65.魔法を使える日は永遠に来ない
「魔力酔い、を通り越した昏倒だ。おまえのは」
苦々しなルーシャスの声が降ってきて、エデルはぐぅ、と唸って掛布の中に隠れた。
なにが起こったのか、目覚めてから彼に説明された。
エデルはヘデラに言われるままに魔法を使い、倒れたらしい。
エデルが魔法を発動した瞬間に手にしていたいちごはぐちゃぐちゃに潰れ、酔ってめまいを起こしてその場にひっくり返ったということだった。
そのときに頭も打ったのか、後頭部がずきずきと痛む。
そういえば、ヘデラが慌てて覗き込んできたときの背景は天井だったし、頭をなにかに打ち付けたような記憶もある。
エデルは歯噛みした。
「最近緑魔鉱石に何回も魔力を溜めてたから、少しは加減できるようになったかなって思ってて……」
「緑魔鉱石などの魔鉱石に魔力を溜めるのは、魔力を放出しているだけだ。だが、魔法を使うとなると、体内に魔力を循環させて魔粒子を魔術式の形に練り上げることが必要になる。放出と魔法の使用は違うんだぞ」
「…………」
そうは言われても、これまで自身の魔力に振り回されはしても魔法を使うことのなかったエデルには、いまいちその違いが理解できないのだ。
もぞもぞと顔を覗かせると、枕元に座ったルーシャスがひとつ息をついた。
いまだ視界はぐらぐらと揺らぎ目が回っている気がするのだが、魔力酔いは日にち薬でしか治る方法がないらしい。
ルーシャスは金の眼を難しそうに眇め、「具合が悪いのなら目を閉じていろ」とエデルの目元に手をかざした。
「そうしてるとちょっと楽」
「そうか」
目を閉じていれば良いだけなのだから、別段、ルーシャスがわざわざ目隠ししてやる必要はない。しかし、彼はエデルに請われるまま目隠しの役を続けてくれた。
目覚めたとき大わらわだったエデルの部屋には、今はルーシャスしかいない。その場でエデルが倒れるのを見ていたヘデラや、騒ぎを聞きつけて駆けつけてくれたミューリアやナイジャーは、エデルが目覚めて容態が落ち着いたところで一旦部屋を出ていったのだ。
大勢が忙しなく動き回っているところでひとり寝転がっているのは、エデルとしても具合が悪い。なんだか自分が情けないものになった気がしてしまうので、そっとしておいてくれたのはありがたかった。
「――俺たちが魔力酔いを起こしたのを覚えているか」
静かになったところで、ルーシャスはそう尋ねた。
一瞬なんのことを言われているのかと考えたが、すぐに思い当たって是と返す。
「うん。倉庫のときの」
あのとき、結界をくぐるためにルーシャスとナイジャーは自身の魔力を一時的に止めた。
魔力が体の中を巡る、その動きを感知する仕組みが魔力探知だから、止めてやれば魔力探知には引っかからない。そういう理屈だった。
「そうだ。あのときにも説明したが、魔力というのはふつう、体の中を常に巡って流れているものなんだ。血液のようなものと考えれば良い」
「うん」
「それを急に止めたり、ふたたび急に流すと魔力酔いを起こす。血液を急にせき止めたり、また一気に流したら具合が悪くなりそうなものだろう。それと同じだな」
それなら少しは想像できる。
血液の流れを止めたら、それが一瞬ならまだしも、長時間に渡れば死に至る。血流を一気に流すのも危険だ。体の中のどこか、特に脳の血流が急激に流れることで破裂する可能性だってある。
「エデルの魔力は俺たちとは違って流れていない。常に止まった状態なんだ。体の隅々まで魔力で満たされて流れがなくなった湖だ。なぜその状態で平常を保っていられるのか、それは俺にはわからん。専門家じゃないからな。とにかく、止まった状態でふつうを保っている。それだけわかってくれ」
「ん」
「以前にもおまえの魔力を湖の水に例えたことがあるが、それで話そう。川に流さず堰き止めていた湖の水を、調節もせずに一気に流したらどうなると思う?」
「……水害になる?」
「そうだ。湖の近くの街は水没するな。多くの被害が出る。建物は流され、周囲の地形も押し流されて崩れるかもしれない。おまえの身体の中で、そういう危ないことが起こる」
想像はつく。だが、エデルは内心で首を捻った。
「でも、緑魔鉱石に魔力を溜めるのは平気だよ。あれは川に水を放流するのとは違うの?」
「違うな。あれは体外に放出しているだけだ。湖の水で例えるなら、川に流すのではなく別の、この世界ではないどこかに流していると考えて良い。別の世界というのが魔鉱石だな。この場合、周辺の街や土地であるおまえの身体は水害によって傷つかない。わかるか」
「うん。でも、代わりに別の世界の魔鉱石が壊れる」
ルーシャスが笑ったような気配が伝わってきた。
「そういうことだ。わかってるじゃないか。魔力を放出するだけなら別の世界に水を捨てるだけでいい。――エデルの場合はその捨てる水量が多すぎて、水が捨てられた別の世界は壊れるがな。だが、魔法を使うということは、湖の水を魔術式の形に練り上げるために一度川に流さなければならない。そうするとおまえの身体が傷つく。そういう違いがあるんだ」
「…………」
「この魔術式の練り上げ方も、熟練の人間がやれば必要な分だけの水を川に流すことができる。未熟な者なら不必要な分も流してしまうから、余計に湖の水を失う。エデルの場合は魔法の使用経験は子ども以下だ。それを簡単だからと言われて急にやろうとすると、水害を起こすほどの水を流してしまう。コップ一杯分の水を流せば良かったのに、だ。なまじ蓄えている水が多い分、被害が大きくなる。それで、酔うだけを通り越して昏倒する」
不意に途切れた言葉に、エデルはルーシャスの大きな熱い手のひらの隙間からそっと碧い目を覗かせた。
「少しは力を加減できるようになったと思っていた、と言ったな。だとしたらエデル、お前は自身が魔法を使ったらどうなるか知っていたな? なぜ軽率なことをしたんだ。下手を打てば死ぬんだぞ」
「…………」
責めるような口調に、しかしそこに見えたのは怒っている顔ではなかった。なぜだか痛みを堪えるように揺れた金の双眸とかち合ってしまって、エデルはそっと息を呑んだのだった。
「……ごめんなさい」
しょんぼりと謝ると、ルーシャスもすっかり口を閉ざしてしまう。
魔法を使うことは養父にも止められていた。
本来、エデルのような問題を抱えた人間が、魔法の扱いをまったく知らないほうがおかしいのだ。むしろ、きちんとしかるべき教育を受け、魔法の正しい扱い方を誰よりも熟知し、正しく使えるようになっていなければならなかった。
養父はそのことをわかっていた。だからエデルに魔法の扱い方を教えようとしてくれたのだ。だが、エデルが魔法を扱おうとすると必ずこの問題にぶつかった。エデル自身の身体が保たないのだ。それで、彼はエデルに魔法の扱い方を覚えさせることを放棄した。
膨大な魔力量を正しく扱えるように命を削らせるより、魔力がないことにして、不便でも健やかに生きていけることを願ったのだ。
だから、魔鉱石に魔力を溜めることはしても、魔法を使おうとしてはいけないよ。――そう、以前にも言われていたのに、やってしまった。
「……ヘデラさんに簡単な魔法を教えてもらったの。果物がおいしくなる魔法だって。あの場でやってみてって言われて、できないからやらないって言えなくて」
彼女には、エデルの魔力のことを教えていない。この館で知っているのはミューリアだけだ。
最初にそうしようとナイジャーとミューリアと決めた。エデルの魔力について知ることは、今エデルが巻き込まれている人身売買の問題に巻き込むのと同義だ。彼女たちを要らない争いに巻き込みたくない。だったら、伏せておくのが良いだろうということになった。
だから、ヘデラがエデルに子どもでもできる魔法を求めてきたのは、おかしなことではなかった。けれどもだからといって、あの場でエデルの魔力のことを一から説明するわけにはいかなかった。
そう口に上らせれば、ルーシャスは驚いたように目を瞠った。
「この館の人間みんなが知っていたわけじゃないのか」
「うん。知ってるのはミューリアさんだけだよ」
ヘデラとは何度も彼女の占いの練習に付き合ってきた。そのたびに彼女の緑魔鉱石に魔力を込めたから、たぶん、魔力の多い子だなと思われてはいるだろうが。
占いの練習に付き合ってほしいと言われて無下に断るのも怪しまれそうだったし、実際、ミューリアもナイジャーもそのくらいなら大丈夫だろうと言った。エデルの魔力について何もかもを秘密裏にするほうがこの館で過ごしにくくなるだろうし、エデルを受け入れてくれている従業員の女性たちには、ふんわりと肝心なところだけを隠してきたのだ。
「でも、ふつうに魔法を使ってみて、簡単だから、って言われたら断れなくって」
「そうか」
エデルの目を覆っていた手がそっと額を撫でる。
そのやさしさが労られているようでもあり、強く叱責したことを謝罪するようでもあった。
「わたしはやっぱり、魔法を使えるようにはならないのかな」
ぽつんとこぼす。
ずっと、頭の片隅で考えていたことだった。
養父はエデルの身体のことを考えて魔法を使わせないようにしてきたが、いつか、自分にも魔法を自由に扱えるときが来るんじゃないだろうかと。いつか、もっと慎重に魔法を扱う方法を教えてくれる人が現れて、魔鉱石にも魔力が溜められるようになり、自分には魔力がない、と偽らなくて良い日が来るんじゃないかと、ぼんやりと考えていたのだ。
そうしたらきっと、魔鉱石に魔力を溜められないことで誰かから敬遠されなくなることもなくなるのに、と。
そんな日は永遠に来ないのだろうか。
「……今はそうだな。使わんほうが良いだろうな」
「…………」
そっか、とは言葉にならなかった。
まだその事実を受け入れられそうになかったのだ。




