第二十二話 芝居
「おはよう、シアル。あのあとはよく眠れた?」
シアルが目を覚ましテントから出ると、焚き火のそばで優雅に紅茶を楽しんでいるルーノが声をかけてきた。一晩中見張りをしていたはずなのに疲れた様子はまるでない。未だに大いびきをかいて寝こけているヴィクターとは大違いだと、シアルは尊敬の念と呆れを同時に覚えた。
「……ああ。昨夜は迷惑をかけた」
自分に向けられた鋭い視線にいたたまれなくなったのか頭を下げるシアル。対するルーノは小さく頷くのみだった。感情の読み取れない仕草にシアルは一抹の不安を覚える。
「迷惑だと思ってないよ」
そんなシアルへと言葉少なに返し、ルーノは空いている椅子へ目線をやってシアルも座るように促した。見れば椅子の前には湯気を立てるカップがひとつ置かれている。自分が起きたことを察したルーノがあらかじめ用意してくれたものだと気づき、シアルはこんなに優しく接してくれている彼女が怒っているのではないかと疑っていた自分の愚かさを恥じた。
「恩に着る」
謝罪の意も込めて頭を下げ、椅子を引いたシアルは腰掛ける。昨夜あのような醜態を晒した時には咎めるどころか見張りを代わってくれ、その上今は眠気覚ましの紅茶まで用意してくれた。これまで耳にしていた彼女にまつわる世論からは想像もつかない優しさこそがきっと彼女の本質なのだろうと思考を巡らせていると、ルーノがこちらを見もせずに呟いた。
「喋り方」
「っ」
短いが鋭すぎる指摘にシアルは動揺が隠せなかった。きっと今自分は酷い顔をしているだろう。そうでなければこちらを見るルーノの目が訝しげに細められた理由に説明がつかない。もっともそんな変化があったのはほんの一瞬で、次の言葉を発する前には彼女はすぐにいつもの無表情に戻っていた。
「好きな方でいいから」
一体何を言われるかと身構えていたシアルの耳に届いたのは、彼の予想を裏切る優しい言葉だった。さっぱりとしているが優しいルーノの態度は、冬の朝の冷たいけれど澄みきった心地よい空気を彷彿とさせる。そこまで考えたところで、四季の中で冬が一番好きなシアルは今自身がルーノを冬に例えたことに驚きを覚えた。自分はそこまで眼前の少女に好意的な感情を抱いていたのか。
「下手な芝居は辞めろと言われるかと」
努めて平静を装って自分の中のらしくない思考を振り払う。上手く取り繕えていた自信はないが、幸いにも追及されることはなかった。
「本性を見せた後でも貫くんだから理由があるんでしょ?……まあ確かに、上手だとは思わないけど」
ルーノにしては珍しい小声で付け加えられた後半部分は残念ながらしっかりとシアルの耳に届き、彼の心に少々の傷を与えた。雑音が欲しいこんな時に限ってヴィクターのいびきが止まっていたことを恨めしく思う。
「うるさい!」
せっかく元通りに取り繕えていた口調を再び乱してシアルは抗議した。ルーノとしてもこれ以上追及するつもりは無かったのか、この話はここまでと言わんばかりに小さく頷いて、視線をシアルの前に置かれた湯気の立つカップへやる。
「紅茶、飲まないの?冷めるよ」
「……いただこう」
渡りに船だと、三たび口調を整えたシアルはまだ彼にとっての適温とは言い難い紅茶に口をつけた。熱さで口内が少し痺れるが、それでも損なわれない芳醇な香り。昨夜振る舞われたアールグレイとは別の種類なのだろう。少し渋みが強いが、その渋みがまだ薄らと体を支配する眠気を取り除いてくれた。
「美味だ」
「それは何より。さあ、朝食にしようか。私はヴィクターを起こしてくる」
ルーノはヴィクターの眠るテントへ。彼女がテントに入ってからも数秒は大きないびきが聞こえていたが、何か鈍い音が聞こえた瞬間から辺りは静かになった。3分後、テントから出てきたルーノの表情は心なしか不機嫌そうで、その後に続くヴィクターは何故か下腹部を押さえている。
「おはよう、シアル。いてて」
まさか、ルーノが怒りに任せてヴィクターを殴って起こしたのだろうか?それは流石にやりすぎなのでは、そんな思考がシアルの脳裏をよぎったが、続くヴィクターの言葉が即座にそれをかき消した。
「まさか朝から本の下敷きになるなんて、ついてない……」
「君はいい加減に整理を覚えたら?」
二人の会話から察するに、どうやらテントの中に積まれていた本の山が崩れてヴィクターに襲いかかったようだ。不幸と言うべきか間抜けと言うべきかの判別はつかないが、自分がヴィクターに対する呆れを覚えていることは明確だった。
「毎日片付けるの面倒なんだよお」
「ならそもそも出さなければいいのではないか?」
ルーノが何も言うまいと目を伏せたが、彼女と違ってヴィクターの奇行を看過できなかったシアルの口をついて出たのは当然の疑問だった。事実昨夜ヴィクターは積み上げた本に一切手をつけることなく眠りについており、用意されるだけされて実際に目を通されることの無かった本たちはその無念から持ち主への体当たりを強行したのだろう。自由意志などないはずの本にさえ感情移入してしまうくらいヴィクターの行動は非合理的だった。
「……朝ごはん作ってくるよ」
指摘が図星だったようで、ヴィクターは反論もせずに肩を落とし焚き火の方へ向かっていく。数分後こちらへ戻ってきたヴィクターは、どこから取り出したのか見当もつかないような大皿を抱えていた。皿にはいい焼き色のついた薄切りの塩漬け肉と目玉焼きが山のように盛られている。皿はヴィクターの胸の辺りの高さにあるのに、彼の顔は料理に隠れて見えない。3人でこれほどの量を食べ切れるか一瞬不安になるシアルだったが、昨夜のルーノの食事風景を思い出したことによりその不安は霧散する。だが同時に、今の思考がルーノに勘づかれていないかという別の恐怖に襲われることになってしまった。沈黙の中、ヴィクターがテーブルに皿を置くゴトンッという音が不気味なくらい反響しシアルは身震いする。
「いただきます」
だが幸いにも察されることはなかったようで、ルーノは手を合わせて食事を始めた。ほっと胸を撫で下ろしていると眼前の食べ物の山はみるみるうちに美しき侵略者の魔の手に落ちていく。このままではすぐに自分の分がなくなってしまうと、シアルは慌てて小山へ手を伸ばした。
「よーし、僕も食べ……。たかったんだけどなあ」
その結果。調理器具を片付けるために一瞬席を外していたヴィクターが帰って来た時には、彼の取り分はほとんど残されていなかった。ルーノはともかく、シアルの食べる量が意外と多かったことが誤算だったとヴィクターは猛省する。しかし、どれだけ悔いても彼の朝食はもう二度と戻ってこない。ぐるる、と切ない音がヴィクターの腹部から響いた。
「そろそろ出発だ、片付けよう。シアルは机を、君は本を」
「はい……」
かなり大きな音が鳴ったはずなのだがこんな時に限って耳の調子が悪くなったのか、シアルはともかくルーノさえもヴィクターの腹の虫の訴えに耳を貸さない。てきぱきと出された次の指示にヴィクターは肩を落としながらも従順に従うようで、テントの方向へと向かっていく。あの山積みの本を片付けるのは骨が折れそうだ、手伝うべきかとシアルが悩んでいると魔術で本を浮かせたヴィクターがテントから出てきた。なぜ持ち込む時もそうしなかったのか甚だ疑問だが、手っ取り早く準備ができるに越したことはない。シアルも急いで自分の荷物をまとめるのだった。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
楽しんで頂けていれば作者冥利に尽きます。
不遇さって可愛さだと思うんですよね。




