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宗盛記  作者: 常磐林蔵
第1章 覚醒、保元の乱

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宗盛記0012 久寿二年十月

十月になった。神無月。


祭りの月である。

前世では、十月になると家の周辺から獅子舞の囃子が聞こえてきた。新暦なんでひと月ずれるが。

俺の地元は日本一の獅子舞密集県で、他県から来たのでない地元の人間は多くが自治会とか氏子会とかで獅子舞に関わったことがある。九月頃から街ぐるみで練習が始まり、神社の例祭の前一週間は軽トラで各家庭を門付けしてまわる。何故か寺は関わらない。

宵宮と本祭の間はずっと神社で舞い続ける。お囃子は話し声が聞こえないほどに鳴り続ける。張子製の獅子は木の獅子より軽くて、途中交替もあるが一時間とか舞い続けられるのだ。

貰った謝礼は獅子の維持費と大人達の宴会に消えるが、曲打キョウクチと呼ばれる獅子をあやす役の子供達も小遣いやお菓子が貰えた。

この時代にもあるんだろうか。どっかで見れるといいな。ちなみに俺も囃子物の鐘なら叩ける。



手習いの方は、母上、六の君や女房達に加えて、老人の先生がつくようになった。

引退した内蔵大允くらのたいいんの六位官人だそうで、始め算数も教えてくれようとしたが、これは話にならなかった。

算盤そろばんも無いこの時代は、算木さんぎを並べて計算していくんだが、因数分解してから計算したりする俺の筆算の方が計算が早い。紙が高いので古い盆に砂を撒いて箸で筆算している。怪しくないようにアラビア数字の代わりに漢数字で筆算しているが慣れると問題ない。応用問題も方程式で解いちゃうし。

そらまぁ理系の大学生だからな。やれと言われれば大抵の式から微積分もできる。

三桁割る二桁の計算で、余り付きの答を出したあたりで、算数は終わりになった。僅か一日だった。

というか、筆算の仕方を教えて欲しそうにしている。とぼけ続けるが。

主に漢籍を教わる事にする。漢文久しぶりである。時々知っている詩が出てうれしい。

この時代は女性はほとんど漢文が読めない。なので女房や六の君には習えない。清少納言や紫式部は特殊な例だ。

「遺愛寺の鐘は枕をそばたてて聴き、香炉峰の雪は簾をかかげてみる」

「いくつかの詩のみ、スラスラお読みになりますな。どこがでお聞きになったこどが?」

「あ~、昔習いました」

「ほぉ」

「…ような夢を見たような気がします」

「ほぉ?」

疲れる。



湯たんぽの功績で、なにか欲しいものはないかと父上に聞かれた。作って欲しいものがあると、頼んでみる。図を付けて説明する。

「これはなんというものだ?」

「えーと、らんびき、だったかな」

「何をするものだ?」

「…あ~、何だったかな。すいませんいいです」

「作ってやる」

「父上…ありがとうございます」

言ってみるもんだ。できたのは下の土鍋で湯を沸かし、上側の高台のついた口の大きな急須のような部分から湯気を取り出す…まぁ、湯煎による簡単な蒸留器である。更にセットで銅の管を作ってもらう。叩いて平たくした銅板を芯を入れて巻いてタガネで切り、重なったところに錫を流して蝋付けして固定しただけ。穴を開けた桐の栓をジョイントにして、急須の口の部分に差し込んで使う。本来の三槽式の江戸時代のランビキとはかなり違うものだが、やることは一緒。密封度が高い分収率はこちらの方が良いだろう。冷却部は投げ込みのようにバネ状に整形したかったが、蝋付けの強度が怪しいのでゆるやかなU字に曲げただけで使うことにする。かさばるが仕方ない。途中曲げたあたりを角盥つのだらいに入れた冷水の中を通して、出てきた蒸気を液化する。

これは急務だったので怪しさ満点だが作ってもらった。

なんせ戦争が近い。できたアルコールは、家族や家人けにんの命を救うかもしれん。

蒸留酒が我が国に入ってくるのはのは戦国時代の沖縄からだったかな。ウチでは歴史を四百年近く飛ばすことになるが、きっと中国では既にできているだろう。だから輸入品だと思われて歴史に与える影響は少ない。…よね?

できるだけ秘匿しよう。

この月は暇な時間は酒の蒸留の試験。父上から材料の酒の使用許可を貰えたこともあって、最後には相当強いアルコールが作れた。多分ウィスキーより強い。蒸発させて残った液体の量で最初の濃度を調べてみたら、大体70%位あった。目標値をクリア。



十月は暦の上では冬である。なのに都の紅葉はこの月に入ってから。なんで紅葉は秋のことなんだろうと尋ねてみたが、六の君にもわからないらしい。


清水きよみずの紅葉が見頃だというので、一族で紅葉狩り。妊娠中の母上は大事を取って家に残る。父上に兄上達、叔父上達とその嫁の叔母上達、四郎、今日はなぜか六の君も一緒だ。母上と話がついているらしい。伴と護衛が数十人ほど。

家からはかなり近いので歩く。半里ない位。六の君は汗袗かざみ切袴きりばかまが可愛い。今日は明るくなるグラデーションの赤に一番下がオレンジのコーデ。かさねの色目の名は朽葉くちば

五条通りから清水道をそのまま進まずに、ちょっと北に回り込んで八坂通を東に進み、法観寺の塔を横に坂を登る。もしかしたら、初めて見るであろう俺へのサービスかもしれん。父上の。

東山を背にした八坂の塔を見た時は、ホント懐かしくてちょっと泣けた。周囲は民家でなくて塔頭たっちゅうだったが。

塔をすぎると後世の産寧坂さんねいざか。この辺、ぎっしり僧房そうぼうが並ぶ。七味屋は無い。陶器屋も八ツ橋屋も無い。ここでコケたら不吉すぎるが、そんな迷信もまだない。でも麦湯を容れた瓢箪は持ってきた。


清水寺の門や建物はなんか前世で見たのと感じが違うが、舞台は少し小さいながらもできていた。懸崖けんがい造り、或いはかけ造り。崖なんかの急傾斜地に建物を建てる方法。

三本に別れていない音羽の滝で水を汲んで手と口を清め、舞台に上がってお堂の内陣まで入って参拝。十一面観世音菩薩は秘仏だけど御前立おまえだちは拝める。

建物に感動する。舞台の脚部をずっと見ていたい俺だが六の君に引っ張っていかれた。

あらかじめ告げてあったのか、軽い食事は寺が出してくれた。やっぱり京都観光はまず清水だよなぁ。


本堂を離れて地主神社にも行ってみる。ここもまだ縁結びの神社ではなくて、単なる鎮守社のようだ。ハートの絵馬も掛かってなかった。まぁこの時代は生きている馬を納めたりするんだが。

「ここの神様は縁結びに霊験があるんだ」

「へぇ?聞いたことないけど」

「きっといずれこの国有数の名高い縁結びの社になるよ」

「何よそれ」

六の君は全く信じては無いようだがちゃんと二人で良縁をお祈りした。紅葉が綺麗だった。




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