12 第3章:スラムの最底辺と買収
第3章 第3節
スラム街の濁った空気と、終わりのない泥濘の日々。その中で生き抜くために、私はあらゆる手段を弄した。物陰に潜み、通行人の財布を抜き取り、価値のありそうなスクラップを拾い集めては日銭に換える。感情を殺し、ただ生存という目的のために肉体を動かす機械のような日々。周囲の浮浪児たちが仲間同士で群れを作り、時に裏切り、時に泣き叫びながら野垂れ死んでいく中、私は常に一人で、誰にも心を開くことなく、路地裏の影を這いずり回っていた。
その頃には、私の瞳から「生きていくための光」は完全に消え失せていた。
十歳という幼さでありながら、私の眼差しには恐怖も、絶望も、そして希望すらも存在しない。あるのは、ただ底知れぬ虚無と、すべてを冷徹に見据える機械的な冷酷さだけだった。周囲の人間たちは、私のその異様な雰囲気——子供特有の瑞々しさが一切なく、まるで底の抜けた井戸のように冷え切った眼差しを本能的に恐れ、自然と距離を置くようになっていた。
(群れる奴から順に死んでいく。必要のない情けは、ただの命取りだ)
そう確信しながら、私は今日もスラムの外れにあるガラクタ市場の陰で、身を潜めて獲物を探していた。
上空を覆う鉛色の雲から、冷たい雨がパラパラと降り始め、路地裏の泥と腐臭をさらに濃厚に引き立てている。そんな悪条件の中、私の冷めた瞳に、一人の不気味な男の姿が映り込んだ。
黒いトレンチコートを纏い、顔の半分を深いツバの付いた帽子で隠した男。その足取りは静かで、周囲の浮浪者たちが恐る恐る道を開けるほどの異様な圧力を放っていた。スラムの住人ならば誰もが知る、最も忌むべき存在——「奴隷商人」だった。
王国の法が及ばないこの最底辺において、奴隷商人は日常の風景の一部だった。親に捨てられた子供、借金まみれの人間、路地裏で意識を失った浮浪者たちをさらい、裏社会の闇市や他国の労働市場、あるいは人体実験の場へと売り飛ばす外道。彼らは常に「商品価値のある人間」を探してスラムを巡回していた。
私は反射的に身を縮こまらせ、古い木箱の陰へと身を隠した。
(厄介なのが来たな。目立たないようにやり過ごすか)
そう思考し、その場から音もなく離れようとした瞬間だった。
――ピタリ。
その男の足取りが、私の隠れている木箱の前で不自然に止まった。
冷たい雨音の向こう側で、重い革靴が泥を踏む音がぴたりと静まる。ぞくりとした悪寒が背筋を走ったが、私の顔面筋は微動だにしなかった。恐怖で顔を引きつらせるわけでもなく、ただ冷徹に事態を分析する。
「ほう……おや?」
低く掠れた、まるで錆びた鉄板を擦り合わせるような声が降ってきた。
ゆっくりと木箱の陰が取り払われ、視界に黒いコートの裾が入り込む。私は顔を上げ、その男の顔をまっすぐに見据えた。帽子をわずかに持ち上げた男の顔には、口元から頬にかけて引き裂かれたような醜い古傷が刻まれており、その細い目がねっとりとした興味の色を宿して私を舐め回すように見つめていた。
奴隷商人の目は、数え切れないほどの人間を見てきた者にしか宿らない独特の濁りを帯びていた。彼は怯える子供、泣き叫ぶ子供、反抗する子供をいくらでも見てきたのだろう。そうした「生きた人間」には、商売上のリスクがつきまとう。暴れ、扱いづらく、すぐに精神が崩壊するからだ。
だが、男の視線の先にいた私は、そのどちらでもなかった。
「……面白い目をしているな」
男は低く呟き、不気味に歪んだ笑みを浮かべた。
「ガキのくせに、怯えもせず、かといって生きようとする執着の熱すらない。まるで、すでに一度死んで肉体だけが動いているような……見事な『死んだ目』だ」
私は言葉を発しなかった。ただ無言で、男の咽喉元や手元にある武器の位置を冷徹に観察し、いざとなればどこに噛みつき、どうやって逃走すべきかの計算を脳裏で組み立てていた。
「おい、小僧。お前、名前はなんていうんだ?」
「……名前などない」
私がようやく絞り出した声は、子供のものとは思えないほど乾ききっており、一切の感情が欠落していた。
その返答を聞いた瞬間、奴隷商人の目はさらに深い歓喜の色を帯びて輝いた。彼はまるで極上の宝石を見つけたかのような、下劣でねっとりとした欲望の混じった笑みを深めた。
「名前なし、か。いい。実に素晴らしい」
男は懐から、鈍く光り輝く銀貨を数枚取り出し、指先で軽やかに弾いてみせた。スラムの浮浪児の命など、銅貨数枚で安値に買い叩かれるのがこの世界の相場だ。それにもかかわらず、彼は最初から私に対して一定以上の価値を見出していた。
「お前のようなガキはな、奴隷船の底でこき使っても簡単に精神が折れないし、かといって無駄な反抗もしない。……いや、それどころか、もっと暗くて深いいわくつきの場所に卸すのに、これ以上ないほどの適性がある」
「……どこへ連れて行くつもりだ」
私が淡々と問い返すと、男はふっと鼻で笑った。
「決まっている。人間が人間でなくなる場所だ。だが、お前ならすぐに馴染めるさ。なにせ、その腐りかけたような冷たい目玉は、そこの住人にそっくりだからな」
逃げる隙はない。周囲にはこの男の手下と思われる屈強な大男たちが、いつの間にか退路を塞ぐように音もなく立ち塞がっていた。力任せに抵抗しても、現在の十歳の肉体では数秒で制圧されるだけだ。
——これもまた、生き残るためのプロセスに過ぎない。
私は暴れることも、助けを求めることもせず、ただ冷ややかに目を細めた。
白亜の城で溺れていた無知な坊っちゃんとしての「アレン」は、あの日の炎と血の中で完全に死んだ。今ここにいるのは、あらゆる地獄をくぐり抜け、すべての理不尽を冷徹に飲み込む「部品」に成り果てた男の影だけだ。
奴隷商人の太く荒れた手が、私の肩を乱暴に掴み上げる。
その冷たい拘束を受け入れながら、私はスラムの鉛色の空を最後に一瞥した。
私をどこへ連行しようとも、どのような地獄の底に叩き落とそうとも構わない。そこで得た技術と力を武器に、いつか必ずこの世界のすべてを内側から食い破ってやる。
泥と悪臭に満ちたスラム街を離れ、私は冷酷な運命の歯車に組み込まれるように、地下施設へと続く闇の中へと連れ去られていったのだった。




