冷戦2
冷戦2
1948年11月7日
ドイツとアメリカの仲が日に日に悪くなっていく世界情勢は世界に緊張を与え続けていた。
国際連合の場では安全保障理事会、総会、世界経済フォーラムのすべてでドイツとアメリカの口論が始まるなどやっと第二次世界大戦が終わったのにホットできなかった。
ドイツでは第二次世界大戦で隠れてしまったがナチスが未だに勢力を効かせていた。
ドイツ国内では一党独裁でヒトラー亡き後、後継者と呼ばれたゲーリングが総統となりドイツを動かしていた。
ドイツ国内ではせっかく勝ったのに報奨が少なすぎると大きな不満が民衆の間にあった。
さらに、我々の世界のソ連のように言論の統制はされていなかったため公然と政府を批判していた。
ドイツ国内でナチスが有効な策を打たない場合革命が起こるかもしれない。
そうドイツの指導者層は考えていた。
そして、日に日にアメリカとの関係が悪化し貿易でも支障が出始めた。
ゲーリングはなかなか有効な策を打てなかった。
なぜなら現政権には旧SSの人間や対米攻撃を行うべしといった主戦論者や、経済最優先といった経済派もいて政争が激しく起こっていた。
ここで変なことを言おうものなら殺されるかもしれないのだ。
そんな不用意なことは言えなかった。
そして、遂に事件が起こる。
独立したバルト三国のうちの一番下の国であるリトアニアとドイツの飛び地の間の国境線でいざこざが起こったのだ。
ゲーリングはドイツ国防総省から呼び出されて総統の公邸から党本部に急いだ。
国防総省が報告したのは今朝の出来事だった。
「運悪くリトアニア軍の兵士がドイツ軍側のエリアに入ってしまって拘束されました。
そして、それを見ていたリトアニア軍はドイツ軍が自国の兵士を連れ去ったと見て奪還を試みたらしく、現地部隊と戦闘になりました。
国境警備を担当していた中隊はそれによって壊滅。
しかし、それを聞いた我々の国境警備軍の一個師団がリトアニア領に勝手に入って懲罰を実行しました。
ドイツ軍部隊を攻撃したリトアニア軍国境警備大隊を半壊させて捕虜を取ったそうです。
これに、リトアニア側は猛反発して海側の国境の街ジェルーを補償占領しました。
また、既に現地部隊は本部の指示を聞かずリトアニアへの侵攻計画を始めました。
以上です。」
「このままじゃ戦争になります!」
外務大臣のヨアヒム.フォン.リッベン外務大臣が机を叩いて訴えた。
「そうです。これは国際法上の明白な侵略行為に当たります。このままでは、アメリカに付け入る隙を与えるだけです。」
さらに、外交顧問も攻撃を止めるように訴える。
しかし、国防軍司令官や法務大臣、宣伝大臣は、
「ここは、ドイツの底力と外交で切り抜けるべきです。
さらに、挑発行為を行ったのはリトアニアであるのだから攻撃しても問題はないはずです!」
さらに、国防軍担当者がゲーリングのもとにひとつの束の報告書を持ってきた。
それには、バルト三国を攻撃するプラン1と書いてあった。
中身を見ると何日でバルト三国を速やかに制圧できるか、そして、こちらの被害とそこを得ることによる経済効果とアメリカなどの諸外国の動きが事細かく書いてあった。
ゲーリングは悩んだ末に決断を下した。