1960年代から1980年代6
1960年代から1980年代6
さて、ドイツ政府は思ってもみなかった突然の戦争に困惑したいた。
しかし、ドイツ軍は別だった。
ドイツ軍は第二次世界大戦中から欧州の覇権はドイツが持っていると考えていて、この機会はチャンスだと考えていた。
既にドイツ政府上層部の穏健論を差し置いて、ドイツ国防軍は上層部のシュテリッツマン上級大将の指揮下の下で、戦術兵器の使用、陸軍部隊のズデーテン侵攻、さらには第二次シェリープランを実行に移そうとしていた。
第二次シェリープラン。
第二次世界大戦後にドイツ国防軍が秘密裏に計画していた欧州ドイツ帝国を作るために必要な欧州全域の制圧のための計画書である。
その内容とは、新たな仮想敵国であるオーストリアの出現に対する作戦計画、新兵器を使った電撃戦、ミサイル兵器による敵国首都の壊滅、さらには、米軍の参戦に対する戦略等こと細かく記されていた。
既にドイツ軍は一個目と三個目の計画を実施中で、政府の許可があれば、フランス、ベネルクス諸国、スカンジナビア帝国、スイスへの宣戦布告を行うことにしていた。
しかし、ドイツ政府上層部の感触はあまりいいものではなかった。
そもそもヒトラーがいた時代は終わり、その次のゲーリング、コベットと総統が変わるにつれてどんどんドイツ政府上層部に保守派は消えていき、経済重視派が多く誕生していた。
そのため金だけが無用にかかる戦争など政府上層部はやりたくなかった。
さらに、ドイツ経済はやっと不況から抜け出してこれから欧州を連携しながら経済を発展していこうとしていたのに、突然の戦争は政府にとってはあり得ないものだった。
軍と政府上層部の関係の亀裂は政府の思わぬ方向に進んでいく。
14時頃、シュテリッツマン上級大将は政府上層部に対して第二次シェリープランの承諾を求めた。
しかし、ミュラー.シュテリウッツ総統はこれ以上の戦線拡大に反対した。
既にドイツ政府はオーストリア政府と緊急回線で連絡を取り合っていた。
しかし、シュテリッツマン上級大将はこれに納得しなかった。
突然、拳銃を取り出してその場でシュテリウッツ総統を殺害したのだ。
周りの大臣も唖然としている。
すると、拳銃の音を合図に扉からシュテリッツマン上級大将指揮下の第一師団の一部部隊が地下シェルターに侵入してきた。
憲兵隊はシュテリッツマン上級大将のクーデターに気付きライフルで対抗するが何しろ敵軍が多い。
多くの大臣は頭を抱えてうずくまっていて、憲兵隊員は多くが反撃したが、5分後には全滅した。
しかしここで思わぬことが起きる。
ほぼ30分後にフランクフルトのドイツ皇帝一家がいる宮殿にもシュテリッツマン上級大将指揮下の警察官が向かったが、もぬけの殻だったのだ。
警官は大騒ぎ。
なぜか、皇帝がいないのだ。
実際権力はないが、権威はあった皇帝を逃がしたのは痛手だった。
話を聞いたシュテリッツマン上級大将はフランクフルトから半径50キロ圏内の哨戒と検問を始めた。
なんとしても彼らを見つけ出すために。
さて、少し話を戻すが、なぜ皇帝一家は脱出出来たのだろうか。
原因はシュテリッツマン上級大将の兵士が乱入したときだった。
咄嗟にもう一つの出入り口から一人の兵士が出たのだ。
彼は日本の日本中央情報局のスパイだった。
彼は首相警備チームの一員でドイツの秘密情報を本国に逃していたのだが、突然の緊急事態が起こったので急いで脱出したのだ。
さて、ベルリンには日本中央情報局の秘密基地があり、彼は急いでそこに駆け込んだ。
これは日本本国にとってもかなり重要なニュースだったからだ。
日本の中央情報局はこの想定外の事態に重要な決定を下した。
日本中央情報局ベルリン支部には諜報活動の継続を。
そして、フランクフルト支部の諜報員に緊急指令が下された。
「ドイツ皇帝一家を緊急に保護し、オランダ及び英国経由でモロッコまで避難させろ」
そういう指令だった。
(このことは日米冷戦時代が終わった2009年まで第Ⅰ種特定秘密で国家機密だった。ちなみに、これは2017年に岡田准一主演で映画エスケープインペリアルとして公開されて大反響を読んだのだが、それはまた別の話。)
こうして皇帝一家を連れてモロッコまで行くという難易度MAXのミッションが始まったのだ。
これは表の裏の話。