1960年代から1980年代5
1960年代から1980年代5
1972年7月7日11時51分
ベルリン、ウィーンともに空襲警報が鳴り響いていた。
ドイツ、オーストリア双方が発射したミサイルがそれぞれの首都に迫りつつあった。
既にウィーンやベルリン手前の首都を守る部隊から迎撃ミサイルひっしゃされていたが、当時の迎撃ミサイルの精度はあまりよくなく、期待できなかった。
まぁミサイル性能も悪いので、思ったところに着弾せずに誤差が出るのも日常茶飯事だったのだが、なにぶん撃った数がどちらも多かったので迎撃しないと数的に大きな被害が出ることが予測された。
どちらも近年の地下鉄の開発ブームと、アメリカや、日本が持つ長距離型の大型ミサイルやドイツなどが持つ中距離型の破壊力抜群のミサイルに対抗するために地下シェルターも多く整備されていた。
また、ドイツは特に大きいシェルターがあった。
アメリカ、日本軍が唯一保有するX-11Gと呼ばれるまぁ威力的に言うと日米が秘密にしている核兵器で言うならば戦術核-戦略核の間ぐらいの破壊力を持つミサイル対策に作られたものでかなり大きく、市民6万人を収容できるものだった。
そして、今回も多くの市民はそこに避難した。
11時51分に頃にベルリン、ウィーンには双方が撃ち漏らしたミサイルが着弾。
どちらの都市も大きな被害を受けた。
さらに、13時頃にはドイツ戦略空軍がX-2D爆弾を積んだ爆撃機をプラハに派遣し、空爆を実施した。
それに対して日本空軍もほぼ同時刻ミュンヘンにある大きな軍事基地にX-2M高性能爆弾投下。
その基地は壊滅的な損害を受けた。
さて、ここで13時現在の諸外国の状況を見てみよう。
オーストリア政府は既にプラハ、ウィーンが被害を受けていて、ズデーテン上空では激しい航空戦になっていた。
既にオーストリア空軍は38機が撃墜されていて、修理認定を受けた機体が10機。
地上戦ではドイツ軍戦車部隊に対して山岳戦を実施して遅滞戦術を取りながら抵抗していた。
さらに、ウィーンを守るためにクロアチア方面に新しく配備されていた第5師団がウィーン郊外に配備された。
さらに、ハンガリー、スロバキア地域に配備されている陸軍部隊はチェコのズデーテンに急行中で、翌6時頃に現地に到着する予定。
空軍機は各地からかき集めていて、遠い空軍基地からもズデーテンに救援に向かっている状況である。
次にスイス政府。
スイスは国家非常事態宣言を発令。
既に同盟国の日本がオーストリア側にたって参戦しているので、スイスドイツ国境をスイス軍が固めている。
また、デフコンは最高レベルの5に引き上げられた。
次にフランス政府。
こちらも大騒ぎ。
ドイツとは犬猿の仲のフランス。
はっきりいって欧州でドイツ関連の戦争が起こったらフランスは100%巻き込まれることは明白。
よってフランス軍は最高レベルの警戒を行った。
さらに、フランスのパリでも臨時ニュースに人々は足を止めて少しずつ混乱が伝播していた。
金をたくさん持っている富裕層は急いでパリを脱出して南部、さらにはフランス領アルジェリアとチュニジアに避難を始めた。
パリのパリ中央駅とシャルル・ド・ゴール国際空港にはたくさんの群衆が押し掛けた。
さらには、南部に向かう高速道路にもかなり多くの避難する人を乗せた車が押し掛けていた。
次にイギリス政府。
イギリス政府はまだまだ余裕だった。
オランダ、ベルギー、フランスといったイギリスの壁になる国々も存在していたし、イギリス王国空軍は迎撃ミサイルの用意を終えていた。
さらには、王室海軍も北海に展開。
ドイツ海軍がキールからスカゲラク海峡を突破して北海に侵入しイギリス本土を攻撃するということを避けるためだった。
既に英国の空母であるアークロイヤル、イーグルを含む王国海軍第一機動艦隊が複数の巡洋艦と駆逐艦を伴って待機していた。
次にスカンジナビア政府。
まぁこちらは基本的に武装中立がモットーだったのだが、先の大戦では武装中立はしなかった。
また、この国は現在、国連の常任理事国であり、ヨーロッパ内で中立をして日よりみできる状態ではない。
既に先ほど国連の本部から国連安全保障理事会の緊急召集があり、国連軍の出動にも話が及ぶかもしれない。
そうすると、スカンジナビア軍も動かさざる得なくなるのでスカンジナビア軍も出動の用意をしていた。
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