第21話:そして、これからの話を
――フレイアが亡くなった。
けれど、彼女が起こした災禍の爪痕は消えた訳ではない。生き残った者達はフィネッサとアルレオの指示もあって、誰一人争う事なく後始末に追われた。
後始末も終わり、一段落が着いた後に眠り続けている者がいる。それはフィネッサだった。彼女はフレイアが燃え尽きた後、生存者の保護に奔走していた。一段落がついた所で精根尽き果てたようにもう数日も眠っている。
私はフィネッサの傍に控えて、彼女の眠りを守っていた。一応、魔力さえあれば半龍人の姿を維持出来るけれど、最小の魔力だとまた蛇……いえ、龍の姿に戻ってしまうみたい。
その自分の姿を鏡で見たけれど、もう白蛇ではなかった。白だった鱗は僅かに青みを帯びて、以前はなかった角も小型の姿の時でもはっきりと突き出ていた。
今日も目覚めぬフィネッサの傍に控えていると、ノックの音が聞こえた。そのノックの音を確認してから私は半龍人の姿へと変化する。
「どうぞ」
中に入って来たのは――陛下だった。続くようにしてイグルとピスキス伯爵、そしてアルレオまで揃って入って来た。思わぬ顔ぶれに目を丸くしてしまう。
「――ラーナ、なのか?」
私の姿を見た陛下の目は驚きに見開かれ、震える声で私の名前を呼んだ。私は陛下に向き直り、一礼をする。
人に変化した時に纏う衣服は鱗が変化したものなのか、僅かに青みを帯びた異国風のドレスみたいな格好だ。その裾を持ち上げるようにして一礼した後、視線を上げる。
「陛下、遠路はるばるお越し頂き感謝致します」
「……おぉ、おぉ……」
「ライオネス様……」
私の声を聞いた陛下が感極まったように涙を流し始める。ふらつきそうな陛下をそっとイグルが支えて、その支えを受けながら陛下が私の傍まで歩み寄って来る。
皺だらけになった手が私の手に伸びる。私はその手を両手で受けとり、陛下と目を合わせる。
「……こうして、お前と再び言葉を交わせる事に聖獣達に感謝を捧げよう……」
「私も嬉しく思っております。些か、異形の姿なので驚かれるかとは思いますが」
「この喜びを前にそのような事など些事である。……今一度、詫びさせてくれ、ラーナ。本当にすまなかった。今回の件、私の耳にも入っている。お前達には辛い思いをさせてしまった……」
「……フレイアの事も?」
「……うむ」
ちら、と陛下はアルレオへと視線を向けた。何度かフィネッサを見舞う為に訪れていたのでアルレオとは顔を合わせている。それでも言葉を交わした訳ではない。
アルレオはただ神妙な顔で黙りこくっていた。そんなアルレオの傍でピスキス伯爵が目を光らせている。ピスキス伯爵もフレイアの一撃で負傷している筈なんだけど、まだアルレオへの信用は完全ではないので致し方ない対応だと思う。
「……フィネッサはまだ眠っているのか?」
「えぇ……」
フィネッサが眠っている理由は、きっと精神的なものだ。フレイアとの対峙、そして彼女の死はフィネッサに大きな影響を残したんだと思う。
正直、私もフレイアに思う事がないなんて言えない状態だ。ずっと憎んでさえいたのに、いざ復讐を果たしても心が晴れる事はなかった。
「そうか……では致し方あるまい。ラーナよ、私はこのままアルレオと共に王都へ上がるつもりだ」
「王都へ!?」
「うむ。……フレイアが亡くなった事はまだ王都には伝わってはいないが、消息が掴めていない事で浮き足が立っているようだ。レオニスタを諫めるには今しか機会があるまい」
陛下は覚悟を決めた顔で呟く。けれど、私には不安だった。
「しかし、危険では?」
「それはお前達に私兵を募らせた時点で私も背負わなければならぬものだ。お前とフィネッサばかりに負担はかけられん。何、アルレオも協力してくれる。私の予想ではそう酷い事にはなるまい」
陛下の言葉に私は思わずアルレオへと視線を向けてしまう。自分に視線を向けられた事に気付いたアルレオが、目を逸らしながらも私に頭を下げた。
「……本当にラーナリアス・ヒュードラ嬢だったのか。なら、俺の言動に大変不愉快な思いをさせたと思う」
「……気にしていないわ、頭を下げられても困るから上げて貰えるかしら?」
「あぁ……」
「それよりも良いの? 陛下に協力するという事は……」
「父を裏切るのではないかと? ……母に裏切られた時点で、俺も父上も同じだ。表向きの政治を担っていたのは父だが、その内情は母によって方針が決められていたと今なら考えられる。父も母を失って強気ではいられないだろう。あの人は母を溺愛、いや、依存していただろうから」
俺と同じように。そう言いかけた言葉をアルレオは呑み込んだように思えた。随分と人が変わってしまったアルレオに驚きながらも、やはり不安は拭えない。
それが表情に出ていたのか、ようやく私に視線を合わせたアルレオは表情を引き締めた。
「貴方の不安もわかる。……俺も全部、納得した訳ではない。だが、フィネッサの言葉に何も思わなかった訳じゃない。まだ、今でも母が間違っていたとは思い切れない。それでも足を止めて良い理由にはならないのだろう?」
「……ご立派です」
「そうか。……お祖父様の受け売りだが」
お祖父様と、そう呼ぶアルレオに私は息を吐いてしまう。アルレオの本心はどうかはわからない。彼は確かにフレイアによって盲目にさせられていたけれど、フィネッサの言うように芯まで悪い訳ではないのだろう。
そこは今後の彼に期待するしかない。……きっと、酷く苦しい人生を強いられる事になる。そんなアルレオに私は何も言える事はない。言ってやろうなんて気持ちにもならない。同情はするけれど、そこまで。
「……ここまでフレイアの所業が表になってしまった以上、レオニスタを王の席に座らせる訳にはいかぬ。なんとか説得し、アルレオに譲位させるつもりだ。暫くは私の下で政治を行わせる事になるだろうがな」
事実上の陛下による傀儡政権って事ね。その間にアルレオの再教育を並行して行う。アルレオが使い物になるならそのまま彼に任せるか、別の手段を取るとしたらアルレオかフィネッサの子供を育てて次の王とするかでしょう。
どちらに転ぼうとも陛下への負担は大きい。それでも陛下は自分の責任だと抱え込んでしまうのでしょうね。そう思えば陛下への心配がどんどんと膨れあがっていく。
「……ラーナよ」
「はい」
「お前は今後、どうするつもりだ? お前が望むなら名誉の回復も叶う。名を元に戻しても咎める者ももういないだろう」
「……いえ、陛下。既に私はただの守護聖獣に過ぎません。このままフィネッサの守護聖獣、イードゥラとして在りたいと望みます」
「そうか……では、お前には一つ改めて貰わなければならない事があるな」
「? それは?」
「もう陛下と呼んでくれるな。私はもう王位を譲った身だ。ライオネスと、そう呼んでおくれ。お前にならお祖父様と呼ばれても構わないのだからな。そうだろう? イードゥラよ」
「……はい、ライオネス様」
これで一つの区切りを迎えた。私への挨拶もそこそこに、ライオネス様はアルレオ達を率いて王都へと向かっていった。
* * *
フィネッサが目を覚ましたのは、ライオネス様達が出発して次の日の事だった。
最初は小さな呻き声を零して、ゆっくりとその瞳を開いていく。私はそれに気付いて半龍人の姿を取る。
「フィネッサ、起きた?」
「……ん」
フィネッサがゆっくりと視線を動かして私の顔を見つめる。ぼうっとした表情で私を見つめていたフィネッサは私に手を伸ばしてきた。その手を取って優しく握る。
「……イードゥラ」
「えぇ、そうよ」
「……私は……どれぐらい寝ていましたか……?」
「数日ほどよ。体に異常はないかしら?」
「……喉が乾いてます」
「あぁ……少しずつ飲ませていたけれど、足りないわよね」
意識のない眠ったままのフィネッサに水を与えるのには難儀したけれど。意識が戻ったならちゃんと水分補給をさせた方が良い。
「体は起こせる?」
返事を聞く前にベッドの上で半身を起こさせるように手を貸す。私の手を借りながらフィネッサはベッドの上で身を起こした。
そんなフィネッサに備えてあったコップに魔法で水を注ぐ。私からコップを受けとろうとしたフィネッサだけど、その手が震えていてどうにも危なっかしい。
「私が支えるから、飲めるわね?」
「……はい」
フィネッサの口元にコップを運んで、フィネッサが飲みやすいように位置を調整する。邪魔な髪を払うように指で退けながら、フィネッサは水を飲み始めた。
ようやく意識も感覚もはっきりしてきたのか。私の支えなしでもコップを手に取って水を飲めるようだった。少しずつ、零さないように意識させながらフィネッサに水を与えていく。
「ありがとうございます、イードゥラ」
「いいのよ」
水を飲み終わったフィネッサからコップを受けとり、片付ける。そこからどうにも会話が続かなかった。ただ無言で時間が過ぎていき、もどかしさを覚える。
今のフィネッサにどんな言葉をかけるべきなのか。どうしても言葉に迷ってしまう。私が悩んでいると、この沈黙を終わらせたのはフィネッサからだった。
「……あの、イードゥラ、その姿は……?」
「あ、あぁ。そうね、あの時はバタバタして説明してなかったものね」
フィネッサの問いかけでようやく私の重い口は開けるようになった。
「これがイードゥラからの最後の贈り物、かしらね」
「……イードゥラの、いいえ、ラーナリアス様の守護聖獣からのですか?」
「そう。自分の体に私の魂を取り込んで保護していたらしいの。そして瀕死だった私を生かす為に鳳凰の力を利用して、龍へと進化した……その残していた力とイードゥラ自身を引き換えに私は今の私になった」
窓の外の景色を見つめるように視線を移す。もういない半身の事を思いながら、そっと目を伏せる。
「白蛇は黄龍に連なる者、いずれ黄龍まで育つ者達。だけど、私はその理から外れた龍」
「……理から外れた龍」
「えぇ。だから、きっと一代限りね。フィネッサがいなくなったら私も一緒に消えてしまうんじゃないかしら」
フィネッサ以外の主を持とうという気もないし。守護聖獣は契約主を失ったら自分達の世界に帰ると言われているけれど、私は守護聖獣であって守護聖獣ではないものだ。
だからフィネッサを失えば、そこで終わり。私の終わった人生の続きもそれまで。
「黄龍ならぬ、理を外れた龍。だからその名は――〝応龍〟」
「……応龍」
「……私の願いにイードゥラは応じてくれた。そして、私は貴方が呼ぶ声に応えた。だから私は誰かの声に応える者、応龍だって」
最後にイードゥラが残してくれたもの、それが今の私という存在。応龍という異端の守護聖獣。人と龍の半々を分かちながら持つ者。
応龍、ともう一度確かめるように呟くフィネッサが私の手を握ってきた。指を絡ませるように、離れるのを嫌がる子供のように。そのままフィネッサが胸元に顔を埋めるように体を寄せてきた。
「……貴方は、どこにも行かないでいてくれますよね……?」
フィネッサの表情は見る事は叶わない。けれど、彼女の体が小さく震えていた。まるで不安を隠せない子供のように。
私はフィネッサの背中に手を回してフィネッサを抱き締める。落ち着かせるように何度も背中をぽんぽんと叩くと、フィネッサがしがみつくように私に手を回して来る。
「……もう、誰も、どこにも……いかないで……」
「……大丈夫。ここにいるわ、ずっと貴方の傍に」
どれだけその態勢でいただろう。フィネッサの体の震えは段々と止まってきたけれど、フィネッサは私から離れようとしない。
背中に回した手で私を強く抱き締めながら、ぽつりとフィネッサが呟く。
「……私、頑張るから」
「うん……」
「頑張らないと、いけないから……」
「そうね」
「でも、ずっと、頑張れないから……」
「わかってるわ」
「……ギュッとして。抱き締めて、イードゥラ……もう少し休んだら、もう大丈夫だから……」
縋るように力を込めてくるフィネッサを振り払う事が出来ず、私はただフィネッサを強く抱き締めた。
フレイアの死の影響はあまりにも大きい。どんなに嫌っても、きっとフレイアの最期に口にした言葉がフィネッサにとって大事なものの筈だから。
「私が支えるわ。だから、寄りかかっていいから」
いっぱい泣いて、いっぱい怒って、いつかそんな事もあったと笑って欲しい。
後悔するばかりの人生じゃなくて、その後悔すらもいつか幸せに変える為に私達は生き続けるしかない。
私の人としての生は後悔のままに終わった。だから、この人生を今度こそ幸せに。この子と歩んでいくと決めたから。だから、この子の幸せもまた守ろう。
「貴方が呼ぶなら、何度だって私は応えるから」
* * *
――アルマーティア王国史曰く、二度も大きく政権が揺らいだこの時代を乱れた時代だったと言う者は多い。
鳳凰を従え、聖女として祭り上げられたフレイア・アルマーティア王妃が没した年には二度目の大きな政変を迎えていた。
フレイア王妃が没してすぐ後に、国王だったレオニスタ・グラン・アルマーティアが息子であるアルレオ・グラン・アルマーティアに譲位を宣言。
レオニスタ時代に離れていった貴族達もアルレオの後ろ盾として立った先王ライオネス・グラン・アルマーティアの声に応じて、再び王家にその力を尽くすようになった。
しかし、鳳凰を従えていたフレイアの影響は大きく、彼女が没した事で彼女の恩恵を受けていた者達には苦境が訪れる事となる。
そして、レオニスタ時代に地位を返上して国を去ったヒュードラ公爵家。治水を担っていた偉大なる公爵家の正当な後継者として第一王女、フィネッサ・アルマーティアが名を上げ、歴史に残されている。
彼女はアルマーティア王国に失われた治水の象徴である白蛇、その白蛇に連なる〝龍〟を従え、荒れ果ててしまった地に治水の技術と誇りを取り戻させたと記されている。
後の歴史でも、フィネッサ・アルマーティアが辿った人生は決して平坦なものではない。それでも彼女は誰よりも誇りを持ち、国の為に尽くした慈愛と忠義の姫と後世に語り継がれている。
そんな彼女が従えていた守護聖獣である龍は、常に彼女に寄り添い、仲睦まじかったと多くの物語で語られる事となる。
その物語は、フィネッサの功績と共に民に愛され、いつまでも語り継がれていく事となる。その中から、彼女が残したとされる印象深いセリフをご紹介しよう。
――〝転じてたつなれば、応じるは龍なりて〟
水害に苦しむ国の為に立ち上がった王女と、その祈りに応えた龍。これは、そんな彼女達の物語。
今回の更新で「転じてたつなれば応じるは龍なりて」は完結となります。
蛇足の余談か、或いは続きに繋がりそうな部分は残しつつも一度、ここで筆を置きたいと思います。
イードゥラ(ラーナリアス)とフィネッサの関係、この話を書くに当たって倒すべきだったフレイア。
彼女達の関係を書き上げたい為に書き始めた一作ですので、ここが落とし所かと感じておりました。
イードゥラとフィネッサ、二人の関係がどうなるのか想像して貰える物語となっていれば嬉しく思います。
改めて、ここまで更新にお付き合い頂きました皆様には心よりの感謝を申し上げます。
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