俺はPONじゃない!と言ってるやつは大概PON
退院してから三日目。
俺は自宅の机に座り、目の前に置いたカメラをしばらく無言で睨みつけていた。やがて椅子の背もたれへ身体を預け、小さく息を吐く。
「……やりたくねえ」
普段の俺なら、配信を始めるとしてもダンジョンへ潜る時くらいで、雑談配信なんてほとんどやったことがない。まして、視聴者と楽しく話そうという企画でもない。原因はもちろん――あの映像だった。
ワータイガーとの戦闘で、俺が変身し、その瞬間を五十万人以上が目撃した。動画サイトには切り抜きが溢れ、ニュースでも取り上げられ、SNSでは好き勝手な考察まで飛び交っている。
「……これ、俺が説明することなのか? 俺だってほとんど何も分かってないんだが」
誰に言うでもなくぼやきながら、俺は机の上に置かれた紙へ視線を落とした。
だが、放っておけば話はもっと面倒になる。探索者協会からも、「本人から簡単に説明する機会を設けたほうがいい」と勧められていた。もっとも、協会が本当に望んでいるのは俺の説明というより、俺の説明を聞いてもらうことなのだろう。謎の怪物、謎の世界、謎の変身。そんな映像だけが先に世界中へ広がっているのだから、そりゃ騒ぎにもなる。
「……仕方ないか」
俺は諦めたように深く息を吐き、配信開始のボタンへ指を伸ばしてクリックした。
配信が始まると、視聴者数はほとんど間を置かずに増え始め、一万人を超え、三万人に届き、それでも止まらない。気づけば五万人を超え、ついには十万人に届いていた。
「……なんで雑談配信でこんなに来るんだよ」
俺は苦笑しながらカメラを見ると、いつものように片手を上げて挨拶した。
「えー……どうも。黒瀬です。今日はダンジョンには行きません」
コメントが一気に流れた。
『そりゃそうだろ!』
『今行ったら止めるわ!』
『病み上がりだろ!』
『その前に聞きたいことが多すぎる!』
「まあ、そうだよな」
俺は机の上の紙へ視線を落とし、少しだけ姿勢を正した。
「協会からも、ちゃんと説明しろって言われてまして」
『言われてましてw』
『めっちゃ怒られた?』
「いや、怒られてはいない。たぶん」
そう答えてから、俺は一度咳払いをして、改めてカメラへ向き直った。
「まず最初に言っとくけど、俺自身が分かってないことが多い」
『そこから!?』
『本人も分かってないのかよ!』
『変身した本人が一番困ってて草』
「いや、本当に分からないんだよ」
俺は苦笑しながら頭を掻き、両手を軽く上げて降参するような仕草を見せた。
「俺が分かってるのは、三年前の事故が起きた深層まで行って、そこで落ちたこと。気がついたら見たこともない場所にいて、ワータイガーに襲われたこと。そして――あんな姿になったこと」
そこで一度言葉を止めた。
「……あの姿になったこと、だな」
コメント欄の速度が一段上がる。
『そこだよ!』
『変身の説明求む!』
『あれ何!? 装備? 能力? 魔法?』
『身体そのものが変わってたぞ!』
俺は画面を見ながら、困ったように眉を下げた。
「それも分からない。ワータイガーに殺されそうになって、必死に戦ってたら、身体のほうが勝手に変わったんだ」
『でも強すぎたぞ』
『ワータイガー一撃だったじゃん』
『昔のSランクに戻った?』
そのコメントを見た瞬間、俺の表情が少しだけ曇った。
「……それについては、昔に戻ったとは思ってない」
『どういうこと?』
『三年前と関係ある?』
「あると思う」
そこだけは、妙に確信があった。
「三年前から、俺の身体には……いや、これはまだ俺自身でも整理できてない」
本当のところは、胸の奥にあるもののことを話したかった。けれど、今の俺には、それを説明する言葉がない。
「とにかく、三年前から続いてる何かが、今回の件と無関係だとは思えない」
『三年前に何があった?』
『事故の真相は?』
「それも調べる」
俺はカメラへ真っ直ぐ視線を向け、今度は迷いのない声で言った。
「今度こそ、自分で調べる」
コメント欄の流れが、一瞬だけ変わった。
『……なんか顔変わった?』
『Sランク時代の黒瀬っぽい』
『やる気出てきた?』
俺はそんなコメントを見て、小さく笑う。
「昔みたいに戻れるとは思ってない。でも、三年前に何があったのかは知りたい」
自分の胸へ手を当て、そう言った。
コメントがさらに流れていく。
『応援する』
『待ってるぞ』
『今度は無茶するなよ』
『いや、無茶するのが黒瀬だろw』
「おい、最後のやつ」
思わず笑ってしまい、俺が画面を睨むようにすると、さらにコメントが増えていった。
その中に、こんな質問が流れてきた。
『そういえば、そもそもなんで落ちたんだよ?』
『あれ、普通に足場が崩れたとかじゃないだろ』
『依頼者側の探索者、何してたんだ?』
そのコメントを見た俺は、少しだけ顔をしかめた。あの時のことを思い出したのか、眉間に皺を寄せながら腕を組む。
「そもそも、そこなんだよな」
俺はしばらく画面を見つめてから、ため息交じりに口を開いた。
「俺、あの時は依頼者側の探索者四人に襲われたんだよ」
『……は?』
『四人に?』
『味方じゃなかったの?』
コメント欄が一気にざわついた。
「いや、俺も最初は普通に一緒に探索するつもりだったんだよ。でも、途中でいきなり襲われた」
俺は両手を軽く広げ、呆れたような表情を浮かべる。
「その時の映像はたぶん残ってない。落ちる直前はカメラの向きがずれてたし、音声も切れてたはずだからな。みんなからすると、突然俺が足場から落ちたようにしか見えてなかったと思う」
『だからそこだけ謎だったのか』
『じゃあ四人に襲われたこと自体は本当なんだな』
「本当だよ。協会にも確認してもらってる。俺が帰ってきてから聞いた話じゃ、依頼者側にも何か罠を仕掛けてた形跡があったらしい」
『罠って何だよ』
『依頼者が最初から黒瀬を嵌めるつもりだったってこと?』
『三年前の事故と繋がってない?』
「そこまでは俺にも分からない」
俺は首を横に振った。
「ただ、四人に襲われて、そのまま落とされた。それだけははっきり覚えてる」
『それ普通に殺しに来てるだろ』
『なんでそんな依頼受けたんだよ』
「……金がなかったんだよ」
俺は少し遠い目をしたあと、自嘲するように笑った。
「報酬が150万だから、半年は暮らせるはずだったんだよ」
そう説明してから、ふと何かに気づいたように眉をひそめた。少し考えたあと、俺は自分の額に手を当てる。
「……あれ?」
「後払いだから……俺、タダ働きかよ、おい!」
『そこ!?』
『命狙われたうえに報酬ゼロw』
『悲惨すぎるだろw』
「いや、よく考えたら笑えねえだろ!」
俺は頭を抱えながらカメラを睨みつけた。
「命まで取りに来られて、異世界まで飛ばされて、そのうえ報酬もまだ受け取ってないんだぞ?」
『依頼の収支がマイナスすぎる』
『半年暮らせるはずだった150万が消えた男』
「だから、これからはもう少し慎重に生きるよ」
そう言ってから、俺は少し考えた。
「……たぶん」
『たぶんw』
『信用できねえw』
「おい」
俺は呆れたように画面を睨み、それでも口元には苦笑を浮かべていた。
やがて、別の質問が流れてくる。
『変身中の黒瀬、配信切れてなかった件は?』
俺は黙ったまま、しばらく画面を見つめた。
「それなんだけどさ。本当に、あれは予定外だった」
『切るつもりだったん?』
「そう。落ちた時に終了操作をしたつもりだったんだけど、実際には切れてなかったらしい。協会に聞いたら、このカメラ、事故があっても配信が簡単に切れないようになってるんだってさ」
『事故対策機能か』
『つまりガチで事故』
「そういうこと。ただ……あんな場所に落ちたのに、なんで配信がそのまま続いてたのかは、俺にも分からないんだよな」
『あの灰色の世界でも普通に映ってたもんな』
「だから、あれについても協会に調べてもらうつもりだ」
『また調査案件増えたw』
「笑うなよ……」
俺が恨めしそうに画面を見ると、さらにコメントが増えた。
『で、今後どうする?』
『また配信してくれる?』
『次はいつダンジョン行く?』
俺は流れていくコメントを目で追いながら、少し考えた。
「そこは……まだ決めてない。正直、今の俺は何ができて、何ができないのかも分かってないからな」
『じゃあ調べようぜ』
『検証配信してほしい』
『無茶だけはすんな』
『まず休め』
その言葉を見て、俺は少し目を細めた。
「……ありがとな」
照れ臭そうに笑いながら、それでも素直に礼を口にする。
「今日は、そのくらいで勘弁してくれ」
『えー!』
『まだ聞きたい!』
『三年前の事故!』
『アビ――』
一つのコメントが流れた。だが、その続きを読むより先に画面から消えてしまったため、俺はそのことに気づかなかった。
「じゃ、また普通の配信に戻れるようになったら戻る。今日はここまで」
そう言って手を上げ、俺は配信終了ボタンへ手を伸ばした。
「今度こそ、ちゃんと切るからな」
自分に言い聞かせるように呟いてボタンを押す。画面が暗くなり、俺は大きく息を吐きながら椅子の背もたれへ身体を預けた。
「……はぁ」
ようやく終わった。
そう思っていた。
俺はカメラがまだ終了処理中だとも知らず、気の抜けた顔で天井を見上げた。
「……配信を切り忘れたら、伝説になってたってやつだな」
自虐気味に呟いた、その数秒後だった。
『聞こえてるぞ』
『黒瀬、まだ配信中w』
『また切れてないwww』
『お前、意外とPONだな』
「…………は?」
俺はゆっくりと顔をカメラへ向け、何が起きているのか理解できないまま数秒間、完全に固まった。
「PONじゃねーよ!」
反射的に言い返す。
『いやPONだろw』
『二回目だぞw』
『しかも今回は本人が自分でフラグ立ててるw』
『伝説を自分で更新していく男』
俺は眉間を押さえながら、悔しそうに画面を睨んだ。
「違うって。これは……カメラの性能が悪いんだよ」
『責任転嫁w』
『カメラ「俺のせい!?」』
『PON瀬さん』
「誰がPON瀬だ!」
とうとう俺は両手で顔を覆い、深々とため息を吐いた。
「……もういい。今日は本当に終わり!」
今度こそ終了操作をきちんと確認しながら、俺は何度目か分からないため息を漏らす。数秒後、ようやく配信が終了した。
「……疲れた」
静かになった部屋で、俺は椅子へ沈み込む。ダンジョンに潜るより疲れた気がする。
そして俺は知らなかったが、今回の雑談配信によって、俺を「三年前の事故から生還した元Sランク探索者」ではなく、「謎の変身を遂げた元Sランク探索者」として見る人間が、さらに増えていった。




