閑話 クロフツ叙事詩Ⅱ後篇 『聖剣と聖乙女』
致命の重傷を負ったクロフツは何も感じず、指先一つ動かせない。
クロフツは湖の底へと沈みながら、己の身体が徐々に全ての感覚を失っていくのを自覚していた。
痛みどころか、湖の冷たささえ感じない。
いや、身体感覚だけではない。
湖に沈む己の身体と同じように、思考も暗い闇の淵へと沈んでいくようだった。
……これが死
クロフツは内心で尚も苛立ちながら、舌打ちする。
(チッ……! これで仕舞いか…… まったくつまんねえ最期だったな)
湖の底に沈みいくほど、陽は届かずますます視界は閉じていく。
囚われたフィーナのことが何より気がかりだったが、何よりも信頼する部下たちが後は何とかしてくれるだろうとクロフツは考え、目を閉じようとした。
『勇猛なる者よ 何を諦めておるか 貴様はまだ滅する時ではない』
その時、心の内に何者かの声が響いてきた。
驚いてクロフツは真っ暗な湖底を見回す。
数メートル先だろうか、淡い光の塊のようなものがまるでクロフツを見つめるように佇んでいた。
心の内でクロフツは返答する。
(……!? なんだぁ!? てめえは!?)
クロフツはさして驚くこともなく、「それ」を受け入れる。
その光が何者かであり、己に声をかけた超常であることを理解したのだ。
光はクロフツに応えた。
『私はこのアヴァロンそのもの 女神が最初に創った聖なるものがこの湖であり、つまり私である。精霊の王と思ってくれて構わない』
(知らねーよ。御伽話なんざ。えらそーだな! お前! おい、俺が滅する時じゃないとか抜かしてやがったな? そう言うなら、てめー、俺を助けやがれ!)
淡いその光は瞬くと、まるで呆れるように返事をよこした。
『……なんと不遜な男だ この状況で命乞いしない人間などお前くらいだろう』
(うるせー!!! さっさとこの傷を直せ! そしたら、あのクソ龍の全てをぶち壊してやる!)
『……なんとまあ 呆れた男だ…… だが全くの歪みのなさ、やはり気に入ったぞ。治してやるからあの龍を殺せ。ついでに手土産をくれてやる』
(あぁ? なんだと? なんでもいいが、早く助けやがれ!)
ますます不遜に応えるクロフツに、アヴァロンと名乗る光は宥めるように応えた。
『そう慌てるな。話を聞け。あの娘は精霊の加護により産まれたハイエルフの血を濃く受け継ぎし聖女。それを傷つけようとするあの龍は生かしてはおけん。貴様には是非あの龍を殺してもらいたい。まず、このアヴァロンと契約を結べ。そうすれば、全て貴様の思う通りになるだろう』
アヴァロンはフィーナを脅かす邪竜に怒っているようだった。
また、それが彼女を守ろうとするクロフツに目を止めた理由の一つでもあった。
(契約だぁ? )
『このアヴァロンと三つの約束をせよ。一つ、これより先、あらゆる神聖なものと敵対しないこと』
『二つ、貴様の力を私欲で奮わないこと』
『三つ、世の混沌を収めこの世界を救うこと』
光はクロフツを見つめるように、試すようにますます光を強めた。
『誓えるか? クロフツよ。さすれば貴様を勇者と認め、アヴァロンは貴様の力となろう』
クロフツは間髪入れず頷く。
(わかったぜ。承知したから、俺にアヴァロンとやらの力を与えやがれ!)
『……まったく不遜かつ、豪放磊落な男よ よし、貴様を認めよう』
アヴァロンが瞬くと、クロフツの身体が光に包まれ明滅し始めた。
『貴様にアヴァロンの加護を与える。世界と精霊をゆめ裏切ることなかれ』
クロフツは目を瞬きながら、己の身体を見つめる。
(……傷が治った しかもなんか暖かいオーラに包まれてやがる)
『これがアヴァロンの加護だ。おい待て、もう一つ、貴様には贈答品がある』
泳いで湖面へと上がろうとするクロフツは呼び止められ、顔を顰める。
(なんだぁ……? さっさとあのクソ龍をしばきにいきたいんだが?)
『そう手間はとらせん。貴様も気にいるはずだ。何しろ人界の兵装では、貴様に合う装備が無かったようだからな』
アヴァロンが言い終わらないうちに、クロフツの手元と全身が光で瞬いた。
クロフツが瞬く間に、全身には鎧が装着、手元には剣を手にしていた。
クロフツはしばらくそれらを見つめ、やがて理解する。
(……おい これがアレか)
『そうだ。貴様の求めていたものだ。どれだけ暴れようが、貴様にどこまでもついていくだろう』
クロフツは満足そうに笑うと、アヴァロンに手を振り、湖を泳ぎ始めた。
(そうか。じゃあな、おっさん。礼は言っとくぜ)
アヴァロンは瞬きながら、過ぎゆくクロフツを、まるでじっと見つめているようだった。
『不遜な勇者よ。いけ。全ての邪悪を打ち払え』
湖畔では、刀槍が龍の爪や皮膚とかち合う音と、騎士たちの怒号が響き渡る。
円卓騎士団は、リーダーであるクロフツの仇を討たんと、邪竜に猛攻を仕掛けていた。
しかし、余裕さえ見せながら邪竜は高笑いする。
「フハハハハハ!!! 無駄だ! 無駄だ! 貴様らも精強な戦士のようだが、この私を倒すには至らぬ! あの小僧が死んだ以上貴様らに勝ち目はない!」
ガーランドは顔を紅潮させながら、怒りのままに槍を振り回すが、龍には空を飛ばれ難なく回避される。
「うるせー!!! 黙れ! クソ龍野郎! テメーは絶対殺す!」
リーグスノーは、弓に矢を番え邪竜へと狙いを定める。
「我が友のために貴様に一矢報いん」
特殊な鋼で鋳た矢がヒュンと音を立てて、空を飛ぶが、龍の爪で撃ち落とされる。
ギリアムは歯噛みをしながら、邪竜の手元のフィーナを見つめる。
「汚い手を使いやがって! おい! その娘をはなせ!」
フィーナは依然、邪竜の手に囚われたままである。
フィーナを巻き添えにするわけにいかず、騎士たちは思い切った攻撃を仕掛けることが出来ない。
邪竜はニィと笑みを浮かべ、嘲笑う。
「愚かな人間ども。貴様らごときの言葉に耳を貸すと思うか?」
掴まれたままのフィーナがもがきながら、龍を罵倒した。
「卑怯よ! 負けそうになったからって、こんな手を使って恥ずかしくないの?! 龍のくせに! この卑劣漢!」
邪竜は手元のフィーナを睨み、フンとため息を吐く。
「フン! 顔はいいが生意気な娘だ! 後で愛でてやるから黙っておれい!」
ますます強く握られ、フィーナは悔しさと、クロフツをやられた怒りで涙を滲ませる。
「……くっ! 痛い……! このっ! よくもクロフツさまを!」
「ハハハハハハハハ!!! バカな娘! そしてバカな騎士ども! そろそろ1人ずつブチ殺してやる!」
そう言うと邪竜は空から炎を吐いた。
騎士たちは、各々、回避や防御に徹し何とか炎をやり過ごす。
そして、地に降り立った邪竜を睨んだ。
「……フィーナさんが盾になって迂闊に攻撃出来ないぞ」
「くそっ! 汚い龍め!」
肩をわなわなと震わせ、ガーランドは槍を構える。
「……クロフツやられてんだ! 俺は何があろうと龍を殺すぞ!」
ギリアムも槍を掴み一振りすると、兄の横へと並ぶ。
「兄者ぁぁぁぁ! 俺も続くぜ!」
逸る兄弟を嗜めるのはリーグスノーだ。
「落ち着け! ガーランド! ギリアム! クロフツだってまだ死んだとは決まっていない!」
邪竜は笑いながら、地面を踏み鳴らす。
「フハハハハ! 愚かな人間ども! 鬱陶しい貴様らのリーダーは私が心臓を噛みちぎってやった! 生きてる訳がなかろう! バカめ!」
その時だった。
湖から鈍い轟音と共に、水柱が上がった。
邪竜も騎士も驚いて湖の方を見つめる。
「……な、なんだぁ!?」
水柱から何かが飛び出る。
そして、陽に照らされた白銀の「何か」が、まるで鳥のように空を飛び跳ね、あっという間に邪竜の間合いに入ると、龍の片腕が千切れ、赤い血飛沫が舞った。
「ギャアアァァァァァァァァ!?!?」
龍の手に掴まれていないことに気づいたフィーナは、代わって誰かの腕に抱えられていることに気付き、顔を上げる。
「え? あ…… クロフツさま!!!」
それは新たな白銀の鎧を纏ったクロフツだった。
クロフツは、にっと微笑み、フィーナを地へと下ろすと、邪竜を睨んだ。
「フィーナ。悪かったな。さっさとゴミは掃除すっから」
そして、絶叫する邪竜を睨む。
邪竜は恐れと怒りの入り混じった感情で、無くなった片腕を抑え、クロフツを認めた。
「小僧ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!?? なぜ生きているうううう!?!?」
フィーナはクロフツの真っさらな装備を見つめながら、驚きと共に尋ねる。
「……クロフツさま! 傷は!? 大丈夫なの!?」
「なんてことねえよ。ヘビに噛まれたようなもんさ」
無傷の様子のクロフツを見ながら、フィーナは呆気に取られる。
「……信じられない あんなに血が吹き出てたのに……」
「ま、色々あったんだよ。じゃあ後でな、フィーナ」
「クロフツさま……!」
そう言って手を振ると、部下たちにフィーナを預けた。
そして、円卓騎士団を一瞥すると一声かける。
「おい、フィーナを頼んだぞ、お前ら」
より唖然としているのは円卓騎士団であった。
確かにクロフツが致命傷を受けたのをこの目で見たのだ。
ガーランドは歓喜に震えながら、叫ぶ。
「大将ぉーーー!!! おい! 大丈夫なのかよ!?」
普段冷静なリーグスノーでさえ、驚いているようだった。
「無事でしたか! クロフツ殿! 龍に噛まれた傷は……」
そして、ギリアムは驚きと歓喜に震えながら、クロフツの装備に気付く。
「団長! その装備は……! まさか……」
鈍く光る鎧と、鞘に収められる前に一瞬見えた美しい刀身は、まるで伝承通りの武具だった。
クロフツがアヴァロンから受け取った装備、『聖剣ザヴィネヴァーン』『聖鎧アダマンティリア』。
生まれ持っての膂力と格闘センスに加え、聖なる武装をアヴァロンから与えられ、クロフツの戦力は桁違いに跳ね上がっていた。
クロフツは笑いながら、面倒そうに部下たちに応える。
「ああ、ああ。いっぺんに聞くなよ、お前ら。後で答えてやっから。まずはあそこのカスを掃除するから待ってろ」
「……仰せのままに 騎士団長閣下」
一斉に跪く部下たちを背に、クロフツは無造作に邪竜へと歩みを進めた。
斬られた片腕から血を流しながら、邪竜はクロフツを睨み激昂する。
「おのれぇぇぇぇぇぇ!!! ゆるさんぞ! クソガキ!!! よくも! よくも私の腕をぉぉぉぉぉ!!!」
クロフツは抜刀し、切先を邪竜へ向ける。
その刀身はまるで月のように美しく、流れる水のようだ。
「うるせえよ、クソヘビ。今、料理してやる」
憤激しながら、邪竜は息を吸い込んだ。
「クソガキィィィィィィ!!! 今度こそ殺してやる!!!」
放射された炎をクロフツは舞うように跳ねてかわす。
「無理だなあ。お前には無理だ。到底な」
邪竜はクロフツを追うように炎を吐き続けるが、一向に当たる気がしない。
「だまれぇぇぇぇぇ!!! この龍を! どこまでもバカにしよってぇぇぇ!!!」
やがて炎の勢いが尽きた隙に、クロフツは邪竜へと迫った。
「うるせえよ、カス」
流星のような斬撃が奔ったと思うと、邪竜の喉元から真っ赤な血飛沫が勢いよく噴射する。
「……ガッ!? ぐぁぁぁぁぁ!?!?」
地をのたうち回る邪竜を睨み、クロフツは刃を向ける。
「まーだ生きてるか。おい、大人しくしてればすぐに首を撥ねてやる」
息を切らせながら、漸く立ち上がった邪竜は怒りと恐れに震えながらクロフツを睨んだ。
「……ぐっ! ち、チクショォォォォォ!!! まさか! こんな小僧にこの私が!!!」
「龍のくせに知らなかったか? 戦ってのは『そんなまさか』の連続だぜ」
邪竜はもはや敵わぬと見たか、大声で吠えると翼を羽ばたかせ、空を飛び逃げ始めた。
そして、視界の端に映るクラムベリー村を見つめ苛立ちを募らせた。
「く、屈辱だ!!! この私があんなクソガキなんぞに! せ、せめてっ!!! あの村を滅ぼしてくれる!!!」
しかし、邪竜の背に何かの重量がのしかかり、彼にとって忌々しい声が聞こえてきた。
「おい」
「!?!? ヒィィィィィィィィ!?!?」
邪竜は恐怖と共に絶叫した。
クロフツがその背に飛び乗ってきたのだった。
クロフツは冷たい声で聖剣を構える。
「見苦しいぞ、今すぐくたばれ」
「……アァァァァァァァァ!?」
神々しく光り始める聖剣を見て、邪竜は悲鳴を上げ続けるが、構わずクロフツは聖剣を大上段に振りかぶった。
「その真名を解放し、邪悪なるものを滅せよ。我はただ正義の為に戦うことを精霊に誓う」
クロフツが振り被る聖剣に、眩いばかりの光が収束し始める。
そして、クロフツは聖剣の真名を唱えると共に振り下ろす。
「『希望と白明に昇る天聖』」
聖剣の真名が解放されると共に、刀身が天にまで達するような白銀の光を放ち、邪竜は塵一つ残すことなく消え去った。
クロフツは聖鎧の加護により、空を浮遊しながら、与えられたばかりの装備を満足そうに見つめた。
「いいね。俺に相応しい剣と鎧だ」
地から手を振る、フィーナが見え、クロフツはゆっくりと地へと降り立った。
「クロフツさまぁ!!!」
駆け寄ってくるフィーナはクロフツの胸に飛び込み、クロフツはフィーナの身体を受け止めた。




