第二十五話 決戦の日
「起きなかったら置いて行くところだったよ」
「我は正直諦めていた」
前日に決めた起床時間の2分前にのそのそと起き出してきたヴィクターを迎えたのは、ルーノとシアルの辛辣な言葉だった。二人の手元に置かれているティーカップは既に空で、自分が起きるより随分前から二人が起きていたことがわかる。正直起きられる自信のなかったヴィクターは、二人の言葉が現実にならなかったことにほっと胸を撫で下ろした。
「今日くらいは流石に、ふわぁ……。起きるよぉ」
「君、いつもそう言ってるけど」
それはそれは見事に図星を突かれたヴィクターは押し黙ってしまう。そんな彼を横目にルーノは茶器を片付け始めた。今からヴィクターの分を用意してやるつもりはないらしい。時間がないのだから当然と言えば当然だが、予め用意されていなかったあたり本当に起きてくると思われていなかったのだろう。
「ほら、寝ぼけてないで早く支度して。出発は早いに越したことはないんだ」
「もう貴様待ちだぞ」
その言葉通り二人はもう身支度を済ませていた。ルーノに至ってはもうテントも解体している。今すぐにでも出発したいという思いがひしひしと感じられ、流石のヴィクターも口答えすらしなかった。
「本当に急ぐよ。1時間以内には」
「30分」
有無を言わさぬ圧力に、ヴィクターは頷くことしかできなかった。
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「ルーノちゃん」
「いるね。思ったより早い。……周到なやつ」
ラクリマ遺跡までの残り距離が5キロを切った時、何かの気配を感じ取ったのか、ルーノとヴィクターの表情が少し険しくなる。二人の口ぶりからするに、恐らくギールの一味が待ち伏せをしているのだとシアルも察することができた。
「5人か。ヴィクター、やれる?」
「『虚空至鎌』」
返事代わりにヴィクターが魔術を発動すると、風の刃が遥か遠くの茂みの方まで高速で飛んでいく。悲鳴と血飛沫が3つ上がった。
「ごめん、勘づかれた。多分2人は魔術師だ!」
「なら防御の準備。反撃は私がする」
ルーノの言葉が終わるか否かというところでヴィクターは防御魔術を展開。数秒遅れて炎と礫が一行めがけて飛来した。が、それらは全てヴィクターの貼った障壁により阻まれる。衝撃音が鼓膜を震わせた。
「ディア、気にせず走って」
あろうことかルーノは高速で駆けるディアから飛び降りた。華麗な体捌きで難なく着地に成功し、勢いを利用して右足を軸に一回転。右手はヴォーティガンに添えられていた。
「しっ」
回転に合わせ剣を振り抜く。魔剣に込められた遠隔攻撃が発動し、ルーノの目の前に生えていた背の高い草が剣風に乗って宙を舞った。ほぼ同時にその直線上に潜んでいたならず者にも斬撃が飛来する。もっとも、男がその事実を認識したのは自分の胴体と首が泣き別れになってからだったが。空の青に血の赤、草の緑が恐ろしく鮮やかな色彩を描き出す。
「はぁっ!」
ルーノの攻撃はまだ終わっていない。足を撓め、前方へ大きく跳躍。その先には主人の言いつけを守り駆け続けるディアの姿があった。ディアは速度を落としていないにも関わらず、両者の距離は瞬く間に縮まっていく。もう少しでディアの背を捉えられる距離になったところでルーノは再度、今度は空中でヴォーティガンを振り抜いた。斬撃の着地点には今まさに魔術の詠唱を終えようとしていたもう一人のならず者の姿。
「ぐあっ!?」
だがその魔術が発動することはなく、彼の口から代わりに発せられたのは短くも野太い断末魔だった。ばたりと倒れ込む様を見ることもせず、ルーノは何事もなかったかのようにディアの背に戻っていた。
「……は?」
あまりにも人間離れしたその芸当にシアルは素っ頓狂な声をあげてしまう。曲芸か何かを見ていた気分だ。いや、そもそも。人間は走っている馬に跳躍一つで追いつけるものなのか。
「恐らく伏兵はまだいる。警戒は怠らないで」
「うん。探知範囲を広げるよ」
命のやりとりを終えた直後とは思えない冷静さの二人を見て、改めてその規格外っぷりをシアルは強く認識した。戦闘に参加していない自分の方が緊張しているかもしれない。
「伏兵を配置したということは恐らく、本隊もそう遠く遠くない場所にいるはず。急ごう」
――――――――――――――――――――
「くっ、キリがない……!」
「だいぶバテてきたんじゃねえか、騎士サマよォ!」
ルーノの読みは半分当たっていた。彼女たちから馬で10分ほどの距離には、ギールをはじめとしたおよそ50名のならず者たちの姿がある。彼女の予想と違うのは、一味が既に戦闘に入っていること。
「戦力の半分を待ち伏せに割いた。身軽になった分行軍速度が上がるって寸法だ。さァ、果たして間に合うかな、『剣姫』!」
得意げに叫ぶギールの髭面には余裕の表情が浮かんでいた。今目の前にいる狼の獣人ではなくルーノに意識を向けているあたり、彼は勝利を信じて疑っていないのだろう。
「アドルフ……!」
物陰からこちらを伺うソルマリアの悲痛な声に反応する余裕も今のアドルフにはない。いくら獣人の身体能力が優れていると言っても、あまりにも多勢に無勢だった。地面に倒れているならず者の数はゆうに20を超えているが、彼らの攻撃の手が緩む様子はない。仲間の死体を踏みつけてでも苛烈な波状攻撃を仕掛けてくる。
「く、そ……!」
複数人を一度に斬り捨てるのは難しいと判断し、飛びかかってきた2人を大剣で横殴りにし吹き飛ばす。戦線への復帰には時間がかかるはずだ。生まれたほんのわずかな時間、アドルフはこの状況の打開策を見出すべく思考を巡らせる。先ほどギールは『剣姫』と口走っていたが、その人物が本当に来るとしてもそれまで持ち堪えられるか、そもそも自分たちの味方なのかもわからない以上は勝算には組み込めない。独力でソルマリアを護る手段はひとつしか思いつかなかった。
「……姫様、逃げてください。それだけの時間は必ず生み出します」
「っ、アドルフ、それは」
ソルマリアもアドルフの意図するものに心当たったようで、ただでさえ強張っていた顔が瞬時に青ざめる。もしその選択をすれば、確かに自分1人が逃げられるくらいの時間は稼ぐことができるかもしれない。だが、アドルフは間違いなく助からないだろう。
「貴女が無事ならっ、ぐ……。本望です!」
気づけば敵の攻撃は再開していた。何人もの攻撃を大剣ひとつで捌きながら、アドルフはやっとの思いで言葉を紡ぐ。先ほどから会話をする隙すらろくに与えられない。
「私はいや!1人で逃げるくらいなら、私も……!」
足を震わせながらもソルマリアは毅然と前を、50を超えるならず者たちの方を見つめる。その小さな立ち姿からは確かに人の上に立つ者の片鱗が感じられた。こうなった彼女は自分の意見を決して曲げない。それを誰よりも知っているアドルフは小さく首を振り、同じく敵陣を睨みつけた。
「安心しろ、姫様は殺さねェからよ。もっとも、今ここで死んだ方がマシかもしれんがな」
「……下衆め」
無表情に僅かに怒りを滲ませ、今度はアドルフが自分から攻撃を仕掛けた。面食らったならず者たちの連携が一瞬乱れ、敵の隊列に綻びが生まれる。好機と判断したアドルフは一気に敵陣深くへ。ギールを目の前に捉えたと思った次の瞬間、先ほどまで誰もいなかったはずのギールの背後から猛烈な殺気を感じ取った。咄嗟に防御の構えに映るが、恐らく間に合わない。迫り来る刃の動きが妙に緩慢に見えた。
「っぱ、保険はかけとくべ……きっ!?」
その時、ギィン!と。鳴るはずのない金属音が響いた。次いで巨大な力が地面を打つ音。ゆっくりと流れる視界の中、アドルフは自分に振り下ろされた刃が空中で何かにぶつかったかのように軌道を変えたことを認識していた。
「私もそう思うよ、ギール」
戦場に響いたのは、鈴を転がすようなアルトの声。声の方向には深紅のフードを目深に被った少女の姿があった。
「来たか、『剣姫』ィ!」
「間に合ってよかった。もう大丈夫」
その時、強い風が吹いた。ルーノのフードがばさりとはだける。顕になった美貌には強い決意が滲んでいた。口元はきつく結ばれ、凛とした瞳は真っ直ぐ前を向いている。そして、彼女の頭頂部には―。
「助けに来たよ、ソルマリア」
獣の耳が生えていた。




