私戦と決まったら俺は処罰される。

俺(と父上、もちろん確信犯)はその辺曖昧にするために、捜査に来た検非違使に親治が攻撃したから、という体を作った。親治の郎党がバカでラッキーだった。

もちろん百近い兵を連れて行っているので、これがウチの報復であることは明白。でも父上は捜査の為と言い張る筈…言い張ってくれるよね?

父上は俺を切り離せば平家のお行儀良さの印象を守ることができるんだが。

その結果が出るまで俺は事情聴取中なわけだ。


父上が俺に期待したのは、基盛兄上の直接の仇である源親治とせいぜいその息子達の殺害だろう。俺が意図したのは加えて累犯と復讐の連鎖の防止。要は親治の係累を根絶やしにして、他の不満を持つ勢力からも舐められないように牽制することだ。


まぁ、俺としては俺の家族が源平合戦に生き残るためならなんでもやるつもりなんだが、その辺りの温度差がどう響くか。

俺の出世などどうでもいいんだが、統子様には申し訳ないことをしたなぁ。可愛がっていただいたのに。


審議は月の残り一杯かかり、家には帰れたものの俺は何度も呼び出された。その度、親治に攻められてやむを得ず応戦したと繰り返す。人数は親治の軍勢がわからないから多めに連れて行ったのだし、近隣から敵の増援もあったので何度も撃退せねばならなかったとも。どうせ向こうの証人はもう誰もいない。


「流されるとしたら土佐がいいなぁ。ついでに頼朝もなんとかしときたいですから」

と父上に話したらはたかれた。最近俺の頭は父上の扇の的である。烏帽子あるから痛くはないんだけどね。



次回で第4章は終わりです。

又2週間の準備期間を頂きます。すみません。


携帯の故障で書き置き分がお亡くなりになったので、かなり慌ただしくなっています。このペースの維持も後半年位のなるかも。

20話位は貯めときたいんですけど、段々自転車操業に⋯。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
>「宗盛軍、出陣!」 もう立派な一手の大将なので、平家の赤い旗だけでなく馬印も実装でいいのかも。 馬の尻に印をいれたという伝承もある宗盛なので、一足飛びに馬印あたりも? >これは、真っ当な武士のやり…
>携帯の故障で書き置き分がお亡くなりになったので、かなり慌ただしくなっています。 GoogleドライブかOneDriveへ、自動バックアップするのがよろしいかと存じます。
>まぁ、院はそんな昔のことを気にしてはいまいし、帝との関係がどうしようもない院と多少こじれても構わんか。 このままだと二条天皇が先にお隠れになるよ。 体質改善・強化して長生きしていただかないと。 …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ