21話
「……ん……ぶぇくしょん!」
寒ッ……。布団に入っていたはずなのに、なんだこの容赦ない隙間風は……。
重い瞼を開けてみても、視界に飛び込んでくるのは一寸先をも見通せないほどの闇、ただそれだけだった。
それにしても、暗過ぎやしないか……
状況を把握しようと、まずは目元に手をやろうとしたが――動かない。
両腕に思い切り力を込めてみるが、どうやら硬く頑丈な縄でグルグル巻きに縛り上げられており、満足に動かすことができなかった。
あぁ……これはもしかすると、もしかするな。
つまり、そういうことだ。
――誘拐されたか。
メアリーという最大のセキュリティが不在のタイミングを狙って拉致されるとは、なんともついていない。
いや、偶然にしては出来すぎている。もしかすると、彼女の留守を正確に割り出してこのタイミングを狙っていた計画的犯行ということか……。
それにしても、ここまで固執して俺を誘拐しようとするのには、いったいどんな裏の訳があるのだろうか。
などと呑気に考えていたその時、俺がさきほど盛大にかました馬鹿でかいくしゃみのせいで、少し離れた場所で酒盛りをしていた男たちの談笑がピタリと止まった。
次の瞬間、ガチャリと古びた扉が開く音がして、荒々しい足音が近づいてくる。
「おい、坊ちゃん、目が覚めたんだなぁ…?」
酒の匂いを漂わせた男に、俺はすかさず声を震わせた。
「ここは……どこですか……?」
「教えねぇよ。大人しく黙ってねぇと、痛い目にあうぞ」
しかし、ここで黙っているような軟弱な三歳児ではない。生き残るためには使える手札は何でも使うべきだ。
「嫌だぁぁ……母上……!! 父上……!! メアリー……!! 助けてぇ……っ!」
ここで大声で泣き喚いて、誰か――あわよくば通りすがりの人に気がついてもらえれば、救助を呼んでくれるかもしれない……!
「うるせぇ、黙れって言ってんだろ!」
――ガツンッ!
突然、みぞおちに強烈な衝撃が走り、体が軽々と宙を舞って冷たい壁へと激しく吹き飛ばされた。
「ぐはっ……! くそっ、痛い…っ。ん……?」
あれ……? 痛くない。
いや、衝撃はあったはずだが、なんだか思った以上にこの男、手加減してくれているのか…?
いくら子どもが喚き散らしているとはいえ、本気で痛めつけるのはプロの悪党としても気が引けるものなのだろうか。
「はぁ、さっき賭けの勝負で負けたせいで、どうにもむしゃくしゃしてらぁ。……よし、この際だ。憂さ晴らしにおめぇをボコボコに殴ってやるか……!」
男は指をポキポキと不気味に鳴らしながら、足音を立ててこちらへと歩み寄ってきた。
――なるほど
これはもしかして、他の仲間が手を出さない様に徹底して悪役をしてくれているのか、流石に俺もこのロールプレイに乗らずにはいられない‼︎
「やめてください……ヒック……やめっ……ぐぅっ!」
あふれ出る涙を演出し、鼻水を垂らしながら、俺は全力で「怯える幼子」の迫真の演技をかました。
……
……
……
それからしばらくの間、何度も殴られたり吹っ飛ばされたりしたものの、不思議と致命的なダメージ自体は一切なかった。
なんだろう、まるで「手加減して叩いてくれている優しいお父さん」と遊んでいるような、そんな奇妙な感覚すら覚える。
この誘拐犯、なんでこんなに優しいんだ……。
「ヒック……ヒックッ……もう、やめてください……ごめんなさい……」
俺も、彼のプロ意識に応えるべく、精一杯の涙声でアンサーを返す。
「はぁー、スッキリしたぁ……!」
しばらくサンドバッグ代わりに殴り続けたことで満足したのか、男はすっきりした顔で踵を返した。
去り際、彼は向こうの暗がりで控えている仲間に向かって、なぜか楽しそうにこんなことを語りかけていた。
「いやぁ、やっぱサンドバッグ用の奴隷でも一匹買っといた方がいいんじゃねぇか……?」
ガチャリ。
重い扉が閉まる音が響く。
――さすが、心優しき悪党だ。
自分のストレス発散を兼ねて暴力を振るいつつ、なぜか俺の縛られていた縄は絶妙な力加減でほどけかけており、目隠しの布もズリ落ちて外れかかっている。
まさか、殴り飛ばしたり蹴り飛ばしたりする物理的な衝撃を利用して、わざわざ俺の拘束を緩め、目隠しまで外そうとしてくれていたとは……!
こんなにも子供に優しい悪党がいるものか。まるでダークヒーローのようじゃないか。
なんだか、少しだけ憧れちゃうぞ…
すっかり自由になった手で目隠しを完全に外し、周囲を見回してみると、どうやらここは人気のない古びた倉庫のようだった。目の前には固く閉ざされた扉と、手の届かない高い位置にある鉄格子から、まばゆい朝日が差し込んでいる。
と、その時、扉の向こうの部屋から、なにやら聞き捨てならない重要な会話が漏れ聞こえてきた。
「マスターもよくやるよなぁ……まさか、ターゲットの屋敷に2年も潜入し続けてるとはさ」
「全くだぜ。まさか、あの大物の息子を完璧に掠め取ってくるとか、さすが俺たちのボスだよな」
「そういや、そのマスターはどうしたんだ……?」
「部屋で寝てるよ。誘拐の時に随分と面倒な魔法を使ったから、魔力切れでぶっ倒れて休んでるんだとよ」
「そうなのかよ。じゃあ、ボスに気兼ねすることなく、俺たちはまだ朝まで飲み続けられるなァおい!」
「金づるも無事に手に入れたことだし、今日はとことん飲み潰れようぜ――!!」
――なるほど。
つまり、「今が最大のチャンスだから、この隙に自力で脱出しろ」というお膳立てってやつか……!
本当に、出来すぎた親切な悪党だぜ……!!
俺はそっと息を潜めると、低く呪文を唱えた。
「『ウォーターボール』……からの、形状変化・鼠――ッ!」
「チュウ……?」
小さな水で作られたネズミが、俺の足元にポトリと落ちる。
「俺の体を縛っている、この残りの縄を噛み切ってくれ」
「チュウッ!!」
頼もしい水造のネズミは、鋭い前歯で俺を縛り上げていたロープをみるみるうちに噛み切ってくれた。
自由の身になった俺は、すぐさま高い位置にある鉄格子へと視線を向けた。
「さて……この厄介な鉄格子はどうしたものか……」
焼き切るか? いや、そんな派手な火魔法を使ったら、せっかくここまで時間を稼いでくれた「優しい悪党」の苦労が水泡に帰してしまう。
あたりを見渡すと、そこは盗品や密輸品であろう大量の古い武器や、雑多な金属製の装飾品などが無造作に積み上げられていた。
……武器を使って叩き割るか。
いや、ダメだ。
鉄の格子を鉄の武器で強引に殴り叩く音なんて立てたら、せっかくの隠密行動が台無しだ。
いっそ、この鉄格子そのものがドロドロと溶けてなくなってくれればいいのに……。
溶ける、じゃなくて……「腐食させる」ならいけないか……
確か、はるか昔の前世、化学の授業でそんな項目を習った覚えがある。
――「電気分解」。
これを使って、鉄格子に意図的な「電蝕」を起こさせることはできないだろうか……
とにかく、通電性の高そうな金属を探さなければ。
倉庫の中をガチャガチャと漁っていると、隅の方に不気味に金色へと輝く一本の古い短剣が転がっていた。
「これなら、もしかいけるか……?」
物は試しだ。やってみる価値はある!
「『ウォーターボール』……形状変化・鼠――ッ!!」
再び生成した水のネズミに、その黄金の短剣をしっかりと持たせた。
『最適化スキルがアクティベート中です。』
脳内で機械的な起動音が響く。
頼む、《最適化》……!
「いっけぇ……『ライトニング・ボルト』……ッ!!」
自分の指先から、微弱かつ精密な雷撃を、短剣を持つネズミめがけて放った。
水と金属を伝って、鉄格子へとピンポイントで微弱な電流を流し込む。
イオンを動かせ……! 移動させるんだ……!
くそっ……! こんなにもミクロン単位で細かい魔力操作を行った経験なんてない。
魔力がうまく乗らない、それに散散らばる……っ!
「動かない……っ! いや、焦るな。こういう時こそ、トライ&エラーだ……もう少し……もう少しだけ出力の波形を整えろ……!」
わずかな誤差だが、試行錯誤を繰り返すうちに、魔力の通りが目に見えてスムーズになっていくのが分かった。
「最適化……っ! 頼む、もっと頑張ってくれ……!」
『最適化プロセスを執行します………
…
…
…電蝕を開始します。』
脳内にその冷徹なログが流れた瞬間、魔力が一気に流れ込み、鉄格子の接合部が音を立てて激しく酸化し始めた。
ジュジジジジッ……! と不気味な音を立てながら、頑丈だったはずの鉄格子がみるみるうちに赤錆に侵され、もろく崩れていく。
足場を整えて腐食した鉄格子に手をかけると、音もなくボロボロと赤錆の塊が崩れ落ちた。
「この隙間なら、十分に抜け出せる……!」
細い体をキュッと捻りながら、すんなりと窓の外へと身を滑らせる。
着地した外の景色を見渡すと、そこには薄汚れた雑居ビルや老朽化したアパートが密集した、スラム街のような街並みが広がっていた。
いつの間に、こんな辺鄙なところまで連れ出されていたんだ…。
周囲の様子を窺うと、まだ早朝の薄暗い時間帯ということもあり、通りを行き交う人はまばらだ。
しかし、悪党らが二日酔いの頭で目を覚まし、俺の脱走に気づくのは時間の問題だろう。
バレる前に、一刻も早くこの場から距離を取らなければならない。
俺は周囲の目を避けるように路地裏へと飛び込むと、全速力でその場を駆け抜けていくのだった。




