第二次世界大戦終結へ4
久々の投稿です。
これから一気に終戦まで行きますので大きな戦いではなく革命や会議、謀略が多くなりますのでご了承ください。
第二次世界大戦終結へ4
国会議事堂では共和党に忠誠を誓う団員と突入する国家警察との間で激しい銃撃戦が繰り広げられた。
外からは国家警察が持つ機関銃や戦車がなんのためらいもなく国会議事堂に向けて発砲していく。
その他の政府施設でも激しい衝突が起こっていた。
国防総省は真っ先に革命軍に臣従した。
国防長官も早くこの戦争を終わらせなければならないと感じていたからだ。
14:00頃には裁判所、宮殿、国防総省、首相官邸は制圧された。
街は革命軍によって戒厳令が敷かれてものものしい様相を呈していた。
そして、今もなお血みどろの攻防戦が繰り広げられていたのが議会だった。
議会では共和派が武器をもって徹底抗戦しておりなかなか降伏しなかった。
地下や、議会中央では激しい戦闘になっていた。
また、憂慮すべき事態も起こっていた。
バルセロナというか、カンターニャ州が独立を宣言したのだ。
あそこはもともと非戦派で独立志向が強く警戒していたところだった。
さらに、ビルバオ、バレンシア、マラガなどの共和派の軍事部隊がマドリードに向かっていることも彼らを焦られた。
すぐに裁判所に自分達が正当政府として認めてもらい国内に停戦命令を出さなければならないのだ。
彼らは議会への攻勢を強めた。
そして、16:12に議会の共和勢力が遂に降伏した。
同時にスペイン中に戦争終了のラジオが流れた。
さらに、裁判所からマドリードに侵攻中だった部隊にも連絡が行き共和派の将校が中立派の将校に取り押さえられた。
こうして、スペイン革命は終わった。
また、スペイン軍の南アメリカや、対ドイツ戦線の部隊はすぐに本国に戻った。
しかし、ここで問題が起こった。
イタリア、スペインの部隊が撤退したドイツではフランスがそれを一手に請け負うことになった。
これによりスカンディナビアに疎開していたドイツ軍の戦車部隊が一気にフランス軍の戦線を強襲した。
ロシアがいるせいでポーランド、スカンディナビア、オーストリア、ルーマニア、ブルガリア、トルコ、ギリシャと日本の援軍は動員できなかったが最後の攻勢と称して虎の子の部隊をすべて投入した。
さらに、空挺、精鋭の飛行隊を敵陣のギリギリまで向かわせた。
そして、フランス軍の攻撃と同時に反撃を実施した。
攻めてるはずなのに急に味方が壊滅するという状況にフランス軍前線部隊は混乱した。
さらに、後方に空挺したSSの精鋭空挺部隊はフランス軍の後方司令部を制圧した。
さらにそのフランス軍の兵器を使って前線のフランス軍を攻撃した。
これにはフランス軍前線部隊は大混乱。
ドイツ北部のハンブルクで行われたこの戦いでフランス軍前線部隊は敗走してしまった。
そのためドイツ軍がハンブルクを奪還。
キールや、ベルリンぐらいしか残りのドイツがなくなっていて風前の灯だったのに、一気にドイツ軍の反撃が行われてハンブルクに続いてライプツィヒ、ハンブルク、フランクフルト、デュッセルドルフ、ケルン、ミュンヘン、ロストックとほとんどのドイツ国内の都市が奪還された。
さらに、スイス領内で身を潜めていたスイス軍特別作戦部隊が一気に山の中のシェルターから戦車や重装備を出してベルンとチューリヒ、ジュネーブのフランス軍を駆逐した。
フランス軍は各地で連戦連敗。
フランスとドイツ国境のマジノ線まで後退した。
ドイツ軍は一気に息を吹き返した。
オランダの解放のためにオランダ領内にドイツ軍は攻め込んだ。
フランス軍はベルギーとオランダ国境まで撤退した。
そして、ドイツ軍がベルギーオランダ国境とフランスドイツ国境でフランス軍とにらみあった。
5月11日のことだった。
このドイツの急速な復活によって危機感を持った国がいくつかあった。
もちろんフランスや、ロシアは敵国だから当たり前だしイギリスも同様だった。
イギリスでは一気に革命気分が高まった。
そして、困ったことになったのはアメリカと日本だった。
次の投稿日は1月6日の予定です。