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元Sランクの俺、今は底辺ダンジョン配信者ですが、三年前の事故現場に戻ったら突き落とされ、最強の力に目覚めました  作者: 水源


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観測者からの勧誘

 翌日、俺は朝食を終えたところで、神代から妙な話を聞かされた。


「黒瀬さん、今日は面会があります」


 神代は手元の端末から顔を上げ、少しだけ眉を寄せながら俺に告げた。


「面会?」


 俺は食後のコーヒーをカップごと持ったまま首を傾げ、神代の顔を見返す。


「誰から?」


「協会の関係者です」


 神代は端末の画面を確認しながら、淡々と答えた。


「……また?」


 俺は思わず苦笑し、ソファへ少し身体を沈める。ここ最近、協会関係者とは嫌というほど顔を合わせている。能力検査だの、戦闘記録の確認だの、健康状態のチェックだのと、次から次へと人がやって来るので、正直もう少し放っておいてほしいくらいだった。


「今回は少し違います」


 神代はそう言いながら端末を操作し、確認するように画面を見下ろした。


「特殊事案調査室の人間だそうです」


「俺は探索者協会の組織には興味がなかったから全然詳しくないが、そんな部署あったのか?」


 俺は目を丸くして神代を見る。


「正式には協会内部の調査部門です。黒瀬さんのような、通常の探索者管理では対応できない案件を扱っています」


 神代は俺の反応を見ながら、落ち着いた声で説明した。


「ふーん」


 俺は何気なく頷き、カップを口元へ運ぶ。


 その時点では、まだ深く考えていなかった。どうせまた質問されるだけだろう。そう思っていた。


 やがて部屋の扉が開き、入ってきたのは、三十代半ばほどに見える男だった。


 黒いスーツ姿ではあるものの、いかにも役人という感じではない。眼鏡をかけ、髪型も服装も地味で、これといった特徴がない。


 ただし――妙に隙がなかった。


「初めまして、黒瀬旭さん」


 男は柔らかな笑みを浮かべ、俺へ軽く頭を下げた。


「私は御堂と申します」


「……どうも」


 俺も警戒を滲ませながら軽く会釈する。


 御堂と名乗った男は、俺の向かい側の椅子へ腰を下ろすと、こちらの様子を確かめるように一度だけ視線を走らせ、そのまま神代へ顔を向けた。


「神代さんも同席されると聞いています」


 丁寧な口調だったが、その目は妙に落ち着いている。


「はい」


 神代は警戒したように姿勢を少し正し、御堂をじっと見返した。


「それで、今日は何の話ですか?」


 俺が少し身を乗り出しながら尋ねると、御堂は鞄を膝の上へ置き、そこから一枚の書類を取り出して俺の前へ滑らせた。


「勧誘です」


「……勧誘?」


 あまりにもあっさりと言われたので、俺は思わず瞬きをし、書類と御堂の顔を交互に見る。


「はい」


 御堂は微笑んだまま、落ち着いた声で頷いた。


「就職?」


 俺が少し眉を上げて冗談めかして聞くと、御堂はほんの少し口元を緩めた。


「似ていますが、少し違います」


 御堂は書類を指先で軽く押さえながら、こちらへ向ける。


「我々は、黒瀬さんに協力していただきたい」


 書類には、何やら難しい言葉がずらりと並んでいる。


 調査協力。観測。情報提供。特殊事案。


 俺は数行ほど目を通し、それから顔を上げた。


「……結局、何をするんだ?」


 俺が眉をひそめながら尋ねると、御堂は表情を変えずに答える。


「あなた自身を観測させていただきます」


「観測するのはそっちじゃないのか?」


 俺は思わず自分を指差し、それから御堂へ視線を戻した。


「その通りです」


 御堂は平然と答えた。


「正確には、黒瀬さんを観測対象とした協力契約です」


「……観測対象」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は書類へ目を落とし、なんとなく嫌な言葉だと思った。


 俺の表情が曇ったのに気づいたのか、御堂は少しだけ苦笑する。


「気分を害されたなら申し訳ありません。しかし、我々は言葉を取り繕うつもりはありません」


「正直すぎない?」


 俺は呆れたように眉を上げた。


「そのほうが話は早いですから」


 御堂は肩をすくめるでもなく、ただ静かに答えた。


 こいつ、妙に話がしやすい。


 だからこそ警戒した。


「何をしてくれる?」


 俺が書類を指先で軽く叩きながら尋ねると、御堂は別のページを開いた。


「まず、現在の隔離措置を緩和できます」


「おっ」


 思わず俺の口元が緩む。


「もちろん監視は継続します」


「……ですよね」


 俺は期待しかけた表情を苦笑へ変えた。


「次に、医療費、生活費の一部をこちらで負担します」


「おお」


 今度は素直に目を輝かせる。


「さらに、施設内での雑談配信とは別に、一定条件のもとでダンジョン内での配信も再開していただいて構いません」


「……え?」


 俺は驚いて身を乗り出した。


 神代がすぐ横から俺へ視線を向ける。


「黒瀬さん」


「いや、だってダンジョンで配信できるんだろ?」


 俺は神代へ顔を向け、半ば食い気味に聞き返した。


「条件付きですよ」


 神代は少し呆れたように眉を下げる。


「それでもだよ!」


 俺はすぐに御堂へ向き直り、書類をもう一度手に取った。


「……本当に?」


「はい」


 御堂は穏やかに頷いた。


「我々にとって、黒瀬さんの行動記録は非常に重要です。配信活動もまた、あなたの自然な行動を観測する手段になります」


「……つまり」


 俺は少し考えながら首を傾げる。


「配信してるところも観察したいってことか?」


「その通りです」


 御堂は一切迷わず答える。


「なるほど」


 思わず納得しかけた俺だったが、すぐに眉をひそめた。


「待て。俺を観察するためなら、配信にかかる費用まで出すってこと?」


「必要な費用については、契約で定めた範囲内で経費として処理できます」


 御堂が事もなげに答える。


「……なんかすごい世界だな」


 俺が苦笑すると、神代は横から小さくため息をついた。


「黒瀬さん、そこだけで納得しないでください」


「いや、だって重要だろ」


 俺が神代へ真顔で返すと、神代は一瞬だけ目を閉じた。


「またですか……」


 御堂はそんな俺たちを見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「噂通りですね」


「何が?」


 俺が訝しげに尋ねると、御堂は眼鏡の位置を軽く直しながら答える。


「あなたは、もっと警戒心が強い人物だと思っていました」


「いや、警戒はしてるぞ。ただ金は大事だからな」


 俺は眉を上げながら胸を張る。


「その点については、理解しました」


 御堂は淡々と答え、再び書類へ目を落とした。


「ただし、我々が提示できるのは金銭だけではありません」


 その瞬間、男の声に初めて少しだけ重みが加わった。


「三年前の事故についても、情報を提供できます」


「……!」


 俺の手が止まる。


「知ってるのか?」


 俺が身を乗り出して尋ねると、御堂はまっすぐ俺を見返した。


「はい」


 即答だった。


「四人のことも?」


 俺がさらに問いかけると、御堂は一瞬だけ黙り、表情を僅かに引き締めた。


「……その件も把握しています」


「だったら教えてくれ」


 俺は思わずさらに身を乗り出し、声を強める。


「誰なんだ、あいつらは」


 御堂はすぐには答えなかった。


「契約していただければ、段階的に情報を開示します」


「全部じゃないのか?」


 俺が不満そうに眉を寄せると、御堂は静かに首を横へ振る。


「全部を約束することはできません」


「じゃあ、意味ないじゃん」


 俺が椅子へ背を預けながら吐き捨てるように言うと、御堂は穏やかな表情を崩さない。


「そうでしょうか?」


 御堂は静かに俺を見る。


「あなたは三年前、何も知らないまま深層へ向かいました」


「……」


 俺は黙って御堂の顔を見る。


「そして今度は、異常の正体も分からないまま、再び深層へ踏み込みましたね」


 御堂の視線は真っ直ぐで、まるで俺の行動を一つ一つ記録しているかのようだった。


「……そうだな」


 俺は苦笑交じりに答えた。


「我々は、あなたにもう一度同じことをしてほしくない」


 御堂は声音を少し落とし、穏やかながらも真剣な目で俺を見た。


 その言葉は妙に引っかかった。


 善意にも聞こえる。


 だが、そうだと決めつけるには、この男は何かを知りすぎている。


「……お前ら、何者なんだ?」


 俺は警戒するように目を細め、御堂へ問いかけた。


 御堂は少しだけ考えたあと、ようやく答えた。


「ウォッチャーと呼ばれています」


「ウォッチャー?」


 俺は聞き慣れない名前を口の中で繰り返す。


「正式名称ではありません。便宜上の呼称です」


「……ふーん」


 俺はその名前を頭の中で転がしながら、御堂の顔を観察した。


 聞いたことがない。


 少なくとも、俺の知る探索者協会の組織名ではない。


「じゃあ、協会の人間なのか?」


「ウォッチャーは特定の部署の名前ではありません。協会や研究機関など、複数の組織に関わる人間が情報を共有し、特定の対象を継続的に観測するための非公開のネットワークです。私はそのうち、協会側の窓口を務めています」


 御堂は曖昧な笑みを浮かべながら説明した。


「なるほどな。だから協会の人間でもあるし、そうとも限らないわけか」


「そういうことです」


「……ややこしいな」


「表に出す必要のない組織ですから」


 御堂は否定しなかった。


「……ということは、俺以外にも接触している相手がいるのか?」


 俺が何気なく尋ねると、御堂は一瞬だけこちらを見た。


「ええ。セナさんには、私とは別の担当者が接触しています」


「……セナにも?」


 思わず聞き返す。


「彼女の件は私の担当ではありません。詳しいことはお話しできません」


 御堂はそれ以上、説明するつもりがないらしかった。


「……そうか」


 俺はそれ以上追及しなかった。


 ただ、ウォッチャーが観測しているのは、俺一人ではないらしい。


 それだけは、頭に留めておくことにした。


「我々が調査しているのは、アビス――」


「アビス?」


 俺は思わず聞き返し、眉を寄せる。


「失礼。こちらで使っている呼称です」


「……ダンジョンの深層のことか?」


 俺が首を傾げると、御堂は小さく首を振った。


「いえ。ダンジョンの向こう側に存在する、あの勢力を指しています」


「……向こう側の奴ら?」


 俺が確認するように尋ねる。


「はい。あなたが先日接触した者たちです」


 俺は少し考えた。


 最近、何度も足を踏み入れたあの場所。


 人狼。


 スライム。


 そして、あの異常な空間。


「で、俺も観測したい、と」


 俺が腕を組みながら言うと、御堂は小さく頷いた。


「はい」


「……俺が断ったら?」


 俺が警戒するように尋ねる。


 御堂は、まったく迷わず答えた。


「構いません」


「え?」


 思わず目を瞬く。


「契約を強制するつもりはありません」


 御堂は穏やかな笑みを浮かべている。


「じゃあ、勧誘する意味あるのか?」


 俺が呆れた顔で問い返すと、御堂は静かに答えた。


「あります」


 御堂は書類へ手を置いたまま、俺の目を見る。


「契約していただければ、我々はあなたに協力できます。契約しなくても、我々はあなたを観測します」


「…………」


 思わず黙る。


 こいつ、怖い。


 アビスの幹部とは別の意味で怖かった。


「つまり?」


 俺が低い声で聞き返すと、御堂は淡々と答えた。


「あなたが断っても、我々との関係がなくなるわけではありません」


「それ、勧誘っていうか宣告じゃないか?」


 俺が引きつった笑みを浮かべると、御堂はそれを否定することなく静かに頷いた。


「そう受け取っていただいても構いません」


 神代がほんの少しだけ眉を寄せ、御堂へ冷たい視線を向ける。


「かなり率直ですね」


「隠す意味がありませんから」


 御堂は神代にも落ち着いた視線を返した。


 そのやり取りを見ていた俺は、思わず肩をすくめる。


 御堂はそんな俺を見ながら、ふと柔らかな表情を浮かべた。


「それに、黒瀬さん」


「何?」


 俺が顔を上げる。


「我々が欲しいのは、あなたの忠誠ではありません」


「……?」


 俺は眉をひそめる。


「観測です」


 御堂の声は静かだった。


「あなたの身体にある適応細胞が、地球環境だけでなくダンジョンの環境にも適応できる理由。ほかの適応個体と反応が似ていながら、明確に異なる理由。そして――」


 一瞬だけ、御堂の目が鋭くなる。


「三年前、何があなたの身体に起きたのか。その変化が、なぜ今になって強力な武装を生み出すのか。そして、その武装はアビス側のものに匹敵するのか」


 俺は息を呑んだ。


 それは、俺自身が一番知りたいことだった。


「……ずいぶん詳しいな」


 俺が驚きを隠せずに言うと、御堂は静かに俺を見返した。


「長い時間、見てきましたから」


「三年前から?」


 俺は思わず聞き返す。


「いえ、もっと前からです」


 短い返答だった。


 その返答に、背中が冷たくなる。


 俺が言葉を失っていると、御堂は書類を一枚めくった。


「もちろん、無償の協力ではありません」


「……そりゃそうだよな」


 俺は少しだけ姿勢を戻す。


「まず、黒瀬さんの身体状態を常時観測させていただきます」


「常時?」


 俺は思わず眉を上げた。


「はい。体温、心拍、血中成分、適応細胞の活動、変身時の変化。取得できる情報は、原則としてすべて共有していただきます」


「……全部?」


「全部です」


 御堂は淡々と答えた。


 俺は眉をひそめる。


「プライベートまで?」


「私生活の映像や会話を無差別に収集するつもりはありません。ただし、異常な反応が起きた場合、それがいつ、どこで、何をきっかけに発生したのか。その情報については記録する必要があります」


「……なるほど」


 俺は腕を組み、しばらく考える。


 完全な自由ではない。


 そこは理解できた。


「それと、もう一つ」


 御堂は書類の別の項目を指で示した。


「黒瀬さんが変身、もしくは世界間移動などの異常現象を起こした場合、我々への即時報告を義務づけます」


「配信中に起きた場合は?」


 俺が目を丸くして尋ねる。


「その場合もです」


「……視聴者より先に?」


 俺が苦笑すると、御堂は平然と頷いた。


「可能な限り」


「無茶言うなよ」


 俺は肩をすくめながら苦笑する。


 御堂はそんな俺を気にする様子もなく淡々と続けた。


「そして、最も重要なのが緊急介入条項です」


「緊急介入?」


 俺はすぐに表情を引き締めた。


「黒瀬さんの生命に重大な危険がある場合、あるいは周囲への危険が一定基準を超えたと我々が判断した場合、本人の同意なく拘束、鎮静、隔離その他必要な措置を取る権限を我々に与えていただきます」


 俺の顔から笑みが消えた。


「……それ、かなり重くないか?」


 俺が契約書を見つめながら言うと、御堂は表情を変えずに答える。


「当然です」


 御堂は俺をまっすぐ見つめた。


「あなた自身が、自分の身体を完全には制御できていないのですから」


「…………」


 反論できなかった。


 人狼との戦い。


 あの時、俺の身体から次々と現れたブースター。


 異常なまでに巨大化した右腕。


 そして、炎を伴うイグニスと、冷気を放つグラキエース。


 どれも俺自身が仕組みを理解して使っていたわけじゃない。


 それぞれが勝手に身体へ現れ、あのワーウルフとの戦いを終わらせるために働いていた。


 最後には世界間移動まで起きた。


 確かに俺の身体は、俺だけの判断では止められない。


「さらに、ダンジョン配信を再開する場合にも制限があります」


「え?」


 俺が顔を上げる。


「特定の検査結果、施設の位置、研究内容、他の協力者に関する情報については配信禁止です。また、戦闘能力を故意に実演する場合は、事前の申請が必要になります」


「……つまり、好き勝手には配信できないと」


 俺が少し不満そうに唇を尖らせると、御堂は頷いた。


「はい」


「でも配信自体はできる」


「できます」


 御堂は淡々と答える。


 俺は少し考える。


「じゃあ、俺が払う代償は?」


 御堂は静かに答えた。


「自由の一部です」


「…………」


 俺が黙り込むと、御堂は続けた。


「そして、秘密の一部です」


 その言葉が妙に重かった。


 俺は黙って契約書を見る。


 金。


 医療。


 配信。


 三年前の情報。


 それと引き換えに、俺は自分の身体についてかなりの情報を渡さなければならない。


 さらに、何かあった時には、俺自身の意思より先に拘束される可能性もある。


「……結構、持っていくな」


 俺が苦笑しながら言うと、御堂は小さく頷いた。


「その代わり、我々も提供できるものは大きい」


 御堂は書類の端を整えながら続ける。


「少なくとも、あなたをただの実験材料として扱うつもりはありません」


「……そう言われてもな」


 俺が疑うような目を向けると、御堂は穏やかに返した。


「信じる必要はありません」


「またそれか」


 俺が呆れたように眉を上げる。


「我々は、契約だけで成立する関係を好みます」


 その言葉に、妙な説得力があった。


 御堂は静かに立ち上がる。


「すぐに答えを出す必要はありません」


「……いいのか?」


 俺が顔を上げる。


「もちろんです」


 御堂は書類を俺の前に残したまま、扉へ向かう。


「ですが、一つだけ覚えておいてください」


 扉の前で足を止め、御堂はゆっくりと振り返った。


「我々は、あなたがどこへ行こうと観測できます」


「…………」


 俺が黙って見返すと、御堂は続ける。


「この施設の中でも、外でも」


 そう言って、御堂は部屋を出ていった。


 扉が閉まる。


「……怖いな」


 俺が小さく呟き、閉じた扉へ目を向けたまま言うと、神代が静かに頷いた。


「はい」


 神代も御堂が出ていった扉を見つめている。


「でも、条件は悪くないんだよな」


 俺がそう言うと、神代は俺の手元に残された書類へ視線を落とした。


「……そこなんですよね」


 神代は書類を見る。


「隔離措置の緩和、生活費の支援、医療費の負担、ダンジョン配信の許可。そして三年前の事故に関する情報提供」


「だろ?」


 俺は腕を組みながら考える。


「怪しい。ものすごく怪しい。でも……」


 テーブルの上に置かれた契約書を見る。


「金が入って、配信もできて、三年前のことも分かるかもしれない」


「黒瀬さん」


 神代が少し呆れた顔で俺を見る。


「何?」


「また、お金から考えてません?」


「だって大事だろ」


 俺が悪びれもせず答えると、神代は深いため息をついた。


「……はあ」


 神代は額へ手を当て、困ったように首を振る。


 俺は苦笑しながら契約書を手に取る。


 ウォッチャー。


 三年以上前から俺を見ていたという謎の組織。


 アビスの幹部とは違う。


 だが、あいつらも俺を知っている。


 それに、セナにも別の担当者が接触しているらしい。


 いったい俺が知らないところで、何が起きているのか。


 それを考えながら、俺は契約書をめくった。


 そして――。


 一番最後のページに、小さく書かれた一文を見つけた。


 **『観測対象に対する保護義務を負う』**


「……保護?」


 俺はその一文を指先でなぞりながら、思わず呟いた。


 神代も身を寄せて、その一文を覗き込む。


「……黒瀬さん」


「何?」


 俺が神代へ顔を向ける。


「これ、もしかすると――」


 その先を神代が言う前に、俺の携帯が鳴った。


 俺は眉をひそめながら画面を確認する。


 見覚えのない番号が表示されている。


「誰だ?」


 俺が警戒しながら電話を取る。


『――黒瀬旭』


 聞いたことのない声だった。


 俺は僅かに顔をしかめ、神代へ視線を向ける。


「……は?」


『ウォッチャーと契約するな』


 電話の向こうから、低い声が響く。


『奴らは、お前を守りたいのではない』


 その言葉を最後に、通信が切れた。


「…………」


 俺と神代は、しばらく無言で顔を見合わせた。


 やがて俺が、困ったように頭を掻く。


「……これ、また面倒なことになってきたな」


「はい」


 神代も深刻そうな表情で頷いた。


「本当に普通の生活に戻れるのかな、俺」


 俺が苦笑混じりに言うと、神代は答えなかった。


 ただ、その手はいつの間にか、俺の契約書をそっと閉じていた。

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