宗盛記0113 応保二年閏二月 國家
藤原信範→平信範に訂正しました。ご指摘ありがとうございます。
応保二年閏二月如月
八日
仁和寺の薬師如来像の縁日御開帳。前に提案したように、寺男が御札や御守を売っている。蝋燭、抹香、花と合わせて購入して、献灯、献香、献花。お賽銭は定番の五文である。書写してきた般若心経を唱えて薬師如来の真言を三度唱える。
なぜ五文なのかと景経に聞かれたので(というか聞かせたので)、
「丸い銭が五文で五円、仏様と御縁があるようにだ」とやや大きめの声で説明する。やってることはサクラである。
物珍しさに集まっていた商人なんかが真似てお祈りしていく。上手くいくといいなぁ。
なぜ真言宗に肩入れするかと言うと、この時代、大手の旧派仏教で武装していないのが真言宗だけだからだ。別に理想的な宗派と言うわけでは無いが、南都仏教の多くも天台宗も武闘派である。都の近くで常置の武力があるとこの後必ずウチとぶつかるのだ。できれば相対的に弱体化させておきたい。そういう意味では禅宗も浄土宗も時宗も歓迎である。血脈相承を言い出して政治的にも軍事的にも自制が効かなくなる浄土真宗は、政権側からはあんまり歓迎できないんだが、あれは親鸞から三代目あたりの話だから俺には関係無かろう。
市に出勤すると、宗近(仮)のことで話があるという男が待っていた。
二十台、三十少し前といったところか。庶人だが身なりはこざっぱりしている。チョビ髭。名前を聞くと、粟田口國家という。これは粟田口兄弟の先祖とかかな?
國家の話によると、自分は三条派に属する刀工だ、という。父親は奈良で鎧を作っていたが、自分は都に戻って刀鍛冶を始めたらしい。先祖から伝わった宗近の写しを作ったところ家の下働きのものが持ち逃げしたとか。なんとか買い戻したいらしい。刀屋を睨むと真っ青になって震えている。盗品の販売とか当然犯罪である。こちらの出方によっては出禁を超えて資産差押、投獄もありうるのだ。それを市司正の俺に売りつけたとなっては何を言われても仕方ない。聞くと知り合いの刀屋からの転売物で、三十貫で買ったとか。儲けの十五貫は返すと言うので、まぁ許してやろう。
「で、残りの三十貫は払えるのか?」
と國家に聞くと、何年かかっても返すからという返事。ざっと三百万円。庶民にはかなりキツイ額だ。刀はどうするつもりだと聞くと、名を守るために鋳潰すと言う。
「なら、宗近の銘の裏に、粟田口國家写、と入れとけば良いだろう。こんなよく斬れる刀を潰すとか勿体なさすぎる。それなら不実にもならんし、三十貫は払わないでいいぞ」
しばらく悩んだが、結局それで落ち着いた。刀を預けて裏に銘を彫り足してもらう。その礼として五貫文渡しておく。
そう、俺としては十貫文安くなった上によく斬れる刀が手に入って現役の刀工とコネができたのだ。刀屋は盗品を売ったのに見逃してもらえ、頑張れば売ったやつから取り立てもできるだろう。刀工の國家は鋳潰すはずの刀で五貫文手に入った。ウィンウィンというやつである。なお、逃げた下働きが捕まった場合、金額が大きいから厳罰だろう。処分は検非違使が決めるので、よくて流罪、ウチに忖度したら下手すれば首が飛ぶ。
宗近(仮)、改め、「國家写宗近」、ゲット。
十一日
あいにくの降り出しそうな曇。花見は順延。上西門院の桜は一部開いているので屋敷内から花を見る。
十五日
今月の市も問題なく終わった。
豆八は都で仕入れた物を持って伊豆に帰って行った。次は四月に来るという。
十六日
晴れた。出仕だけど花見の日。馬車でそのまま上西門院にお迎えに行く。統子様のお供は兵衛。後女房が三人。統子様のたっての希望で、助手席に座って頂く。ちゃんと運転席の俺との間には御簾を下ろしてあったんだが、運転席側の景色も見たいので上げておきたいとの仰せである。護衛はウチから二十騎、上西門院から二十騎。宴用の荷車も付いている。そのまま醍醐に向かう。山科に向かう場合、多くは三条通りから粟田口、蹴上をぬけて行く。インクライン沿いのコースだ。これは主要道なので十分に広い。あるいは五条から清水の南側の細道を抜ける方法もある。渋谷越。重盛兄上の小松殿やウチの職人達の工房の横を通っていく。これは将来の1号線ルートに近い。ウチの手も入って割と通りやすい道になっている。だが今日の目的地は醍醐寺、山科の中でも一番南だ。様子見を兼ねて深草から東に抜けて小野を回っていく。
馬は牛に比べれば坂道に弱いが、これ位ならなんということもない。下りのきつい所ではブレーキをかけつつ三里ほど。快適な道行に統子様がとてもご機嫌である。目新しい乗り物に最初は緊張して黙り込んでいた女房達もかしましい。最近の歌人の話とか唐物の目利きの話とかしながら一刻位で着いた。
周りには他に何もないので、醍醐寺がすごくでかく感じる。前世で行ったときも大きいと思ったが、そんなもんじゃなく、町一つまるまる醍醐寺だった。
もちろん下醍醐。行ったことのある人ならわかると思うが、上醍醐は標高400mほどの山中だ。前世で上った時には一時間以上はかかった。歩きなれていない女性には半日掛かりのちょっとした修行である。秀吉の花見はこっちの山道で、途中の桜はたしかに綺麗なんだがほとんど山道だからなぁ。
さすがに日帰りの花見に輿を用意するのはやめた。ちなみに女院で元斎院の統子様は輦と呼ばれる輿に乗ることができる。
幸い下醍醐も歴代の帝の援助によりかなりの桜があって美しい。五重塔の周りも桜が盛りだった。近くの仏殿に座を設えてもらう。もちろん寺にはお布施を届けてある。覚性法親王様の縁もあり、とても丁重な扱いを受ける。用意された座は塔側の桜の一番多いあたり。ここの弁天池は秋の紅葉も見事なんだよなぁ。
用意した畳を敷いて統子様の座を作り、桜の方を開けて几帳を立てる。拝殿の外には護衛たちのための筵を敷いて、持ってきた酒と食べ物を配る。もちろん交代で立哨は置くが。貴婦人は顔を見せられないので、この辺の配置は気を使うところだ。今日の護衛はどちらかと言うと俺の家人の慰労も兼ねてるしな。
醍醐の桜は初めてであられたようで、参詣を済ませた後、兵衛と歌など詠んで花見を楽しんでおられた。俺にもとふられたが、妻から人前で歌を詠むのを禁じられていると話すと皆に笑われた。桜の花の薄く紅をさした白さは清子の肌の色の様だ、と思うが口にするのは止めておこう。
ソメイヨシノのこれでもかというような辺り一面の薄ピンクも懐かしいが、緑や赤の葉が少し混じって、花の色も濃淡のある山桜の花見もいいものだ。背景には五重塔でなんだが贅沢気分。市正(市司正の通称)の仕事はそれなりに慌ただしいので、こういう気楽な花見は大歓迎である。もしかすると俺の慰労も考えていただいたのかもしれない。
しばらくしてから護衛の皆の所も回って話をする。ちょっと振舞酒が入って楽しそう。今のところ暮らしに問題はないらしい。六波羅に稽古する場所がもう少しあればと言うので検討を約束する。宿舎は皆快適だとか。季節的には良い頃だしなぁ。
持ち込んだ花見弁当で軽い昼食を済ませて、未の刻(14時)頃に寺を出て上西門院に戻った。
十七日
今日は市の報告をしに行く日だ。市司の所属は京職。
左京市なんで左京職となる。長官は左京太夫。現在は左京権太夫平信範殿だという。左京職の場所は朱雀大路の東側、姉小路の北側の角である。大路を挟んで向かいは右京職。
「はじめまして。ご挨拶が遅くなりました。左市司正の平宗盛です」
平信範殿は、正五位上。俺の後の蔵人で少納言。両方とも解任済の前職。加えて藤原基実様家司政所別当つまりは摂関家の重臣でもある。これは官位以上に力を持っているということだ。優秀な方なんだろう。五十程の者柔らかい感じの方だ。
「平信範です。ああ、従四位下なんだって?僕の方が位は下だから固くならずにね」
「あ、ありがとうございます。先月は障りがあって参れませんで失礼しました」
「大変だったそうだねえ。もう落ち着いた?」
「はい。色々とお騒がせしました」
「気にしなくていいよ。時信兄上の孫なら、ウチの出世頭⋯じゃないか、時子は従三位だっけ」
「時信兄上?⋯では、大叔父上?」
うわぁ。うわぁ。なんでこんな所で。
「清子と結婚したんだろう?じゃ、義理の叔父ってことにもなるねぇ。まぁ、時信兄上の所は親戚多そうだから知らなかった?」
「大変失礼致しました。大叔父⋯叔父上様」
「いやまぁ、だから固くならずにね」
今月の報告と、近況をお伝えした。
なんでも市司正の空きがあって、とりあえず推挙してみたのは叔父上らしい。この世間の狭さはなんとも言えない貴族あるあるだ。
「で、なにかして欲しい事はある?」
「その⋯ですね。巷所の市についてなんですが」
「ああ、取締?ちょっと難しいけど、どの程度?」
「半年と言われておりますので、月初めだけでも」
「半年か。せっかく同じ職場になれたのにそれは残念だねぇ。ところで巷所の市の方でも、治安が悪くなってて泣きつかれているんだけれども」
と言うことは、京職と市の代表に繋がりがあるってことか。おそらくなんかのリベートも含めて。
「なら、ウチから警備の兵を出すこともできますよ?有償になりますが」
「代わりに?」
「そちらの市でも値札は銭で出して貰えれば」
「若いのにすごいねぇ。流石出世頭だ」
「父の七光ですが」
「君、ちゃんと勲功もあげてるじゃないか。控えめだねぇ」
調べもついてるか。流石摂関家家司。
「わかったよ。伝えておこう。打合せは直接する?」
「いえ、間に立って頂ければ助かります」
「ホントにすごいねぇ」
頭越しに交渉したら叔父上の旨味がなくなってしまう。それにこの叔父に任せたほうが話が早そうだ。大体の条件を伝えて、結果は後日と言うことになった。
その日の夜、
「いや、ビビったよ。教えといてよ」
と清子に愚痴る。
「あ、ごめんなさい。時子姉上が伝えてるとばかり」
そういや、時期的に結婚すぐだったからなぁ。
母上に尋ねたら、
「清子たちから伝わってるとばかり」
と返ってきた。さすが姉妹である。
翌日、付け届けに苺襲と寝具セットをお贈りした。
月の後半は遠江守のお仕事。本格的に届き始めた各種書類のチェックをしながら、問題点は書き出して目代の景家に手紙で指示を送る。
伊豆に比べても、ある程度領地を持つ武士がとても多い。
ちゃんとした地図が無いのだが、図書寮から借りて写させた地図を元に、施策を考えていく。何より交通。道の整備である。
人の移動は陸路が多いが、租税の運搬はやはり船が多い。例えば一万石の米を運ぶとして、一石約87kg、十石0.87t、一万石で870tだ。百貫積みの荷車に四石ずつ積んだとして、二千五百台余り。こんなものを陸路で運ぶのはとても大変だからだ。
この時代の海運はかなり未熟である。租税運搬の最中に難破でもしようものなら国司の首がすげ変わりかねんので、おそろしく時間をかけて晴れて風の適した日だけ沿岸を進むのだ。土佐日記で土佐の国府を出て難波まで大体四十日、京まで五十日かけているのを見てもわかる。陸路に直すなら、大体八十里から九十里位の距離なので、讃岐から備中まで船に一日かけても京まで十日で着くのにだ。ちなみに都から伊豆までは約百里。伊豆の税も沼津の問に頼んで二千石ほどの米をふた月からふた月半位かけて運んでいた。
この時代の船は既に無い遣唐使船みたいな特殊な例を除くと、百石積位の船が精々だ。荷船もあるが多くの船は漁業なんかに使われていて収税期のみ借り出される。当然その時期には数十隻から数百隻位の船が船団を組んで移動する。一隻には護衛と操船に十人位乗る。つまり多ければ数千人位の人が動く。これをなんとか減らすために布での代納とかもある。房総辺りはかなりの割合がそうなっているらしい。
しかしその場合、伊豆も遠江も緊急避難的な風待なんかの一時寄港のみでそれほど金を落とさない。やはり積み降ろしの港が栄えるのだ。藤沢、川崎、江戸とか桑名、熱田とか。これを沼津、伊東に持ってくるため、いろいろやっていたのが伊豆での俺の施策。
まぁ、公領の租税運搬の場合多く港の税を取れるわけでもないし。更に年の一時期のみだ。
その辺整備してもあんまり旨味がないんだよなぁ。儲けはほぼ問に行くし。
さらに軍事的にも今の船の構造じゃ外洋で海戦するのはリスクが大きすぎる。大量兵員輸送も馬の輸送を考えると街道整備のほうが効率良さそうだ。沿岸整備は河口港の整備と灯台位にしといて、やはり力を入れるのは陸路かな。
将来的には新式の造船考えるべきなんだろうが。
とすると、大井川は吉田沼津航路でいいとして、問題は広瀬川(天竜川)だな。
浜名湖北部の多くの小河川と、後は掛川から吉田までの道路整備、そこそこある太田川や原野谷川、菊川なんかの橋の整備。これは景家に指示を出してある。広瀬川には伊豆からコンクリートなんかの資材を送らないとな。
父上と相談して、小松谷の西側の土地を貰う。周辺の買取も含めて。作るのは馬場と射場、後は家人達の宿舎だ。今は半年交替を考えているが、将来は三ヶ月位で交替させようと思っている。となると宿はこちらで用意したほうが早い。伊豆の長屋風のを建てていくつもりだ。将来は大番役の全国の武士も泊まれるようにしたい。職人達、主に梁夫を呼んで相談する。梁夫は今や一廉の大工の棟梁になっていて、十数人の大工を抱えるようになっている。急ぎでない大規模な建築は大喜びである。
++
「僕の甥が、今度東市正になっててね」
「というと、そのせいでこっちにしわ寄せが来てるってことですかい」
「それだけじゃなくて、巷所の取締も頼まれちゃったよ」
「ウチと京職の皆さんとはうまくやって来たはずですが」
「甥は清盛公の三男でね」
「なっ。市司正が?」
「巷所の取締をしたいと思えばできちゃうんだよ。なんせ父親は検非違使の別当だし」
「信範様になんとかお救けいただけませんでしょうか?」
「甥が言うにはね、そちらの警護にも兵を出してもいいと言ってるんだが」
「そ、それは、費用の方は⋯」
「聞いてきた話ではねぇ、これ位⋯」
++
来月から、巷所の警備にも一日五人派遣することになった。私設の市でも銭で価格が表示されることになったらしい。警備もかなりいい値段で落ち着いた。さすが摂関家家司である。当分一割は口利きのお礼としよう。
苺襲の求肥に、少し肉桂を混ぜて見る。うん、もう生八ツ橋でいいかなって味になった。菓子商人に任せれば、創業1062年の老舗ができそうだ。それで稼ぐつもりもないので任せんけど。そのうち誰か真似するだろうなぁ。
醍醐の花見の話が早くも家に伝わったらしく、花見に連れて行けとの要求に負けて平野神社に行くことになった。清子、糸子、季子の三人、に何故か章子姉上も加わって合計五人である。荷間に仮設の席を取り付けた。護衛を三十人ほど連れて二里足らずを半刻程で進む。北野天神の大きな鳥居を過ぎて右に折れて少し進むと平野神社の境内。ここの桜は種類が多いことで有名だ。護衛の半分と一緒に車で姉妹を待たせて、茣蓙を敷いて幔幕を張って一面を開けて花見の設えを作る。これ、行軍と軍陣を作る訓練になるなぁ。折りたたみの卓や床几も考えないと。車に迎えに行ってしばしの花見。家人たちはそのまま宴会。一度吉野にも行ってみたい、でも車じゃ高いところはしんどいんだよなぁ、とか話していたら、糸子が馬に乗れるようになりたいと言う。あー、いいなぁ。気性の穏やかなのを選んでおこう。だったら伊豆とかも一緒に行けるな、と言ったら清子もその気になってきた。章子姉上が呆れている。まぁ、女性がそういう事するのあんまり喜ばない家が多いしな。ウチの家では少しずつできることを増やすのは大歓迎だよ。
帰ってお手紙。
山桜 薄く差したる 紅は
恥じらいたるか 恋しからむか
今宵も仲良く♡
翌日花見の話をしていたら、置いていかれた母上が拗ねた。後日もう一度、母上と弟妹五人を連れて平野神社に花見に行った。今度はちゃんと席に座れた四郎がご満悦だった。




