1960年代から1980年代4
1960年代から1980年代4
さて、ユーゴスラビアが降伏した翌日からトルコの首都であるイスタンブールでは戦勝国による誰がどこを取り、誰がユーゴスラビアを面倒見るかということを会議した。
(ちなみに、ブルガリアも降伏していた。)
トルコ政府の要求は簡単。
ブルガリアに奪われた旧オスマン朝時代の領土の奪還と、バルカン半島情勢安定のための諸国間同盟の構築だった。
詳しく言うと、バルナ、ブルガス等の都市があるブルガリア東部全域だった。
ブルガリア臨時政府には発言権もなく、ギリシャも何も言えなかった。
ギリシャ政府の要求はコソボ地域の割譲だった。
ユーゴスラビア政府から賠償金が欲しかったギリシャだがユーゴスラビア政府から得られる金塊は少々。
まぁ使えても戦災被害を受けた国民に分け与えたらほぼないという状況だったので、まぁそれも得るとして、戦費分としてコソボを割譲させた。
次にオーストリアだが、スロベニア、クロアチア地域を回復した。
もともとあったオーストリア、ハンガリー、スロバキア、チェコの各地域に加えて、独立やセルビアによって失った地域も回復したオーストリアはこれで満足した。
さらに、海も久々に手に入ったので貿易にもあまり困らなくなったのだ。
さて、負けたブルガリアは西半分の領土のみとなり、さらには政権中央にはトルコ人顧問が入り、徹底的に属国化させられた。
次にユーゴスラビアはボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビアにそれぞれ分割された。
さらには大きな軍備制限もかけられて徹底的に二度と戦争など起こさせないようにした。
ちなみにこの交渉の頃になるとアメリカがいろいろと口を出してきて、三国でこの三ヶ国の再生を行おうとしていたのだが、うちも混ぜろと恫喝してきたので、仕方なくアメリカも混ぜてこれらの国々を復興していくことになった。
1972年7月7日。
世界に再び激震が走った。
ドイツ軍とオーストリア軍の間で銃撃戦が起こったのだ。
原因は今でも分かっていないが、どちらかの兵士が先に撃った、撃ってないみたいな感じで大規模な銃撃戦に発展した。
迫撃砲、野砲、列車砲、対地ミサイル等が飛び交い、地上部隊から連絡を受けた双方の空軍が上空でドックファイトを行った。
11:21分に最初の銃声が聞こえてドイツ、オーストリア陸軍双方に少数の被害が出てから双方それぞれの国防省に連絡がわたり、どちらの国も大騒ぎになった。
まぁドイツはこれ幸いとズデーテン地方奪還のために軍を動かした。
オーストリア軍もドイツ軍がかなり本気で攻めてきていることを確信し、国家緊急事態レベル5を発令し、オーストリア軍全軍に対して出動命令を下した。
双方の国からX-2Aミサイルが発射された。
ちなみにこれは上海での戦争時に使用されたX-2Cミサイルの簡易版で被害は半径50-100メートルぐらい出させるミサイルだ。
これらがあらかじめ指定された都市に向かって飛翔していく。
ちなみにこれは速度が遅いので高射砲でも十分迎撃可能なのだがどちらの国もミサイルを配備していた。
ちなみに、アメリカや日本のこれらを使用している部隊にはミサイル部隊もあるが、X-2Eや、X-2D等の大型でない限り、航空機で敵地まで持っていって使うことが一般的なのだ。
まぁこれには大型の爆撃機が必要で金がかかるのが難点で、そもそも日本やアメリカは使用用途が違って、D.E型は遠い敵国の首都に向ける必要があるミサイルであって、近場の国を攻撃するとしたら、爆撃機からやらないと命中精度が悪くて、あんまり使えないのだ。
さらに、ドイツの仮想敵国には日本やアメリカが入っているが、ドイツの場合、仮想敵国にフランスやスカンジナビア、オーストリア等の近場の国が多く、いざ大戦になったときに爆撃機をいくつ用意すればいいんだよってことになるので近場の国々にもミサイルを使っているのだ。
また、オーストリアが爆撃機を導入していない理由は簡単で、金がかかるのと、ドイツを攻撃するなら多少命中精度が悪くてもミサイルの方が安上がりだからなのだ。
こんな風な理由で両国はミサイルを発射した。
さて、第一派のミサイルがウィーンや、ベルリンに向けて発射された頃にはズデーテン地域の空には両軍の航空機が集結してきていた。
ドイツ軍地上部隊はかねてから対独軍事演習を積みに積んできていたオーストリア軍の守備部隊によってなかなか進軍できずにいた。
ドイツ軍自慢の戦車はあちらこちらからやってくる対戦車ミサイルに大苦戦。
さらに、同行する地上部隊の歩兵部隊には空から日本製の対地攻撃機の山嵐が猛威を振るっていた。
空では日本製最新鋭迎撃機の紫電3と日本とサーブの合同で作ったと颯天2戦闘爆撃機がドイツ軍のメッサーシュミット332とアーカンブル3Zをぼこぼこにしていた。
一部ドイツ軍の最新鋭戦闘機のメッサーシュミット339もあったのだが、なにぶん数が少なかった。
それは多くが対仏国境と対スカンジナビア国境に配備されていたからだった。
また、そもそもオーストリア側には安全保障条約に従って日本空軍の欧州派遣空軍も参戦していてドイツが圧倒的不利であった。
こうして、最初の一日目はオーストリア優位で進んでいくことになる。
本日、複数の誤字報告がありました。
誤字に関しては自分ではあんまり見つけられないので、報告いただけると幸いです。
これからとこの作品をよろしくお願いします。