冷戦5
冷戦5
ドイツは回りを敵国に囲まれて四面楚歌状態だった。
もちろんオランダ、デンマーク等は自衛のためにそういう行動をとったわけだがドイツにとってはそんな事情は知らなかった。
アメリカとその同盟国及びドイツの敵対国家VSドイツとその衛星国家の戦争状態一歩手前まで世界は緊張した。
しかしバカな国が余計なことをしでかした。
1952年2月 中華統一戦争開始
1952年2月、上海政府が突如として北中華政府に宣戦布告した。
その日のうちに上海政府軍40万人が淮河を越えて北中華の領土に侵攻した。
北中華軍は主に日本製の兵器で対抗していたが突発的な侵攻だったので準備がまったく出来てなくて前線部隊が壊滅的な損害を受けた。
2月10日に始まった戦争は22日に武漢が陥落した。
3月2日に長沙も陥落した。
北中華は国連に救援を求めた。
国連は長い長い議論の中でドイツが折れて国連軍の出動が決まった。
主な部隊は保証占領後の中華世界でのプレゼンツ拡大をしたいアメリカが在極東及び在広州派遣軍20万人を投入した。
イギリスもシンガポール派遣軍2500、日本も一個師団と一個航空師団を派遣した。
中華諸国も上海の拡大主義を警戒していたので部隊を出した。
広州共和国は20万人、山東共和国は10万人、満州15万人、四川、雲南、広西等も一個師団程度を出した。
インド軍も2個軍団を出した。
上海軍の快進撃は鄭州に迫ったところで遂に止まった。
鄭州での会戦で制空権を失った上海軍はぞろぞろと後退。
さらに、海では脆弱な上海海軍に対して日本海軍の横須賀艦隊と高雄艦隊がふるぼっこにしていた。
制空権は次々と喪失した。
本土上空もアメリカ軍によって制空権が失くなり、軍事基地には多数の爆弾が落とされた。
アメリカ軍のX-2爆弾がはじめて投下されたのもここだった。
X-2爆弾は核兵器の惨状を見た、アメリカ政府が作った代用の爆弾だった。
破壊力は落とされたところから半径200メートル程度が壊滅するほどだった。
さらに、爆風自体は半径1キロまで被害を及ぼすほどだった。
これにより、上海市の中心部が廃墟化した。
前線部隊も満州戦車団や、アメリカ軍に押されてじりじり後退した。
4月10日にはさらに、食料不足と軍需物資不足で軍のクーデターが起こった。
軍部は上海を制圧して独裁者を制圧した。
4月12日に国連軍が上海に入った。
上海はボロボロで市民生活にも大きな影響が出ていた。
国連のUNICEFは緊急援助を実施した。
そして、上海を含めて旧上海国内は国連軍の保証占領化に置かれた。
軍隊は解散した。
5月に臨時政府が発足した。
首相にはアメリカ人が就いた。
完全な民主主義国家への歩みを進めることになったのだった。
また、この戦争によって世界は一時平和になった。
ドイツも多少軍拡を緩めてアメリカとの強調姿勢を打ち出した。
こうして、束の間の平和と呼ばれる時期に突入していく。